2008年9月21日に書いた「割り箸事件」
に対して長いコメントをいただきました。
真偽の程は不明ですが、
一見ごもっともにも思える内容です。
しかし、先ず、
件の事故は、
保護者が注意していれば発生しなかったと思われる、
子供の痛ましい偶発事故であり、
医療事故ではありません。
裁判でも、
刑事も民事もともに、
当然のことながら、
医者には過失無し、
無罪すなわち罪は無い、
という司法判断が下されています。
医療事故ではないはずです。
司法判断が絶対的に正しいとはいえないことは、
先日の殺人冤罪事件を見ても明らかですが、
日本の現状ではそれに従うしかないと思います。
あとは何を言おうとゴマメの歯軋りです。
しかし、今回の裁判は、
司法には素人の医者の目から見たら、
至極真っ当な判決だったと思います。
最近、インターネット配信の医師向けのニュースで、
割り箸事件の担当科の当時教授だった医者が、
インタビューに答えて、
「マスコミの報道には当初から怒りを覚える」
という内容の記事が流されていました。
「子供が物を口に加えて遊んでいて転ぶと、予想もしない悲劇が起こる。
だから注意してほしい。こうしたことをぜひ報道機関が啓蒙してほしい」
と訴えたのに、
その後の報道では、
そのことには一切触れることなく、
「何かを隠している」
「何故、謝罪しない」
の一点張りの主張になった。
という内容のことを述べておられました。
当初、割り箸が頭蓋内に残っていたという事実は、
母親には絶対に知らせたくないと言うご家族の意向で、
マスコミ報道では、
公言しなかったそうですが、
それを、隠しているとマスコミに囃し立てられ、
割り箸事件は作られていったように感じます。
医者は悪人で、
子供に割り箸を咥えさせたまま遊ばせておいた、
母親は悲劇のヒロインという、
水戸黄門的な、
一般聴衆が喜び視聴率があがるストーリーを書き、
茶番劇は作られていったようにすら感じます。
しかし、何故、
ご自身にとって不都合な結果が出ると、
何でも彼でも医者の責任にしたがるのでしょうか。
かつての日本人は皆持ち合わせていた、
自己責任は何処へ行ってしまったのでしょうか。
自己責任の放棄は、
結果的にご自身の首を絞めます。
事実日本では、
産婦人科医、小児科医、外科医の
深刻な不足という事態を招いています。
また、多発している救急患者搬送拒否の問題も、
割り箸事件、福島の産婦人科医逮捕事件などが、
大きな影を落としていることは間違いないと思います。
少なくとも多くの日本の医者のこころに
暗い影を落としたことは間違いありません。
医者であるからには、
目の前の苦しんでいる患者さんを救ってあげたい、
と誰でも思っています。
しかし、その善意の結果が、
逮捕だ、裁判だとなることが、
アタマを過ぎったりしたら、
「診ない患者にタタリ無し」
の名言どおり、
患者さんの利益は後回しになり、
医者は自身の保身に走ります。
何回も書いているとおり、
ガンを患う患者さんが、
ご自身の希望する治療を受けることができない、
大きな理由の一つは、
医者が、患者さんではなく、
自分の身を守ってくれる
最強の鎧であるエビデンスを脱ぎたがらないことにもあります。
患者さんがどれだけ副作用に苦しもうが、
エビデンスどおりに目の前の患者さんが死んでくれたなら、
誰の責任にもなりません。
その治療ではエビデンスどおりに、
患者さんは辛く短い生涯が終わることが分かっていても、
それが医者にとっての最善の治療です。
堂々と患者さんに「最善の治療です」と説明して、
そのとおりのマニュアル治療に専念します。
コメントの御仁は、
いまだに罪の無い当直医に責任を押し付けたいようですが、
無実の当直医が、
罪人に仕立て上げられれば、
満足されるのでしょうか。
死後のCT検査でも発見されなかった、
割り箸が硬い頭蓋骨を突き破り脳に突き刺さるという、
極めて稀な、
誰もが想定しないような事故で死んだ子供が、
生き返るのでしょうか。
子供の保護者の責任は
軽減されるとでもお考えでしょうか。
そのような、自己責任を忘れた、
現在の日本特有の考え方の人間が増えれば、
日本の医療は益々荒廃していくことになると思います。
ガン患者さんの望む治療は、
遠のくばかりです。
患者さんのためではなく、
医者のための治療が、
益々、普及していくことになると思います。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
