明日から師走になります。
師ではありませんが、
一足早く、
走らされています。
ブログは休診にします。
季節の変わり目は、
体調を崩しやすくなりますので、
ヤツを宿している患者さんでは、
くれぐれも、
お大事になさってください。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
忙しい一日でした。
ブログは休診にします。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
昨日の「アバスチン」に対して、
毎度のことですが、
「〇〇にも効くか?」という、
失礼ながらかなりの愚問がありました。
残念ながら卵巣がんを十把一絡げのデータしか出されていません。
ただし見えるがんと、
見えない状態での比較検討はなされています。
それは
「卵巣がんにアバスチン」で書いたとおりです。
失礼ながら「愚問」と書いたのは、
数多くの被験者という患者集団から得られたデータ上で、
「効果アリ」と判定されても、
個々の患者さん、
少なくともコメント出された投稿者氏お一人の、
治療効果など、
まったく担保されるモノではないからです。逆に患者集団で「効果無し」の判定でも、
一個人の中には、
とても有効だったという患者さんも存在していると思います。Risk & Benefit を十分に理解して、
ご自身の価値観で治療を選択しなければなりません。
勿論、患者集団でのデータも重要ですが、
多くの患者さんで、
それにピッタリ当てはめて考えることなどできません。
個々の患者さんで、
すべての事情が違っており、
臨床試験・エビデンスなどは、
参考値に過ぎません。
そこに理屈というスパイスがかけられて、
実際には博打ともいうべき治療が、
開始されるはずです。
エビデンス・EBMと綺麗ごとを言っても、
がん治療は所詮博打です。ガンが発見されても、
手術もしないで放置するという行為は、
当たるかも知れない馬券を買うことすら放棄するような、
博打そのもののから逃げるような行為だと思います。
しかしハズレ馬券ならば買わないほうが良いに決まっています。
しかし買わないと結果は分かりません。
買う前に結果が分かるレースはありません。私は実際の馬券は買ったことはありませんが、
当たって喜ぶ人も、
外れて嘆く人もいるはずです。
がんを宿してしまった場合、
アタリかハズレか分からなくても、
「買わない」という行為では、
ほぼ100%の人が痛い目に遭います。勿論、治らないガンの場合、
標準的に当たりの確率が高い馬券を「買っても」、
博打では胴元が確実に儲かるように仕組まれていますから、
ソンをする確率のほうが高くなります。
その場合には、
そんなモノは買わずに、
無駄なお金は、
もっと楽しい生活に廻すという考え方も当然あり得ます。
現在の標準的な抗癌剤治療は、
すべて統計確率だけで支配されています。そこには個々の人間の価値観は反映されていません。
それを決めるのは、
個々の患者さんご自身だけです。「その馬券、当たりますか?」は愚問です。
当たりくじを教えてくれるのは神様だけです。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
11月24日の「卵巣がんにアバスチン」に対して、
アバスチンはvegfrですのでv血管に作用し、
がんに対して兵糧攻めを行う薬だという認識があります。
だからこその毒との併用ということだと思っているのですが、
それ単独でも効果があるものなのでしょうか。
アバスチン(ベバシズマブ)という薬剤は、
VEGF(血管内皮増殖因子)という、
血管を増殖・造成させる、
血液中に存在する「因子」に対する抗体であり、
血管が新生されることを抑制して、
すなわちガンのカタマリに栄養を与える血管の造成を抑制することで、
ガンのカタマリの増大を抑制しようと目論んで開発された、
比較的新し分子標的薬です。
コメントのとおり、
栄養血管の造成を抑制しての、
所謂、兵糧攻めですが、
実際に単剤でつかっても、
ガンのカタマリは、
縮小しますし、何回もご提示している、
下のグラフでの、
肺がん治療に対する虚しい死亡曲線でも、アバスチン併用患者群では、
4サイクルの細胞毒攻撃後も、
アバスチン単独で使われています。
その結果の生存時間の延長だと思います。現在の抗癌剤治療のほぼすべてが、
治験という実験治療を経て、
エビデンスが作られ、
それに則って執行されています。
アバスチンは従来の細胞毒よりは新しい薬剤です。
従来の細胞毒治療で、
「無治療と比較して僅かでも延命効果がありそうだ」となっていると、
その細胞毒治療なしで、
新しい薬剤単独での治験が、
人道的に許されなくなります。それ故、従来の細胞毒治療に、
追加するというかたちで治験がおこなわれます。したがって、
比較的新しい薬剤単独の治験はできずらい、
という背景がありますが、
死ぬことが分かっている辛い治療を避けるという、
賢明な患者さんも増えて来ていますので、
少なくとも大塚北口診療所では、
辛くはないアバスチン単独での治療を受ける患者さんも、
増えています。
ステージⅣの肺がんに対して、
ブランド病院でアリムタ、カルボプラチン、アバスチンという、
お決まりの治療の後、
月一のアバスチン単独で、
1年半まったく同じ状態を維持できた患者さんもいます。
1年半後の悪化を観てから、
細胞毒を追加してすでに半年、
お元気です。
毎度のことですが、
「単独では効かない」ではなく、
「単独でのデータが無い」だけです。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
本日は休診日で、
ヒマな一日でしたが、
テレビニュースを見ていると、
何を信じたらよいのか、
本当に分からない世の中になっているようで。
憂鬱な気分です。
何も書く気にもならず、
ブログも休診にします。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
アバスチン単独で効くのか?
というコメントに対して、
効きますよ。
ということを書きたかったのですが、
急用ができてしまい、
時間が無くなりました。
増殖抑制だけのはずのハーセプチンだって単独で十分に効くし、
アバスチン単独でも効きます。
それは後日書きます。
本日は休診にします。
以上 文責 梅澤 充
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先週の金曜日、
何処かの知事さんが大慌てになった日に、
卵巣がんを宿した患者さんには朗報がありました。
予定より1週間ほど遅れてしまいましたが、
アバスチンという分子標的薬が、
卵巣がん治療に対して、
健康保険承認されました。見えない状態のガンに対しては、
PFS(無進行期間)・DFS(無病期間)の延長だけで、
生存時間の延長は確認されていませんが、卵巣がんが見えている状態では、
延命効果もあることが知られています。
しかし日本の健康保険では認可されていませんでした。自費で使うと、
100㎎で5万円近くする高額な薬剤でした。
標準量では、
体重1Kgあたり15㎎ですから、
体重50Kgの患者さんでは750㎎になります。
それを3週間に1回が標準量です。
あまりにも高額なので、
1回あたり100㎎とか200㎎で使っていた患者さんはいます。
それでも200㎎で10万円近くかかってしまいました。
今後は健康保険で堂々と使えます。
多くの患者さんでは、
高額医療費の恩恵にも与えられます。
しかしアバスチンには、
血栓・肺梗塞、腸管穿孔という致死的な副作用があります。その副作用は、
使用量との相関関係はなさそうですので、
標準量で使えます。
唯一、Dダイマーという、
血栓の起こりやすさを示す指標が、
その致死的な副作用の発生確率の多寡を予測することは可能です。
それは簡単な採血だけで測定できます。
勿論、健康保険で可能です。
アバスチンの保険適応条件として、
「他の細胞毒との併用」
という文言はついていますが、様々な理由で細胞毒が使えない患者さんでは、
その理由を健康保険者側に、
医療機関が明示すれば、
毒抜きでも可能になります。
毒無しのアバスチン単独で使った患者さんは、
たくさん診ていますが、
単独でも効果は期待できます。
大塚北口診療所では、
早速、明日から卵巣がんに対しても使います。
その解禁は、
予測されていましたので、
点滴開始が予測された患者さんでは、
Dダイマーの検査は、
すでにおこなっています。
致死的な副作用がある、
といっても、摩訶不思議なガンという生き物も、
牙を剥いて命を襲ってきますから、
武器としては、
仕方がない部分はあるように感じます。
肺がんに対するイレッサのような存在です。アバスチンの致死確率は、
イレッサのそれの半分以下という数字は出ています。
他の細胞毒とは違い、
吐気、倦怠感、脱毛、神経障害などの、
身体的な副作用は極めて軽微のようです。
腎臓機能障害や高血圧という副作用はありますが、
全般的に細胞毒よりは、
遥かに軽微であるように感じます。治らない病に対して、
武器が増えることは、
文句なく素晴らしいことだと思います。暗い世の中で、
チョッとだけ明るい話題でした。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
顔も見たことがない患者さんから、
メールで「医者って怖いです」と言われてしまいました。
間質性肺炎に発生した、
ステージⅣの肺がんに対して、
東京からはかなり遠くの患者さんのご家族から、
不思議なメールが来ました。
ご家族だけの時には、
無治療を勧められていたそうですが、
患者さんご本人が同席となると、
標準どおりのカルボプラチン+パクリタキセル、
さらにTS-1の内服を追加して、
治療をはじめましょう、とか???
無治療から一転かなりの治療(儀式?)です。
それでそのメール中には、
「医者って怖いです」という一文が入っていたのだと思います。
セカンドオピニオンの依頼でしたが、
一応私も医者ですので、
露骨に「怖い」と書かれていたら、
「怖いヒトのところへは来ないほうがイイですよ」
という返信になります。
そのようなときには、
「無治療・放置の勧め」という宗教を布教している、
「医者モドキ」も存在しているそうですから、
その教祖様にタップリとお布施を持って、
説法をいただけば、
きっと無治療への納得もできると思います。
しかしじつは、
その医者モドキが、
マスコミを躍らせ、踊らされて、
医者を悪者、怖い存在に仕立て上げている、
元凶のような気がします。
でもそのヒトは医者ではなく、
「医者モドキ」ですから、
本人は怖くはないと思います。お布施と言えば、
日本の何処かの知事さんが、
巨大医療法人から、
スゴイお布施
「お・も・て・な・し」を受けていたそうですね。
きっと白々しく
「合掌」もされたのではないでしょうか。
某新聞では知事さんは1億5千万円をおねだりしたと書かれていましたが、
とりあえずお借りした?
