昨夜、私の大好きな?NHKの番組を、
何時でも同じ味の、
身体に悪そうなケンタッキーを肴に、
焼酎を一杯飲みながら見ていたら、
まだ若いけれど、
天才と呼ばれる、
料理人が出ていました。
その彼が料理を作る場面が流されていましたが、
他の料理番組でよくあるように、
塩を計量スプーンで計って入れる、
ということをせずに、
直接調味料入れから、
パッパと振りかけていました。
それを見た司会者が、
「量は測らないのですか?」
と聞くと、
「計っていれるのではダメ、
自分の舌で確認しながら入れなければ、
微妙な味加減は調節できない、
最高の味は出せません。」
でした。
その日の天候、気温、湿度などによっても、
味覚は変わるでしょうから、
塩は小さじ1/2、
サラダ油は大さじ1杯、
○○本ミリンと醤油1対1・・・・
は、常に成り立つ最適量ではないはずです。
熟練したラーメン屋さんでは、
客の顔を見て塩加減を調整するといいます。
汗をかいている労働者には、
濃い目の味にしたりするそうです。
私は日本全国何処でも同じ味が楽しめる吉野家や、
マクドナルド、ケンタッキーは大好きですが、
まったく口に合わない人もたくさんいるはずです。
味覚は万人すべて違うはずですから、
すべての人が、
一様に美味しくは感じないのは
当たり前ですが、
ガン治療で使われる抗癌剤とてまったく同じです。
何回も書いているとおり、
味覚以上に、
ガン治療では、
患者さんの個性の他に、
敵であるガン細胞そのものの個性も、
一人一人大きく違っています。
そのようなガンに対して、
身長と体重だけから割り出される体表面積だけを頼りに、
誰にもまったく均一の量の抗癌剤を投下する治療が、
すべての患者さんに最適であるはずがありません。
何故、人間の一番大切な命にかかわる治療において、
さじ加減がなされないのか、
否、それをすることを拒否するのか、
私には不思議でなりません。
料理などは命とは無縁の世界のことだから好き勝手に作ればよい、
しかしガン治療は違う、
ということだと思いますが、
命掛けであり、
さらに生きている時間の楽しみを大きく左右する行為だからこそ、
個々の患者さんに合わせて、
さじ加減をくわえるべきだと考えます。
その料理の名人を紹介した番組に続き、
達人といわれる宮大工が紹介されていましたが、
その匠は、
「寸法で組むな、気の癖で組め、
そうすることで何十年も何百年も長持ちする細工になる」
との言葉を残していました。
材料の木にも個性があり、
その個性を汲み取って、
工作していく方が、
遥かに素晴らしいものが出来上がる。
木の個性を無視して、
寸法どおりに組み立てても、
良い作品はできないそうです。
ガン治療もまったく同じです。
ある先輩外科医が、
「ガン治療はアートだ」
と言っていましたが、
全員個性の違う人間とガン細胞を、
観察しながら、
それぞれにあった手段を、
味見をしつつ、
さじ加減をくわえながら、
一人一人組みたたて完成させていくものだと思います。
私のような絵心の無い医者に治療される患者さんはお気の毒ですが、
まったく個性を無視された
吉野家の牛丼ような、
全国共通の均一治療しか受けることができない患者さんは、
もっと悲惨だと思います。
吉野家の牛丼は、
紅生姜と唐辛子は、
好みに合わせて好きなだけかける自由は与えられていますが、
日本の標準的抗癌剤治療では、
それさえ許されません・・・・
いくらお腹が空いていても、
好きでもないものを食べさせられるのは、
拷問のようなものです。
以上 文責 梅澤 充
何時でも同じ味の、
身体に悪そうなケンタッキーを肴に、
焼酎を一杯飲みながら見ていたら、
まだ若いけれど、
天才と呼ばれる、
料理人が出ていました。
その彼が料理を作る場面が流されていましたが、
他の料理番組でよくあるように、
塩を計量スプーンで計って入れる、
ということをせずに、
直接調味料入れから、
パッパと振りかけていました。
それを見た司会者が、
「量は測らないのですか?」
と聞くと、
「計っていれるのではダメ、
自分の舌で確認しながら入れなければ、
微妙な味加減は調節できない、
最高の味は出せません。」
でした。
その日の天候、気温、湿度などによっても、
味覚は変わるでしょうから、
塩は小さじ1/2、
サラダ油は大さじ1杯、
○○本ミリンと醤油1対1・・・・
は、常に成り立つ最適量ではないはずです。
熟練したラーメン屋さんでは、
客の顔を見て塩加減を調整するといいます。
汗をかいている労働者には、
濃い目の味にしたりするそうです。
私は日本全国何処でも同じ味が楽しめる吉野家や、
マクドナルド、ケンタッキーは大好きですが、
まったく口に合わない人もたくさんいるはずです。
味覚は万人すべて違うはずですから、
すべての人が、
一様に美味しくは感じないのは
当たり前ですが、
ガン治療で使われる抗癌剤とてまったく同じです。
何回も書いているとおり、
味覚以上に、
ガン治療では、
患者さんの個性の他に、
敵であるガン細胞そのものの個性も、
一人一人大きく違っています。
そのようなガンに対して、
身長と体重だけから割り出される体表面積だけを頼りに、
誰にもまったく均一の量の抗癌剤を投下する治療が、
すべての患者さんに最適であるはずがありません。
何故、人間の一番大切な命にかかわる治療において、
さじ加減がなされないのか、
否、それをすることを拒否するのか、
私には不思議でなりません。
料理などは命とは無縁の世界のことだから好き勝手に作ればよい、
しかしガン治療は違う、
ということだと思いますが、
命掛けであり、
さらに生きている時間の楽しみを大きく左右する行為だからこそ、
個々の患者さんに合わせて、
さじ加減をくわえるべきだと考えます。
その料理の名人を紹介した番組に続き、
達人といわれる宮大工が紹介されていましたが、
その匠は、
「寸法で組むな、気の癖で組め、
そうすることで何十年も何百年も長持ちする細工になる」
との言葉を残していました。
材料の木にも個性があり、
その個性を汲み取って、
工作していく方が、
遥かに素晴らしいものが出来上がる。
木の個性を無視して、
寸法どおりに組み立てても、
良い作品はできないそうです。
ガン治療もまったく同じです。
ある先輩外科医が、
「ガン治療はアートだ」
と言っていましたが、
全員個性の違う人間とガン細胞を、
観察しながら、
それぞれにあった手段を、
味見をしつつ、
さじ加減をくわえながら、
一人一人組みたたて完成させていくものだと思います。
私のような絵心の無い医者に治療される患者さんはお気の毒ですが、
まったく個性を無視された
吉野家の牛丼ような、
全国共通の均一治療しか受けることができない患者さんは、
もっと悲惨だと思います。
吉野家の牛丼は、
紅生姜と唐辛子は、
好みに合わせて好きなだけかける自由は与えられていますが、
日本の標準的抗癌剤治療では、
それさえ許されません・・・・
いくらお腹が空いていても、
好きでもないものを食べさせられるのは、
拷問のようなものです。
以上 文責 梅澤 充