に対して長いコメントをいただきました。
真偽の程は不明ですが、
一見ごもっともにも思える内容です。
しかし、先ず、
件の事故は、
保護者が注意していれば発生しなかったと思われる、
子供の痛ましい偶発事故であり、
医療事故ではありません。
裁判でも、
刑事も民事もともに、
当然のことながら、
医者には過失無し、
無罪すなわち罪は無い、
という司法判断が下されています。
医療事故ではないはずです。
司法判断が絶対的に正しいとはいえないことは、
先日の殺人冤罪事件を見ても明らかですが、
日本の現状ではそれに従うしかないと思います。
あとは何を言おうとゴマメの歯軋りです。
しかし、今回の裁判は、
司法には素人の医者の目から見たら、
至極真っ当な判決だったと思います。
最近、インターネット配信の医師向けのニュースで、
割り箸事件の担当科の当時教授だった医者が、
インタビューに答えて、
「マスコミの報道には当初から怒りを覚える」
という内容の記事が流されていました。
「子供が物を口に加えて遊んでいて転ぶと、予想もしない悲劇が起こる。
だから注意してほしい。こうしたことをぜひ報道機関が啓蒙してほしい」
と訴えたのに、
その後の報道では、
そのことには一切触れることなく、
「何かを隠している」
「何故、謝罪しない」
の一点張りの主張になった。
という内容のことを述べておられました。
当初、割り箸が頭蓋内に残っていたという事実は、
母親には絶対に知らせたくないと言うご家族の意向で、
マスコミ報道では、
公言しなかったそうですが、
それを、隠しているとマスコミに囃し立てられ、
割り箸事件は作られていったように感じます。
医者は悪人で、
子供に割り箸を咥えさせたまま遊ばせておいた、
母親は悲劇のヒロインという、
水戸黄門的な、
一般聴衆が喜び視聴率があがるストーリーを書き、
茶番劇は作られていったようにすら感じます。
しかし、何故、
ご自身にとって不都合な結果が出ると、
何でも彼でも医者の責任にしたがるのでしょうか。
かつての日本人は皆持ち合わせていた、
自己責任は何処へ行ってしまったのでしょうか。
自己責任の放棄は、
結果的にご自身の首を絞めます。
事実日本では、
産婦人科医、小児科医、外科医の
深刻な不足という事態を招いています。
また、多発している救急患者搬送拒否の問題も、
割り箸事件、福島の産婦人科医逮捕事件などが、
大きな影を落としていることは間違いないと思います。
少なくとも多くの日本の医者のこころに
暗い影を落としたことは間違いありません。
医者であるからには、
目の前の苦しんでいる患者さんを救ってあげたい、
と誰でも思っています。
しかし、その善意の結果が、
逮捕だ、裁判だとなることが、
アタマを過ぎったりしたら、
「診ない患者にタタリ無し」
の名言どおり、
患者さんの利益は後回しになり、
医者は自身の保身に走ります。
何回も書いているとおり、
ガンを患う患者さんが、
ご自身の希望する治療を受けることができない、
大きな理由の一つは、
医者が、患者さんではなく、
自分の身を守ってくれる
最強の鎧であるエビデンスを脱ぎたがらないことにもあります。
患者さんがどれだけ副作用に苦しもうが、
エビデンスどおりに目の前の患者さんが死んでくれたなら、
誰の責任にもなりません。
その治療ではエビデンスどおりに、
患者さんは辛く短い生涯が終わることが分かっていても、
それが医者にとっての最善の治療です。
堂々と患者さんに「最善の治療です」と説明して、
そのとおりのマニュアル治療に専念します。
コメントの御仁は、
いまだに罪の無い当直医に責任を押し付けたいようですが、
無実の当直医が、
罪人に仕立て上げられれば、
満足されるのでしょうか。
死後のCT検査でも発見されなかった、
割り箸が硬い頭蓋骨を突き破り脳に突き刺さるという、
極めて稀な、
誰もが想定しないような事故で死んだ子供が、
生き返るのでしょうか。
子供の保護者の責任は
軽減されるとでもお考えでしょうか。
そのような、自己責任を忘れた、
現在の日本特有の考え方の人間が増えれば、
日本の医療は益々荒廃していくことになると思います。
ガン患者さんの望む治療は、
遠のくばかりです。
患者さんのためではなく、
医者のための治療が、
益々、普及していくことになると思います。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。