お布施5000万円のキャッシュをそのまま貸金庫に、
1年近くも眠らせておくとは、
随分と豪気な人ですね。
選挙前に借りた?らしいお金でも、
政治資金ではないと言っているそうですから、
オリンピックの要人への、
「お・も・て・な・し」にでも使う気だったのでしょうか。
7年間運用すれば、
相当の配当も出たでしょうに、
それはできない類のお金だったのでしょうね。
キャッシュの5000万円は、
5Kgの重さです。
私のギックリ腰は直ぐにぶり返しちゃいます
今の日本では国中、
何が善で、
何が悪か、
まったく分からなくなってしまいました。フクシマの原発事故後、
「放射線は安全・被害は無い」
が流行り出したころから、
世の中の秩序の乱れが、
急に加速してきたように感じます。
ウソをつくのは当たり前の世の中に豹変しているように感じます。
むかしは遠く遠くの海上での原水爆実験でも、
「死の灰」と恐れていたのはいつのことでしょうか。遠い遠いソ連からの、
「死の灰」も恐れていたのに・・・
終息まで40年ほどかかるそうですが、
40年前の日本はでは、
「死の灰」という言葉は生きていたように感じます。
同じようなことを書いている
医者のブログを見つけました。
面白い内容です。
是非、ご一読を。
私は知りませんが、
本日は、むかしの「新嘗祭」、
敗戦後から「勤労感謝の日」で祝日です。
今は土曜日はお休みの業種も多いようですので、
旗日でもあまり感謝する人はいないように思いますが、
「勤労に感謝」
「収穫に感謝」
なんかより、
大金の
「お・も・て・な・し」のほうが、
感謝されるみたいですね。
がんモドキで亡くなられた奥様が、
全責任を負うのでしょうか。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
テレビで流されている、
お気楽な刑事番組などを、
肴・BGMにして一杯やることも多いのですが、
フト考えると、
数日前の
「がん免疫細胞療法は有効?」などで書いてきた、
「有効症例」は、
テレビや小説・映画のドラマと同じですね。
癌を「ガンもどき」と流布している「医者モドキ」も、
いまだにご健在だと聞きましたが、
その「モドキ」氏の主張も同じですね。
小説は当然はじめからストーリーは作られています。小説ではご丁寧に犯行前の状況から描かれています。
そして筋書き通りに物語が進んで、
はじめから決められた結末で終わるように作られています。
放置治療?も含めて、
様々ながん治療の奇跡的結果は、
それが終わった後に、
極めて希な経過で、
生きている人間の筋道だけが描かれています。ほとんどすべての患者さんは、
そのような作られたストーリーとは違う、
経過を辿っていることについて、
それを読む患者さんは、
まったく知らずに、
ただ生きている、
あるいは長生きした症例の報告だけを興味深く読み、
そして都合の良い部分だけ、
自分と結びつけて、
それが真実、すべてと勘違いしてしまう。破り捨てられた原稿用紙を読み返す人間はいません。
その文章を書いた人間だけが、
破った(PCでは消去)内容を知るのみです。
何回も何回も書きなおせば、
素晴らしい名探偵を作り上げ、
難事件を解決するのは簡単です。
エビデンスとは、
すでに亡くなった数多くの患者さんの命の軌跡を統計化しただけです。これから治療をおこなう、
あるいは無治療で放置しよう、
という個々の患者さんにとっては、
大まかな道標に過ぎません。実際にその治療の実験台として、
統計データの基礎になってくださった多くの方々のなかには、
無治療のほうが良かったという患者さんも、
おそらく存在していたと思います。
しかし同一個体は存在しないため、
比較はできません。
エビデンス・EBMの名のもとに、
治療をおこなっても、
あるいは無治療で放置しても、
それが個々の患者さんにとって、
損だか得だか分からない、
将来は見えないのが現実です。ただし大きな副作用を発生させるであろうことが、
あらかじめ予測されるような標準とされる治療では、
エビデンスが示す数字は、
治療開始からの時間ですから、
本日、無症状の、
しかし治らないガンが発見されたからといって、
明日からその治療を開始するのは、
如何なものでしょうか。
1週間後、1ヶ月後、半年後から、
治療を開始しても、
日常生活に大きな制限を受けるほどの、
自覚症状が出る前では、
すなわちPS.0または1の段階では、
標準治療ならば、
どの時点でその治療(儀式?)を開始しても、
エビデンス上の時間は変わらないことになりますから、
毒が注ぎ込まれる前の平穏な時間を楽しむことが可能です。標準治療執行は、
待てば待つほど、
平穏な時間がたくさんもらえることになります。エビデンスに縛られるとは、
そういう矛盾を抱えています。その点、ガンを「モドキ」かも知れない、
と考えて一時立ち止まることは、
賢明なことかも知れません。
ごく希にモドキが存在することは事実です。勿論、手術 → 根治を望むことが可能な患者さんでは、
速やかに手術を考えるべきです。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
治らないがんを宿してしまった患者さんでは、
現在無症状でも、
今後発生するかも知れない痛みに対する恐怖は、
薄っすらとアタマの中を過っているかたも少なくないと思います。
私自身、過去に何回も経験していることですが、
自然治癒力が年齢とともに衰えていく状態での、
厳しい腰痛では、
かなり悩まされました。
QOLという言葉が、
アタマの中を何回も往復していました。
治る可能性がほとんど考えられない、
がんを宿した患者さんの場合、
QOL(Quality of life)を第一に考えて治療を組み立てますが、皮肉な目でみると「QOL」には「Quantity of life」
Quantityとは「量」のことです。
「命の量」すなわち生きている時間という意味もあり得ます。現在、盛んに叫ばれているQOLのQが、
Quantityに何時の間にかすり替えられているような気もします。
エビデンスどおりに量・Quantityを追求すると、
本来のQOLも大きく落としてしまいますが・・・それはともかく、
痛みはQOLを大きく落とします。
じつはQuantity of lifeも減少させます。
食べられなくなりますから。あまり観ませんが無症状から、
身体を動かせないほどの激しい痛みが、
突然、襲ってくることもあります。
今回の私自身の痛みは、
何とか自分でコントロールすることができましたが、
痛みに対する専門家は、
多くの場合緩和ケアを専門とする医療機関で活動しています。
緩和ケアというと、
その名前を聞いただけで、
それは避けたいという気持ちもあると思いますが、
緩和ケアは、
末期の状態で死を待つために行くだけのところではありません。
文字通りの「緩和」のための「ケア」をしてくれる病・医院も、
たくさんあります。
勿論、入院などせずに在宅でのケアも十分に可能になってきています。私の価値観では、
治ることは期待できなくても、
平穏な日常を破壊しない程度のがん治療は必要だと考えます。
それと同時に、
将来のQOLを考えるならば、
無症状のうちから緩和ケアに足を運んでおく必要もあるように感じます。
昨日は久しぶりの診察日で、
適度に混み合いましたが、
無事終了できました。
今くらいなら、
自分自身で疼痛管理ができますが、
もっと酷くなったら、
餅屋に任せなければならないかも知れません。
美味しい餅は、
早めに準備をしておくほうが無難だと思います。
お正月も近いですし。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
本日は私自身の、
文字通りの骨休めの3連休が終わり、
再始動日でした。
ヒマな時間を持て余すというのは、
本当に贅沢なことだと思います。
これに腰痛が無ければ最高でした。
人間ヒマな時間があると、
イロイロと考えます。
現在の日本では、
ほぼすべてのがん治療は、
エビデンス・EBMに則って執行されています。
その統計データを如何に読むかは、個々の患者さんが判断することです。
医者にとっての錦の御旗にだけしておくのは、
もったいないと感じます。大塚北口診療所では、
標準的に大量の細胞毒を注入する治療はしておりません。
すなわちエビデンスどおりの治療はしておりません。
しかし何回も書いているとおり、
エビデンスで提示されている、
平均的な数字より、
短い時間しか治療を継続できなかった患者さんはごく僅かです。
個々の患者さんを、
それぞれ一人一人診ていけば、
十把一絡げの標準よりは、
長くなるのは当たり前だと考えています。
当然、治らないならば副作用で人生を壊すことはしませんから、
ラクで楽しく長い人生が得られると思います。
しかし大塚北口診療所で診ている患者さんは、
標準治療を受ける患者さんとでは、
ガンの性質ではなく、
それを宿した個人に、
かなり質の違いを感じます。見知らぬ患者さんから、
セカンドオピニオンの依頼のメールが時々来ます。
たまに同業・プロの患者さんもいますが、
ほぼ皆さん素人であることは、
百も承知でセカンドオピニオンを受け付けています。
しかし、素人と言うのも憚られるほど、
何も知らな過ぎる患者さんからの依頼もあります。
「がん」と云う病気・治療の概念すら分かっていない。
「がんです → 手術しましょう」という真っ当な主治医から、
「手術はイヤ」だけで逃げ出して、
病理検査結果も分からないまま、
放射線治療に逃げる。
予想どおり再発したけど、
次は如何したら良いのか分からない。
放射線治療を受けているのに、
放射線被曝が怖いからCT検査はイヤ。
勿論、セカンドオピニオンはお断りしましたが、
ここまで支離滅裂な患者さんは珍しいと思いますが、
「ガンなんか、抗癌剤一発ブッタラ治るっぺヤ、なぁ先生!」という教養の患者さんにお会いしたこともあります。
当然、治療はお引き受けしていません。
その患者さんは、すでに現世にはおられません。
かなり極端な患者さんもお会いしてきましたが、
少なくとも大塚北口診療所に来られている患者さんは、
皆さんシッカリと知識をお持ちであるように感じます。
日本には良し悪しは別にして、
世界に冠たる国民皆保険制度が存在して、
ブランド病院神話もあり、
「抗癌剤一発・・・」という知識レベルの患者さんのほうが多いのではないでしょうか。そのような患者さんをすべて十把一絡げにて、
標準治療に放り込み、
ガラガラポンで出て来るデータよりも、
個々の患者さんを診ていくほうが成績が良いのは当たり前です。大塚の近くに、
有名大学への進学率が高いことで知られる、
有名中学・高校がありますが、
私が高校生の当時は、
かなりのおバカ学校として有名でした。
現在その学校での教育方法が大きく変わり、
有名大学への進学率が高くなったのではないような気がします。
40年以上むかし、私の高校も進学率の高い有名校の一つでしたが、
学校では何も教えてくれませんでした。
野球の巨人が負けた翌日には、
「今日は休講にするから、お前ら何処かで遊んで来い」
などいうのは当たり前の学校でした。
大塚近隣の現在有名な進学校も、
特別な授業に変更したのではなく、
生徒の質が変わっただけ、
であるような気がします。
大学への進学など、
人生において大きな意味を持つとも思われませんので、
ドウでもイイのですが、
患者さんの命・人生に直結する、
癌と云う病への対処は、
個々の患者さんの問題意識・知識で、
大きく変わります。
おバカな生徒が有名高校に迷い込んでも、
イイ大学には入れないと思います。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
今、このブログは、
WORDで文章を作り、
自分自身でアップしていますが、
そのアップをすると、
「記事を保存しました」という画面が出ます。
その画面には様々な広告のホームページが出てきます。
日々変わっているように感じます。
広告主が何処かにお金を払ってのことだと思いますが、
その詳しいメカニズムは知りません。
ちなみに私には一銭のお金も入っては来ません。
逆に年間、幾らかは支払っていますが・・・
本日の記事のアップ時には何が出て来るか知れませんが、
昨日アップの時には、
かなり怪しい免疫治療クリニックの宣伝が出されていました。
免疫細胞療法と他の代替療法との混合治療のようです。
偶然にもそのクリニックが開院予定の前に、
私自身が「院長になってもらえないか」という、
オファーのあった名前と場所が同じ、
免疫細胞療法をおこなうクリニックでした。
かなりの高給でしたが、
即決お断りしました。
皮肉なことに、
患う患者が居なくなれば、
医療者は廃業します。
「トマトが赤くなると医者は青くなる」という皮肉は,
正直な言葉だと思います。
しかし、がんを宿した患者さんが落としていくお金で、
自分の生計を立てることを考えると、
治らないがんに対する治療は一切できなくなります。
癌なんかこの世から無くなればいいのですから、
その矛盾には耐えられません。そのクリニックのホームページで掲載されている、
「有効症例」なるモノを見ましたが、大塚北口診療所でも、
半分以上の患者さんで、
それ以上のQOLと時間を得ていると思います。
一部直近の別の医療機関での自費治療を併用している患者さんもいますが、
皆さん健康保険の範囲内です。他の自費治療クリニックでは、
明らかに怪しい、オカシイと思われる内容の、
客寄せ、鴨葱ホームページもたくさんあります。
それらに比べると。
真偽の程は確認のしようがありませんが、
かなり正直な書き方をされている印象がありました。
その免疫治療が有効であるという症例報告に上がっていたのは、
抗癌剤治療と併用しているケースがほとんどでした。
とても正直そうで、
ヒトを騙そうという意志は感じられませんが、
「有効症例」の患者さんが長く生きている最大の要因は、
抗癌剤治療がメインディッシュであり、
おそらく免疫細胞療法は、
そのアシストだったと思います。しかしご丁寧に、
多くの症例で免疫細胞療法〇〇回と書かれており、
さらに別のページではその値段も掲載されていました。
皆さん数百万円は投資しているようです。
1年間に数百万円という患者さんばかりのようです。本当にその金額を支払えば、
確実な延命、QOLが保障されるのであれば、
経済状況と価値観に依ると思いますが、
必ずしも高過ぎる治療費用だと考えない患者さんもいると思います。
しかし当然ながら、
ホームページでは、
何人の患者さんにその治療を実行して、
何%のかたが、
その恩恵に与っているのかは、
触れられていませんでした。統計学的に、
もし一人平均500万円の費用をかけることで、
平均6ヶ月間の延命が叶うということになれば、
1年の延命に1000万円を賭ける価値があるか否か、
その点まで十分に考えなければなりません。
有効症例に挙げられていた多くは、
ステージⅣの、
所謂、末期ガンであったようですが、
実際には、
無効症例のほうが遥かに多いのではないでしょうか。
平均では6ヶ月の延命はないように感じます。
もし平均2ヶ月の延命で平均500万円だと、
1年の寿命を得るために、
3000万円必要という計算になります。
しかし癌は再発してしまえば、
致死確率が100%に近付きますから、
再発予防治療としての、
免疫細胞療法は、何回か書いているとおり、けっして無駄な投資だとは考えていません。しかし末期ガンで、
希に見られた「有効症例」というエサに飛びつくのは、
如何なものでしょうか。
慎重な判断が必要です。末期状態のガンでも、
希に免疫細胞療法で大きな効果が得られる事実も見てきました。
勿論、抗癌剤治療との併用です。
それらの「有効症例」に共通しているのは、
細胞毒で大きなダメージを受けていないことと、
「ガンそのものの経過が緩慢」ということのように感じます。
そして治ることはないのは事実です。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
昨日の「リスクとメリット」は、
誰・だれさん、という特定した感覚は無く書いたのですが、
その文章を後から見て、
フト考えると、
すでに治らないがんを背負った患者さんでは、
いつ爆ぜるか分からない火中の栗のような、
リスクのある治療でも、
自ら進んで取り出す傾向にあり、
一方、再発確率が高くても、
まだ再発を観ていない患者さんご家族では、
先ず、安全第一に考え、
リスクを冒そう、
火の中から栗を拾って美味しく食べよう、
という気にはならないかたが多いように感じます。
勿論、標準治療による再発予防というのは、
得られるかも知れないメリットに比べれば、
失うモノのほうが遥かに大きいように感じます。
当然、それは私の勝手で個人的な価値観だけから判断した場合です。
高い確率起こるであろう再発を待っている患者さんでは、
再発を抑制できるかも知れない、
しかしリスクもゼロではない、
火の中で爆ぜる栗程度より、
再発をきたすリスクのほうが
遥かに大きいように感じる、
治療?お呪い?も幾つかはありますが、
小さなリスクについて自己責任が持てなければ、
何もできません。
確率が高いと言っても、
100%という確率を誇る再発後の患者さんと、
未再発の患者さんでは、
大きく違いますから、
それを勧めたり執行したりする側も、
慎重にならざるを得ません。
話しは変わりますが、
本日は
一昨日の「休診」で書いたとおり、
昨日から続けて、
朝風呂にはじまり、
一日中のんびりの生活を送り、
歳とともに鈍ってきた回復力も、
少しは残っているようで、
しぶとい腰痛は、
無理すれば本日も出勤可能な程度に、
随分と改善してきました。
(じつは先週の金曜と土曜日はかなりの無理をしました)
明日はいつもの予定通りの休診日ですので、
水曜日の予約診療には十分に耐えられそうです。
リスクも伴う、
少々乱暴なクスリの使い方もしましたが、
それも奏功しているようです。
もしこの治療で、
トラブルが起きたら訴訟でしょうね。
でも訴える相手が居ない!
困った。
腹癒せに、それを作った製薬会社でも訴えますか・・・
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
「Risk & Benefit」という言葉で一括されますが、
がん治療に限らず、
病に対する治療では、
ほとんどの場合、
危険性・リスクを伴います。
そのリスクが、
得られるメリット・Benefitより小さい、
と判断される場合にだけ、
治療という行為は成立します。
随分とむかしに見てきたアメリカでは、
「Cost & Benefit」も、
国だけではなく、
個々の患者さんにとっても極めて重要な判断材料でした。
私の個人的な考えでは、
「治らない癌」に対する治療の場合、
吐き気、食欲不振、倦怠感、神経障害などの見えない副作用も、
リスクだと考えています。
限られた時間を、
奪ってしまうことになるのですから。
勿論、イレッサやアバスチンのように、
致死的な副作用・リスクを伴う場合には、
十分に注意して、
そのリスクをご本人ご家族に理解いただいた上でなければ、
使うことは許されません。
いずれの薬剤も、
そのリスクより、
メリットのほうが遥かに大きいと感じますが、
判断するのは患者さんの価値観です。
いろいろな患者さんを診ていると、
「Risk & Benefit」など、
当然、知っているはずなのに、
様々な情報から、
Benefitすなわち利益だけを追い求め、
それだけを得たいと考えて、
Riskについては、
医者に押し付けという印象を持ってしまうかたもおられます。
Riskは極めて小さい薬剤でも、
Benefitの確証が無ければ、
それこそエビデンスが無ければ、
そのような薬剤を使いたいとは考えません。
むしろ知識に乏しく、
「Risk & Benefit」についても、
あまり意識の無い患者さんでは、
私のほうから、
「こういう方法・クスリもあるけど、
確立された方策ではなく、
効くかも知れない、保険でも処方可能、
でも多少のリスクもありますけどドウしましょうか」
と投げかけることもあります、
そのとき、
多くの患者さんでは、
「試してみたい」という答えが返ってきます。
がん治療に限らずですが、
本来すべての治療において、
それを受ける患者さんが主導権を握っているはずです。
しかし、それは結果責任も負っていることにもなります。
結果責任を負うことは避け、
それは医者に任せて、
利益だけを得たいと考えていると思われる患者さんも、
ごく希に見ます。
それが見透かされてしまったら、
医者は無難な治療を選択すると思います。
自己責任は重要です。
標準治療だけが粛々と執行されていく背景には、
現在の日本人での、
ご自身の病・治療に対する自己責任の欠如も、
一因のような気がします。
随分と改善してきましたが、
私の腰痛に対する治療も、
少々ヘンテコな組み合わせの薬剤と、
物理的な方法を使っています。
これは他人様には絶対に勧められません。
すべて自己責任です。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
本日は忙しい一日でした。
じつは一昨日の木曜日に、
体調管理のためのOS-1を、
箱買して店のすぐ前に停めた車まで運ぼうとして、
箱に手をかけた瞬間、
「これを持ち上げてはダメ!」という、
天の声が聞こえたように感じ、
店員に車まで運んでもらいましたが、
その持ち上げようという姿勢そのものが悪かったのか、
帰宅後、急に腰が痛くなりました。
金曜日はあまりにも痛すぎるので、
何かヘンテコなモノでも発生してきたのかと思い、
CTの検査をおこないましたが、
以前から確認されている、
腰椎の変形だけでした。
所謂、ギックリ腰、腰筋筋膜症だけのようでした。
そもそもCTのために、
その検査台に乗って横になった時点で、
相当にラクになりましたので、
タダのギックリ腰だと思われます。
昨日よりは、
かなり軽減されていますが、
来週月曜日の診察までに軽快するか否かは不明なため、
月曜日は休診にしました。
予約の患者さんは、
本日か来週に振り分け、
月曜日の予約診療、セカンドオピニオンとも、
すべて休診になりました。
歳は取りたくないですね。
随分むかしに、
このギックリ腰で、
動けなくなって、
「明日の町田の診療は救急車かな」
などとのんびり考えて寝た翌日には、
完全とは言えないまでも、
車で1時間以上かかる町田まで、
一人で運転して通院(出勤)したこともありますが、
歳とともに、
回復力も確実に落ちるようです。
そうして人間は歳をとり、
いずれの時期かに死んでいく。
それがヒトの運命ですね。
明日から、
3日間のんびりと風呂にでも浸かり、
寝まくって養生します。
本当の病を患っている患者さんも
お大事になさってください。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
昨日の「抗癌剤治療の信憑性」でも書きましたが、
何を信用してイイのかは、
ご自身の確固たる価値観がないとできません。
エビデンス・EBMなどという、
製薬会社と医者の言い訳なんて信用すると、
酷い目に遭います。
エビデンス・EBMが独り歩きを始める前の、
「癌」という病名告知もできなかった時代、
私は現役の外科医でした。
手術の前には放射線科医と外科医、
時には病理医も加わりカンファレンスがおこなわれ、
手術の適否を決めていました。
当時、手術が可能か否か、
すなわち、その患者さんが長生きする可能性があるか否か、
微妙な状態で診断された時、
放射線科医から、
「画像診断上(ガンが)ここまで来ているから根治手術は無理でしょう」
という意見が出た場合、
根治性が無くても、
その手術にメリットがある場合以外は、
手術は不能と判断されて、
患者さんは内科に送られました。
その当時、
「アーァ、あの人もアッサリ毒殺されちゃうね、お気の毒に」
「でも、あの症例で(ガンを)取りきれば、
切り殺しになりかねないから仕方ないね」などという会話が外科医の間ではよく交わされていました。
当時から、
勿論、治らないガンに対してですが、
外科医の間では、
「抗癌剤治療」=「毒殺」という認識がありました。それを一番嫌っていた医者が、
1990年代に颯爽として登場してきた、
「延命効果のエビデンス」に飛びつき、
「毒殺」ではない、
「治療」であるという、
唯一の拠り所にしました。
そして現在も、
大きな進歩はみていない同じような治療が繰り返されている。
(当然、大きな進歩か否かは、
単なる個人の価値観に依るモノです)
その間、
がんを患う患者さんとって朗報・画期的だったのは、
ハーセプチンやアバスチン、イレッサなど、
ごく一部の分子標的薬や、
ホルモン剤くらいでしょうか。
細胞毒の進歩、
その副作用対策では長足の進歩もありますが、
「毒」は所詮「毒」であり、
大きく進化したようには感じません。ハーセプチンでは予想を遥かに上回る効果が実感されます。
ハーセプチンが出て来る前は、
ハーツー蛋白の過剰発現は、
ともかく予後不良の最重要因子でした。
しかし発売当初、
10%以上の細胞でのハーツー蛋白の過剰発現という基準が、
何時の間にか、
30%以上に引き上げられ、
使うことが許される患者さんが減りました。
しかし、つい先日の論文で、
再び10%以上でも十分というデータが出されてきました。
日本国外では、
基準もすでに変わったようです。
薬価が大きく下がったからでしょうかね。癌という人間の命に係わる病でも、
「基準」は、
様々な事情で変化していきます。随分と不思議な世の中に感じます。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
昨日の「ドセタキセルと乳がん」でも書きましたが、
現在の世の中は、
相当に腐っているように感じます。食品の偽装というより、
ほとんど詐欺のような状態。
米も福島県産米が別の県のブランド米に化ける。
「輸入の日本産米」が出回る。
金融機関の頭取も何回謝罪会見をしているやら。
鉄道会社が安全策対策の数字を偽装・捏造する。
件の原発事故では、
汚染の拡大防止どころか、
被ばく者の甲状腺検査に集計ミスまで発覚したそうです。そういえば、
昨日テレビニュースで流れていましたが、
原発事故当初、絶対に必要な情報を、
国民に隠し徹し被害を拡大させた、
福耳の貧乏神みたいなのが、
秘密保護法案反対とは茶番に感じました。
抗癌剤治療では、
エビデンス・EBMなどという、
虚しい言い訳のような言葉が登場してきたのは、
1990年代半ば頃のことです。丁度その頃はじめて、
抗癌剤治療患者群と、
完全無治療患者群で、
ごく僅かな延命効果があるかも知れない。
統計学的に、
何とか差があるように、
見せかけることができるようにまで進歩した時代でした。それまでは、
延命効果などについては、
まったく証明されていませんでしたから、
患者さんのほうから「エビデンス」などと言いだされたら、
医者は何も言えなくなってしまう状態でした。
私が医者になった時代にも、
概念的にエビデンスという考え方はありましたが、
現在のように、
その言葉だけが独り歩きをすることはありませんでした。
しかし、とりあえずエビデンスらしきものが出された途端に、
掌を返して、
抗癌剤治療を執行する医者の方から、
「このエビデンスが目に入らぬか」と、
まさに黄門様の印籠のように振りかざすようになりました。
しかし、そのエビデンスは、
本当・真実でしょうか。それが作られるプロセスは知っています。
抗癌剤では担当したことはありませんが、
抗生剤で治験を担当したこともあります。
ダブルブラインドという、
一見、公明正大に見える手法で、
臨床試験をおこないました。
その実態は公明正大ではないという現実もみてきました。
現在ありとあらゆる大企業が、
正当ではない行為に手を染めているように感じます。
そのほころびが、
国民生活で一番大切な安全や、食品、お金に対して
露呈してきました。医療だけは信頼できる、
という状態ではないことは、
件の降圧剤の一件で露呈しました。勿論、抗癌剤は大企業である、
製薬会社が開発し臨床試験を実施して、
ある程度のデータが捻出され、
その結果を観て、
お上のお許しが出され、
世に出てきます。
その時、お上がご覧になる数字がエビデンスです。今の世の中、
「その過程だけには一切の嘘偽りがない」と
言い切ることのほうが、
無理があるように感じます。患者集団から出て来るエビデンスなど、
製薬会社と医者にとっての錦の御旗であるだけです。製薬会社は後発薬品という天敵が出て来ると、
その御旗は必要なくなるから、
とっとと捨てる。
標準的抗癌剤治療だけを執行していた専門医はお気の毒です。
その時、製薬会社というパートナーに裏切られたかたちの人達は、
ダンマリを決め込みます。エビデンスは、
個々の個性豊かなすべての患者さんが持っている、
個別の数字であるはずです。あまり信用ができない現在社会で、
「抗癌剤治療のエビデンスは正しい」
と考えることから、
間違っているように感じます。TS-1ではない、
経口補水液OS-1という水を、
私自身の体調維持のために、
ここ2週間ほど毎日数本飲んでいます。
どうも、この水は、
電解質バランスに問題がなく、
健康状態がよろしい時には、
不味く感じるそうです。
はじめは、まさに乾いた砂に水がしみこむ如く、
身体に吸い込まれていく感覚がシッカリと分かりました。
本当に美味しく感じる水でした。
しかし、昨日くらいから、
あまり美味しいと感じなくなってきました。
ということは、
バランスが徐々に改善してきたことかも知れません。
それも私一人にとっては立派なエビデンスだと思います。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
丁度3年前の12月のサンアントニオの乳がん学会で、
驚くべき報告がありました。
パクリタキセル(タキソール)の上乗せ治療には、
乳がん手術後の再発予防効果は無いという、
画期的な報告でした。その翌日には、
同じ学会で、
ドセタキセル(タキソテール)には、
立派に再発予防効果があるという報告が出されました。
その報告があるまで、
乳がんの再発予防にはタキソール(パクリタキセル)が、
非常に大きな効果があるという神話が広がり、
日本中、恐らく世界中で、
使われていたと思われます。報告された時期には、
すでに足を洗っていましたが、
私自身むかしは犯罪人の一人でしたから、
同系統の薬剤で、
何故ここまで違うのか悩みました。
一つの疑問に行きつきました、
タキソール(パクリタキセル)に再発予防効果が無いらしいことは、
手術後5年と9年という中途半端な時期で出されています。
タキソテール(ドセタキセル)は手術後5年と10年という、
切りの良い数字で出されています。
何故、9年目のデータを持ちだしたのか?
丁度、その時期には、
タキソール(パクリタキセル)の特許が切れて、
安い後発薬品を世界中の製薬会社が作ることが許された時でした。それまでは一社独占ですから、
ネガティブなデータなどは出てきません。
しかし、高額なパクリタキセルが、
後発薬品に押されて売れなくなることは、
目に見えていました。
実際にそうなっています。
そうなると儲けという旨味の無いクスリは、
その会社には必要なくなる。
そこらへんに二つの薬剤でのデータの乖離の謎が、
あるような気がします。3年前にはタキソテール(ドセタキセル)は、
一社独占でした。
現在も同じです。
しかし今年のサンアントニオの乳がん学会の頃には、
特許が切れて、
後発薬品が世界中で売られるようになります。
そうなると旨味が消えますから、
じつは15年目のデータは、
まったく同じ、
すなわちそれを使っても使わなくても、
再発・死亡確率は同じでした、
という報告が出て来るかも知れません。
残念ながら私の母校も絡んで、
降圧剤のデータ捏造事件が明るみに出てしまいましたが、
その程度の改竄は、
何処でもあるような気がします。日本の北のほうの鉄道会社も、
安全規定に対して、
随分と酷い改竄をしていたようですし、
日本中でヘンテコな海老が出回っているし、
絶対に安全な原発も、
あのとおりで、
虚しい終息宣言から30年も40年もかかるそうで、
そもそも収束できるか否かも不明なようですから・・・以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
ここ数日、
エビデンス・EBM・標準治療のことを、
随分と否定的に書いてきましたが、
やはりドウ考えても、
自分や身内の人間が受けたい治療だとは考えられません。基本にevidenceがないのは
「治るかどうかわからないことをしている」ということになります。
・・・・・・
何をしようがするまいが「100%の確率で死に至る」ことくらい
お調べになられているでしょうに。
この文章は支離滅裂ですね。
正常な思考回路がショートしてしまったようです。
この医療者らしき「暇人」君は、
大丈夫でしょうか。
他人事ながら心配になります。僅かな延命効果があるかも知れないという標準治療で、
苦しんだ挙句の確実な死を選ぶくらいなら、無治療・放置で現在のラクで楽しい時間を過ごす方が、
遥かにマシです。
お金もかかりません。私自身も細胞毒をタップリと、
生身の人間に注入してきたという犯罪歴があります。
勿論、現在の医者もそうでしょうが、
悪いことをしているという気持ちはありませんでした、
患者さんのためになると、
錯覚しての犯行でした。
ある時、
そのあまりにも凄惨な行為の矛盾に気が付き、
それ以降は、
人間としての患者さんが、
何を望んでいるのかを考えて、
その望まれる治療に移行していきました。
エビデンスを望んでいる患者さんなど、
ほとんど存在していないことも知りました。
アレは、医者の鎧です。
自分自身には、
エビデンスどおりに苦しんで死に至る治療など、
絶対に執行しません。
20年前には抗癌剤治療は、
入院治療でおこなうのが一般的でしたから、
点滴後の副作用も毎日診ることができました。しかし現在では、
医療費削減の大命題のもと、
外来点滴が主流になってしまい、若い医者は、
その点滴を受けて病院から帰られた患者さんが、
ご自宅でどれほどの苦しみを味わっているのか、
知ることができません。今後は患者さんの苦しみを診ることのない若い医者が、
ドンドン増えてきます。
入れただけであとは知らんぷり。治らないガンを宿してしまった患者さんは、
必然的に標準的な拷問に遭ってしまうことになるのでしょうね。
願わくは、
9月22日の「アメリカのがん治療」でも書いたように、
アメリカ追従の日本のがん治療も、
「ヒトを診る」
方向へ転換して欲しものです。
あと30年後くらいでしょうか、
その時にはすでに私はいません。
その頃までには、
「暇人」君も気付いてくれれば良いのですが・・・
現在の標準治療で唯一考えられるメリットは、
拷問のような、かなり辛い思いをしなければなりませんが、
その拷問は長く続くことはなく、
しばしの我慢で、
自由の世界へ解放されることでしょうか。治ることが期待できない病に対して、
5年も10年も治療を続けるという行為は、
身体に負担が無いからできるのですが、
精神的な苦悩は小さくないと思います。
乳がん手術後再発を確認してから、
すでに20年を経過した患者さんがいますが、
当然、治ってはいません。
標準的に3年で亡くなれば、
17年間も余計に悩む必要はなかったとも言えます。津波のような副作用の濁流に一気に押し流されて、
精神的に悩む余裕など与えられることなく、
自由の世界へ羽ばたくのも悪くないかも知れません。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
3日前の「矛盾だらけの抗癌剤治療・続き」および、
一昨日の「標準治療の根拠」、
さらに
昨日の「鬼手仏心」で、
私なりのがん治療に対する信念を書きました。
いずれの記事も過去に何回も書いている内容でした。
私はエビデンスなどは、
個性豊かな個々の患者さん、
および、一癖も二癖もあるがんという摩訶不思議な生き物の、
ご機嫌をうかがう一つの参考資料としか考えていません。現在、日本中で当たり前の治療として、
堂々と執行されているエビデンスに縛られた標準治療・EBMは、
医者が説明義務をシッカリと果たしていない証拠ではないかと考えます。シッカリ説明されたら、
その病院からは逃げ出すと思います。私が「大した」説明もなしに治療をおこなっているかのような投稿でしたが、
大塚北口診療所は山手線の大塚駅から徒歩1分という、
立地条件だけは優れていますが、
場末のピンサロに囲まれた環境の、
名もない診療所などで、
説明なしに、
死亡確率100%の病を診ていたら、
大塚北口診療所は訴訟の渦に巻き込まれます。
大塚北口診療所では、
天国に逝く前に、
現世で楽しい生活を、
可能な限り長く送ってもらうことを最重要課題として、
癌という獣を大人しくさせるだけの治療を続けますが、一般的にがん治療における主要目標である、
生存期間は間違いなく、
標準よりは長くなります。肺がんでは標準治療で心身とも疲れ果てた状態で、
はじめて初診になった患者さん以外では、
6名だけ標準時間を切ってしまったかたがおられます。
イレッサの副作用で亡くなられた患者さんもいます。
お一人は昨年の2月に、
本当に急逝されました。
それ以降は一人もいません。
平穏な日常生活を送りながら、
治療を続けています。
しかし、はじめに受けた標準治療の回数が多い患者さんでは、
最初から標準を無視(参考に)して治療を開始した患者さんより、
明らかに予後は悪い、
という相関関係はシッカリと成り立ちます。がんを背負った患者さんご自身を苛めないことが、
延命につながっているのだと思いますが、
日本中、無数にあるがん治療拠点病院を避けて、
大塚まで来られる情報力、知性と、
生存期間は比例しているようにも感じます。一昨日の「標準治療の根拠」に対して、
「医者兼がん患者」という投稿者からのコメントにもありましたが、
治ることのない癌に対する、
標準治療・エビデンスなど如何に虚しい存在なのかは、
少しはご理解いただけたと思いますので、
隠しておいたコメントを再度晒しておきます。
文章はお粗末ですが、
医療者(医者?)の本音のような気がします。「鬼手」剥き出しで、
「仏心」はまるで見えません。こんな人たちに、
自分の命・生活を決められたら嫌ですね。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
一昨日の「矛盾だらけの抗癌剤治療・続き」に対して、
以下のコメントありました。
誤解をしてしまう患者さんがいると困りますので、
すでに削除しましたが、
改めて誤解のないように私の考えを加えて掲示します。
匿名でしたが、
先日のコメントとは違う場所から発信されていました。
抗がん剤の副作用について、
先生はとてもネガティブな印象を持たれているようですが、
副作用と効果は背中合わせのものではないかと考えています。
(ご存知のように流行りの分子標的薬では皮疹の程度と効果が
相関することが度々発表されています。)
低用量の治療は副作用の頻度が少なくなり患者さんに優しいような気がしますが、
よく考えてみたら同時に「がん」にも優しい治療なのではないでしょうか。
また、製薬会社はあまり儲からないこと(低用量での臨床試験)はしませんので、
今後も先生の治療方針を支えるエビデンスが出てこないと思われます。
患者さんに説明する際、エビデンスがない場合どのようにお話しされるのですか。
「ネガティブな印象」とは少々理解に苦しみますが、
ポジティブとは反対の意味でしょうね。
副作用をありがたがる人間など、
よほどの変態でない限り存在しないと思います。
随分とむかしの
「治らないガン」でも書きましたが、
私は治る類のガンは診ておりません。
ドウ逆立ちしても、
B群以下のガンは治りません。
抗癌剤治療で期待できるのは、
僅かな延命効果があるかも知れない、
という事実だけです。仮に最大耐用量の細胞毒で、
大きな副作用に苦しめられた代償として、
ガンの縮小、
希に「見えなくなる」というご褒美をもらっても、
B群以下の固形癌が治ることはありません。「薬剤治療で縮小 → 根治手術」
が期待できる患者さん以外では、
治らないという事実は、
「終生治療を続けなければならない」
ということを意味します。何回も書いているとおり、
腹膜播種を伴う卵巣癌の手術後の標準治療などでは、
「治ったモドキ」状態で、
一定期間生活を送ることができる患者さんも、
相当数出ますので、
その「モドキ」を楽しみたい患者さんでは、
是非お勧めの治療だと考えます。
勿論、確率は低いながら、
治ったモドキが老衰死・他病死の瞬間まで続く患者さんも、
存在していることも事実だと思います。
しかし、その他の固形癌の場合、
「治療法はありません」という宣告まで、
終生の治療が必要になります。
もしも無治療期間が得られても、
それは極めて短い時間に限られます。
卵巣癌でも、
再発した場合には、
治癒確率は0 %になります。
そのような厄介者のガンを相手にした治療において、
平穏な日常を奪ってしまうほどの副作用が出てしまうのであれば、
その患者さんを終生苦しめることになります。修行の足りない私は、何回も書いているとおり、
天国はこの世で味わうべき世界であり、
現世で地獄の苦しみ受けて、
死後の来世に行くところだとは考えていません。それでもイイという奇特な患者さんがいれば、
吉野家の牛丼、マックのハンバーガーのように、
誰でも均一な標準治療も悪くはないと思います。
「副作用と効果は背中合わせ」という分子標的薬が存在していることは、
このブログでも何回か取り上げました。
しかし多くの細胞毒の副作用と効果は、
「背中合わせ」=「一対?」=「正比例?」
ではありません。ちなみにその分子標的薬を初回から大きく減量して使っても、
夜も寝られないという激しい皮膚症状という副作用とともに、
治療効果(ガンの縮小効果)が大きく出た患者さんも診ています。
効果の程は、
画像を患者さんご自身の目で視ても明らかでしたが、
「続けますか?」の問いに、
皆さん「治らない現実」を知っていますので、
「いくら効いてもこの副作用は嫌です」
「治らないんですよね」と同じ答えで、
頸を縦に振った患者さんは一人もいません。
副作用が容認できるレベルにまで減量して、
治療は続けます。
それでも効きます。
手術不能の肺ガンで、
5年を超えて治療を続けた(ている)患者さんは、
10名存在しています。
「肺ガン治療・虚しい争い」でお示しした、
「死亡曲線」では、
878人の患者さんで、
半数の患者さんは1年以内に亡くなり、
4年を超えて生きている患者さんは0です。
私が今まで診てきた肺ガンの患者さんは300人も居ません。
標準治療の犠牲になり全身ボロボロの、
本当の末期状態になってからはじめて来た患者さんを含めても、
200人程度だと思います。
平穏な日常を脅かすような副作用が発現したら、
その治療は直ちに変更しています。厳しい治療878人で0人、
「がんに甘い治療」で200人に10人は偶然でしょうか。勿論「そんな量」にエビデンスが存在していないことなど、
患者さんご自身が十分にご存じです。
すべての患者さんで治療法が違いますから、
エビデンスになろうはずがありません。
なお大塚北口診療所で私が、
エビデンスの存在しない治療をおこなっていることは、
来院される患者さんは皆さんご存じなので、
いちいち説明する必要もないのですが、
一応、エビデンスが存在しないことと同時に、
現行のエビデンスの内容についてご説明します。
しかしエビデンスどおりに死を願う患者さんは、
一人も見たことはありません。「鬼手仏心」とは、
根治を目指す外科医にとっては、
座右の銘にするべき言葉の一つです。
文字が示す通りの意味です。
急性白血病など、
治る可能性が多分に考えられる血液疾患では、
「鬼手仏心」は必要だと考えます。しかし、治らない固形癌に対する標準治療には、
「鬼手」しか見えません。「仏心」は何処かに置き忘れているように感じます。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
昨日紹介した、
かなり思慮の足りないコメントについて、
再度、検証してみます。
しかし、現在行われているEBM・標準治療には、
それを選択するにいたった根拠があります。
その根拠に言及せずに批判し「自分で考えて決めてください」はおかしいと思います。
対した情報提供もなしに、
医者に「治療するかしないか貴方が決めてください」って言われたら嫌でしょう?
それと同じことだと思います。
エビデンス・EBM・標準治療の意味については、
何回もしつこく書いています。
医療従事者らしい投稿者は、
「対した」情報提供もなしに、無責任に、
否、自分の責任回避のために、
標準治療を推奨しているのでしょう。
抗癌剤治療には、
毒ガス兵器が開発された後からの、
長い歴史がありますが、
30年近く前に、
延命効果があることが示唆されていた乳ガンなどをのぞくと、
他の種類のガンでは、
延命効果は示されず、
細胞毒による抗癌剤治療は、
癌による「症状の緩和」が目的でした。
現在でも、肺がん、胃がんなど多くの種類のがんで、
抗癌剤治療の主要目的は症状の緩和です。
しかし、無症状のガン患者さんに対して、
「症状の緩和」の目的に、
激しい副作用を観ないフリして、
大量の細胞毒の注入を続けるのは滑稽にすら感じます。
「対した」説明もしないから、
患者さんは騙されるのですね。
それが「標準治療」となっています。
そもそも比較的抗癌剤治療の効果が大きいとされる
大腸・直腸がんに対して、
無治療患者群と比較して、
抗癌剤治療患者群のほうが、
若干長生きする傾向があることが報告されたのは、
たしか1992年のことだったと思います。
肺がんでは、
2006年1月15日に紹介しましたが、
1995年、阪神淡路大震災の年に、
はじめてシスプラチンを含む抗癌剤治療患者群で、
完全な無治療患者群と比較して僅かな延命効果が、
あるらしいというデータが出され、
それ以降は、
イレッサ単独のエビデンスは出されていますが、
プラチナ製剤抜きの治験メニューはほとんど実行されず、
2006年1月17日に紹介したとおり、
2002年のアメリカのがん治療学会では、
少し進歩した「5.7ヶ月VS 7.7ヶ月」の、
虚しい論争がもたれ、「2ヶ月も延命できるなんてスゴ~イ」
「副作用?そんなモノドウでもイイよ」
「2ヶ月もあれば、立派な大義名分」とお気楽な閻魔様の勝手な裁定が下り、
それ以降延々と、
細胞毒攻撃は生きている人間に対して実行され続けています。現在では、
当時より若干進歩したようにも見える数字を、
丁度、1年前の「肺がん治療・虚しい争い」で紹介しましたが、
1995年に出されたデータ・エビデンスにしがみついているのが現状です。
2012年に出されたアリムタを投下したデータでも、
同様の数字が示され、
進歩していないことが示されました。
この二つのトライアルでは千数百人の全身状態良好の、
元気なガン患者さんの半分が、
実験動物のように概ね1年で死んでいきました。
通常、昨日まで元気に生活を送って、
明日、死ぬということにはありません。
通常の日常生活など送れない状態に陥り、
「治療法はありません」宣告を受けてから、
数ヶ月の苦悩の後の旅立ちになります。
現在行われているEBM・標準治療には、
それを選択するにいたったこのような根拠があります。そのエビデンス・数字にしがみつくのがEBMです。その価値を評価するのは、
医者ではありません。
それを受ける側の患者さんであるはずです。医者に「治療するかしないか貴方が決めてください」
って言われたら嫌でしょう?
とありますが、
非常に幸福なことに、
私自身が医者という卑しい人間ですので、
自分ですべてを決めますが、
激しい副作用を被り〇ヶ月以内に死ぬことが分かっている治療など、
絶対に選択しません。
しかし、医者ではない、
普通のヒトは、
大切なご自身、ご家族の一生を、
「対した」説明もなく、
医者という他人に決められるほうが、
よほど嫌なのではないでしょうか。この20年間で驚愕の進歩を遂げている画像診断技術を駆使して、
ステージⅣすなわち
「手術不能、選択肢は抗癌剤治療だけ」
と宣告された患者さんにおいて、
無治療と1年以内に半分の患者さんが死ぬエビデンスのある治療との、
生存時間の比較データは存在しません。
無治療であれば、
副作用は絶対に無く、
大きなお金をかけて、
多大な副作用に苦しむよりも、
もしかしたら長い時間、
人生を楽しむことができるかも知れません。
勿論、エビデンスはありませんが。当然その中間という選択もあります。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
11月6日の「矛盾だらけの抗癌剤治療」に対して、
当日の19時57分に
「暇人」という匿名で、
softbank1×608△16006□.b▽tec.net
というホストからのコメントが入っていました。
1573文字も費やした、
かなりヒマな医者?のコメントでした。
今までの最長記録ではないかと思います。
否、あまりにも凡庸なうえ支離滅裂な牒状だったので、
ただだらしなく長く感じただけかも知れません。
2時間後くらいに削除しましたが、
一部だけ再掲します。
何が言いたかったのかよくわからないんですが、
結局、EBMに基づいて現在行われている標準治療のどこにどのような問題があって、
医療者がどう考えているのか、もっと具体的に書いてもいいんじゃないですか?
・・・・・中間省略・・・・・
現在行われているEBM・標準治療には、それを選択するにいたった根拠があります。
その根拠に言及せずに批判し「自分で考えて決めてください」はおかしいと思います。
対した情報提供もなしに、医者に「治療するかしないか貴方が決めてください」
って言われたら嫌でしょう?それと同じことだと思います。
このブログは無料で見ることができます。
しかし、点けっぱなしのラジオやテレビ、
巷の景観を汚すポスターとは違い、
無理矢理、見聞きさせられることはないはずです。
ネットサーフィンで辿り着くか、
URLで行きつくか、
多少なりともご自身の意志が働き、
読まれているのではないでしょうか。
「何が言いたいのか分からない」のであれば、
すぐにこのページからは離れて、
ご覧にならないほうが賢明だと思います。
もし興味があって、
その上で言いたいコメント・主張があるのであれば、
8年近く書いている全文をお読みになったうえで、
コメントをお出しください。
1500字も費やした疑問は、
すべて解けると思います。
私がかつて××センターの責任者に対して、
その配下の職員の劣悪な資質につて抗議のために送った内容証明郵便と、
その責任者の返信の謝罪文の文字を合わせても、
800字にも至りません。
あまり文章を書くことには慣れていないように拝察される人間が、
1500字もの文字の羅列を作るのは「対した」ご苦労だと思います。
内容から抗癌剤治療に関わる医療者らしき人間のようですが、
何故、ご自身の出所身体を明かすことなく
「暇人」というHN・匿名での主張なのでしょうか???思うことがあれば、
先ずご自身の氏名を名乗るのが礼儀だと考えますが、
それは、まだお若い投稿者が崇拝しているらしい、
エビデンス・EBMには背くことでしょうか。
失礼、「崇拝」というより、
個々の患者さんを無視した、
「御神体」「錦の御旗」「黄門様の印籠」
と言ったほうが正確でしょうね。
他人のネットに侵入して、
相反する主張を広げたいのであれば、
先ず、氏名、所属を名乗りなさい。私の考えかたが絶対的に正しいなどとの自惚れはありません。
一つの考え方を提唱しているだけです。
それに対して、
間違っていると思われるならば、
反論されるのはご自由です。
今回のコメントのようなイチャモンは御免ですが、
納得できる反論は歓迎します。
しかし匿名ではなく、
ご自身の氏名、所属を名乗ってからその主張を広げるのが、
日本人の礼儀だと考えますが、
若いヒトでは日本の道徳は変わってしまったのでしょうか。また、私の考え方、理論に間違いがあれば、
直接、メールや電話、手紙で抗議をするという手法もあるはずです。
私の居場所は公開していますから。
かつて抗議文を受け取った××センター長に促されたのでしょう、
センター長からの丁寧な謝罪の手紙と同時に、
直接大塚北口診療所に謝罪の電話を入れてきた若い医者もいます。
自分の氏名は名乗ることができない、
哀しい事情があるのでしょうね。恐らく、このコメントは、
前日の「陰坊と医者」で、
高い高いプライドに傷が付けられたとの勘違の憤りも加勢して、
書かれた文章・コメントだと推測します。
名乗ることができないならば、
きっと本物の隠坊・賤民なのでしょうね。
私は火葬場の陰坊は憧れの職業です。
現世の苦難を乗り越えて、
亡躯になった人間の、
晴れの舞台への旅立ちを見送る。
素敵でありがたい仕事だと感じています。
私自身も必ずお世話になります。自らは閻魔様でありたいと願っても、
こころのなかでは、
生きている人間に対する「隠坊」と感じている賤民医者は、
存在するのでしょう。でも弱い立場の患者さんへは、
後ろ髪を引かれながらも胸を張って閻魔様を気取っている。かなりお気の毒な医療者もいるようです。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
「文化の日」の記事に対する、
答えようのない、
不思議な質問のコメントがありましたが、
フォローのコメントありがとうございます。
その翌日、朝起きて、
パソコンを開くと、
まったく知らない、
コメントとはまったく別の患者さんで、
すでに入院中で、
相当に重篤な状態に陥っていると思われる、
ご高齢のかたのお子様から、
6回にわたり携帯のメールから、
合計2800文字にもおよぶメールが届いていました。
夜間ズーット携帯にしがみついていたように感じます。
ほとんど支離滅裂な文章でしたが、
必死に大切な親御さんの急場をしのぎたい、
という思いだけが通じてきました。
しかし他の病院に入院中とのことであり、
ドウすることもできません。
勿論、返信も出していません。
コメントの質問も、
意味が不明でしたが、
11月4日の「治療を諦めるとき」でも書いたように、
何故、土壇場になって慌てるのでしょうか。
「癌 = 死」
という勘違いで慌てふためくのは、
理解できます。
それは普通です。その誤解は解いて、
その後の楽しく豊かな時間を満喫することは可能だと思います。
しかし、いよいよ人生の終焉にさしかかってから、
慌てても「時すでに遅し」てです。「癌」しかも「治らない」ことを聞いて、
冷静に対処できる患者さん、ご家族は多くはないと思います。一度はアタマのなかは真っ白、
何も考えられない、
という状態に陥るのが普通だと思います。
その時期に、
「医者モドキ」などに話を聞くと、
そう遠くはない時期に大変な事態に陥り、
目の前に迫った現実の死を悟ると、
尋常ではない慌てぶりになります。
死に至るまで、
完全無治療でガンとともに過ごすことができるほど、
強靭な精神力をお持ちの患者さん、ご家族は、
多くはないはずです。無治療でガンを放置して、
そのまま死に至ったときには、
残されたご家族には、
終生、後悔の日が続きます。晴天の霹靂である、
突然の「がん宣告」を受けて、
慌てることは恥ずかしいことではないと思います。
しかし、人生の終焉を前にして、
慌てふためくのは如何なものでしょうか。その前に存在していたはずの、
「宝物のような時間」を失ってしまったように感じます。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
昨日の「隠坊と医者」をはじめ、
何回も書いていますが、
現在の日本の抗癌剤治療は、
すべてエビデンス・EBMに縛られています。
そしてそのエビデンスとは、
「その治療を開始すると〇ヶ月以内に半分の患者さんは死ぬ」
「100%の確率で死に至る」
「副作用というオマケはもれなく付いてきます」というあまりにもお粗末な内容です。
そのオマケを嫌い、
減量を嘆願しても、
多くの場合、
「減らしたら効かない」
「そんな量では効かない」というまったく根拠の無い言葉のもとに、
簡単に却下されます。
「ソンナ量」ではデータが無いだけです。
エビデンスが無いだけです。しかしデータ・エビデンスが有るといっても、
それは「確実に死ぬ」という、
誰もが希望しないデータです。
しかも半分の人間が〇ヶ月間生きていることは分かっていても、
たった一人の患者さんが、
その〇ヶ月をクリアできるか否か、
誰にも分かりません。
治療開始後2ヶ月で旅立つ人もいれば、
2年後に生き残っている患者さんもいます。しかし標準治療のエビデンスでは、
副作用の発現確率はほぼ100%です。
そのありがたくない副作用に対しては、
それを体験したことがない閻魔様が勝手に、
「容認できる」と判断しているだけです。
昨日の膵癌に対するナム・パクリタキセル(アブラキサン)の上乗せ効果も、
もしかしたら、
副作用が少ないであろう半分量のほうが、
大きな延命があるかも知れません。
しかし製薬会社は「損な治験」は、
絶対におこないませんから、
エビデンスは永遠に出ません。
「エビデンスがすべて」
「〇ヶ月以内に半分の患者さんが死ぬ」
「死亡確率100%のエビデンス」
「副作用は容認できる」
「そんな量では効かない」なんかおかしくありませんかね。お粗末なエビデンスすら存在しない種類のガンなど、
幾らでも有るのですけど・・・そのおかしな言葉をまともに解釈できなくしてしまうのが、「癌 = 死」という致命的な錯覚であるような気がします。今これを読んでいる人間で、
100年後に生きているヒトなんて、
一人も居ないのに。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
何回も書いているとおり、
治らない癌を宿した患者さんでは、
常に「死」が直前にあるかのように勘違いしてしまいますが、
「不治 = 即死」ではありません。
「治らない癌」では多くの場合、
その病が致死病名につながりますが、
それが発見された時には、
通常の生活を営むことができているのがほとんどです。
最大耐用量の細胞毒を注入する、
多くの標準的な治療では、
その通常の生活を奪ってしまいますが、
その病が治ることはありません。9月18日の「地獄への案内人FOLFIRINOX」はじめ、
標準的な抗癌剤治療の実態を何回も書いてきましたが、
虚しくなるばかりです。
FOLFIRINOXのトライアルでは、
342名の元気な膵癌患者さんの半数が、
恐らく地獄の責苦に耐えて、
6.8ヶ月対11.1ヶ月という、
輝かしい数字を出しました。
先月には同じ膵癌で、
861名が参加する別の薬剤でのトライアルの結果報告がありました。
ゲムシタビン単独での6.7ヶ月から8.5ヶ月と、
1.8ヶ月の延命効果が、
とりあえず示されました。
1.8ヶ月の延長は、
真偽の程は別にして4.3ヶ月のFOLFIRINOXには及びませんが、
副作用の面では、
かなり軽減されるように感じます。
しかし治験で使われ今後のエビデンスとなる標準量では、
生きている間、消えることのない痺れなどの、
副作用も少なくはないと思われます。その治験はゲムシタビン単独治療の患者群と、
ゲムシタビンにナム・パクリタキセル(アブラキサン)を追加して、
治療をおこなった患者群での比較です。膵癌に対して、
パクリタキセルの試験は幾つかおこなわれていましたが、
延命効果を示す数字は示されませんでした。
ナム・パクリタキセル(アブラキサン)は、
パクリタキセルの兄弟のようなクスリですが、
ある程度の延命効果は認められるようです。
その数字が正しいとして、
1.8ヶ月でも延命が叶ったということは、
ヒトの生命を延ばしたことは間違いなく、
文句無しに医療技術の進歩なのだと思います。
しかし「治す」には遠く至りません。「肺ガン治療・虚しい争い」はじめ、
何回も提示している、
カプランマイヤーの生存曲線ならぬ、
死亡曲線どおりに、
元気ながん患者さんが、
実験動物のように亡くなっていく。
それも一般的には尋常ではない激しい副作用に耐えながら。
現在の細胞毒での治療?は、
必ず右肩下がりで、
いずれの時期にか、
絶対に0点に至るカプランマイヤー曲線の、
下がる角度を少し緩やかにするだけで、
「がんを治す」ためへの過渡期とも思われません。まったく別の、
抜本的な方策が必要なのでしょうが、
それが存在すれば誰も苦労はしません。
フト「隠坊(おんぼう)」という言葉がアタマを過りましたが、
広辞苑では、
「墓守・埋葬を業とした賤民の称。火葬の際、死骸を焼いた」
と書かれています。
しかし確実な死が前提で、
しかも残虐な治療?を執行する医者は、
すでに死んでいる人間を焼き、骨を拾うよりも、
よほど卑しい賤民であるように感じます。連休中に紅葉でも見に、
何処かに散歩でもしようと考えていましたが、
旅先で体調が崩れると困るので、
今回は自粛していました。
しかし、ヒマな時間があると、
ロクなことは考えませんね。
皮肉なことに体調は良好です。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
日本には「がんの発見 = 白旗」を布教している、
「医者モドキ」も生息しているようですが、
逆に、とことんガンと対峙して、
けっして「諦めない」ということを、
標榜している医療機関もあるようです。
諦められない本人やご家族の気持ちは理解できますが、
終生諦めずに済むのであれば、
がん死亡確率は0%に近付きます。
しかし現実の統計データでは、
そうはなっていません。
高齢化の影響も大きいのでしょうけれど、
がん死亡者数は増大しているようです。
勿論、はじめから、諦める時間・タイミングが、
標準的に決められている治療では、
終息宣言は、
あまりにもあっけなく発せられます。現在、私は大塚北口診療所でがん治療をおこなっていますが、
どうしても諦めたほうが無難という状態に至る患者さんもいます。
特に標準的に大量の細胞毒で、
体力そのものが奪われた状態に陥ってから、
その治療の矛盾・間違いに気が付かれて、
はじめて来られる患者さんでは、
その日は明らかに早く来ます。
診療情報提供書で経過を見て、
言葉に詰まり、何も言えず、
「よくここまで耐えてきましたね」という状態の患者さんも、
やはり虚しい抵抗でした。
殺意すら感じる、
繰り返された大量の毒薬攻撃に、
耐え抜いて生きてきただけでも不思議な状態でした。
「治るかも知れない」という、
あり得ない、
あまりにも哀しい希望だけで、
拷問にも耐えて、
命を繋いでいたように感じます。遠方からご家族に支えられながら、
来られていたご高齢の患者さんですが、
前回、来られた時にも、ご家族にだけは、
「もはや治療を考える時期ではない」旨、
お話ししましたが、
その後ご自宅近くの病院に入院して、
しかし諦めることができずに、
再度、来られましたが、
あまりにも急激に痩せ細った顔を見て、
ご自宅近くの安住の病院に入ることをお勧めしました。
人間の正常な免疫系統で、
大切な役割を果たしているであろうと考えられている、
TNFαとよばれるサイトカインという物質が、
がんの進行に伴い全身状態が悪化してきたときに、
何故か急激に高くなる現象をたくさん診てきました。
リウマチなどで使われるその抗体である薬剤を使うと、
一時的に全身状態の改善を見ることがあります。
しかし一番望まれる延命効果は証明されておらず、
保険適応も無く、
さらに非常に高価な薬剤です。
それを使うべき状態だとも思われませんでした。
しかしご高齢の患者さんはともかく、
何故、若いご家族は、
大切な人が最終局面を迎えるまで、
望みの無い、辛い治療を続けさせ、
最期になって慌てふためくのか、
情報不足の恐ろしさを、
思い知らされます。同時に敗戦宣告を出す方も、
それを受け取るご家族と同様に辛いのも事実です。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
1ヶ月毎のカレンダーを見ると、
あと2枚しか残っていません。
そして今日は文化の日。
明治天皇の誕生日でもあるそうですが、
自由と平和を愛する現在の日本国憲法が公布された日だとか。
先週の日曜日は、
原因不明の体調不良により、
病院のベットで横になっていました。
現在、体調は明らかに改善してきています。
様々な立場の医者の考えを総合して導き出した原因病名は、
当たっていたように感じます。
私自身が一番納得できる病名でした。
幸い「痴呆」でも「老衰」でも「仮病」でもありませんでした。
いつもは食べない昼食も、
バナナを食べています。
同時に点滴と同じような成分の、
電解質液も1日500~1000㏄飲んでいます。
私のようなかなり鈍そうな人間でも、
ヒトの身体はデリケートで精巧な機械ですね。
そこに発生してきたガンという生き物は、
人間よりも賢いような気がします。
まともに戦っても勝てる相手ではありません。しかし、何もしなければ、
ヤツの思う壺です。先日がんに対して無治療・放置治療?を、
推奨している医者モドキの勧めで、
無治療のまま、
ガンを急速に巨大に悪化させてしまった患者さんが、
来られました。
あのスピードで増大を続けたら、
来年のお正月を迎えることも、
難しいと思われます。
患者さんは標準治療の副作用を恐れていましたが、
標準治療か無治療かの、
二者択一であれば、
迷いも生じるかも知れません。
しかし0%から100%まで、
目盛は無数にあると思いますが、
0か100しか存在しないのが、
日本の虚しい文化でしょうか。
ご高齢でお孫さんにも恵まれているような環境の患者さんと、
まだ小さなお子さんを育てている患者さんでは、
考え方も大きく変わるはずですが、
すべて均一とは、
あまりにも不平等のように感じます。
自由も平和も無いのが、
この国のがん治療の現実のようです。以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
昨日の「無効な治療?」に対して、
以下のコメントがありました。
現在、数々の癌腫で術後の再発予防として
抗がん剤治療がなされていると思います。
術後の化学療法は進行がんや再発のそれとは異なり、
根治•治癒を目指していることに意義があると感じています。
進行や再発のがんに対しては、
副作用に力点をおいて患者さんの生活の質を考えながら治療される先生の方針が
すんなり理解できます。
術後の化学療法に関しては、根治を目指すべく少しでも効果の高い
(エビデンスのある)治療を執行するべきなのでしょうか。
随分と素朴な質問ですね。
いつも無視していますが、
アタマの整理ために、
今まで何回も書いている、
客観的な考え方を書きます。
再発確率が60%程度と想定される2000人の手術後患者群に対して、
再発確率を20%程度低下させることが可能かも知れないという、
予防治療としては相当に優秀で、
胃がんや大腸・直腸がん、肺がん手術後などではあり得ない、
治療成績(エビデンス)を誇る治療を、
1000人に実施して、
残りの1000人は手術後経過観察だけ、
とした場合、
無治療で経過観察患者群は600人の再発が予想されます。
400人は再発を免れます。
一方、エビデンスのある抗癌剤治療を実施した1000人では、
600人 x 20% = 120人がその治療で、
再発を免れますが、
600 - 120 = 480人は再発してきます。
勿論、治療を受けた1000人のうち、
誰がラッキーな患者さんで、
誰が貧乏くじを引く患者さんかは、
神様にしか分かりません。
事前に分かっていることは、
その治療を受ければ、
少なくはないであろう副作用を、
お金と時間をかけて受け取る、
という事実と、
まったく副作用の無い無治療でも、
天寿を全うする患者さんも存在する、
という現実です。どちらを取るかは、
ご本人の価値観だけが決めてくれます。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
病に倒れる(かなり大袈裟)前に書いた、
「鞭打つ人間、打たれる人間」に対して、
抗癌剤を打っても「明らかな増大」がある場合,論理的には
①抗癌剤が効いていない場合だけでなく,
②抗癌剤は効いているが増大を抑止するまでには至らない場合
(言い換えれば抗癌剤を打たなければ,今以上の増大があったかもしれない場合)
もあるのではないでしょうか?
というコメントがありました。
投稿者氏が書かれているとおりです。
そのことについては、
過去に何回も書いています。
ある治療をおこなったときに、
その治療の有効無効を判断するには、
その当事者が二人以上いないと、
判定はできません。
クローンが二人以上居て、
同じ病態を作り同じ治療をした一人と、
無治療の一人を比較しなければ分かりません。
「治療が進行を遅くしていた」という可能性は否定できません。臨床実験ではなく、
後解析ですが、
肺がんに対するイレッサの治療では、
イレッサが効かなくなる、
すなわち一時ガンが縮小する方向に向かっていた患者さんで、
ガンの増大・増悪を認めたときに、
そのままイレッサを継続して、
それに抗癌剤治療を上乗せした患者群と、
イレッサを中止して、
抗癌剤治療を単独でおこなった患者群では、
前者、すなわち効かなくなったイレッサを、
継続した患者群のほうが生存時間が長かった、
という結果が出ています。
効かなくなったクスリが、
じつは効いていたかも知れないことを示していると思います。
しかしその治療で、
肺がんが治った患者さんは一人も存在していません。
現在生きている人間すべてですが、
将来の致死確率は100%です。
現在の医療で確実に分かっていることは、
治らない癌を宿した場合も、
致死確率が100%であることだけです。
必ず死に至る、
その現実を前にして、
激しい副作用に悩むことが得策だとは、
けっして思いませんし、
私には他人に対して拷問を執行する権利などありません。
もし効いていなくても、
ガンの増大を観ても、
その治療に副作用がまったく無いのであれば、
あるいは日常生活を妨げるような副作用が無く、
容認できるレベルであれば、
それを継続することは悪くはないと思っています。
その治療をベースに、
さらに何かを上乗せすることも考えます。
しかし極めて乏しい武器の中から、
選択できるすべての薬剤で、
「全身が痺れて夜も寝られない」
というほど耐え難い副作用が出るならば、
それは中止せざるを得ないと考えます。
逆に激しい副作用を伴っても、
ガンの悪化が認められないで、
さらにご本人がその副作用を容認できて、
その治療を望まれるのであれば、
気は進みませんが、
ご本人の願うとおりに、
その治療を続けることもあります。
今回治療を中止した患者さんには、
効果はまったく不確実なるも、
副作用はほぼ皆無と思われる免疫細胞療法なども、
最終手段としてお示ししましたが、
それは受けることは希望されず、
先日緩和ケアへの紹介状を書きました。
明らかに他覚的所見から効果を認めても、
僅かか否かはご本人にしか分かりませんが、
副作用を理由に治療の変更を希望される患者さんもいます。
勿論、ご本人の価値観を最優先して、
望まれる治療に変更します。
以上 文責 梅澤 充
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