ある患者さんが旅立たれたことを、
ガン患者さんのインターネットサークルの情報で知りました。
その患者さんは、
私も亡くなられる6週間ほど前まで、
約1ヶ月間治療を行いました。
日本の有名なガン治療拠点病院で治療を続けてきた患者さんです。
私のところに来られた後も、
その病院での治療は続けていました。
深刻な肝臓転移があり、
それが極めて近い将来致命傷になることが予見されました。
肝臓の動脈に管を留置して、
そこから抗癌剤を直接注入することも考えましたが、
リスクも高いため、
先ず、血清ハーツー淡白を測定してみると、
非常に高い値であり、
それまでは、
「あなたには効かない」
と言われ使われていなかったハーセプチンが
効いてくれる可能性も見えたので、
肝臓にとって害は無い、
ハーセプチンを使いましたが、
残念ながら効果は見られませんでした。
タイケルブなら効く可能性は高かったのですが、
健康保険では使えないため、
経済的に不可能であり、
断念しました。
肝臓の動脈注入という手段は、
そのときのその患者さんの状態では、
リスクは相当に高く、
その処置により死期を早めてしまう可能性もありましたが、
まだ、ギリギリ間に合う可能性も見えましたので、
それを勧めました。
しかし、ご本人の決断がつかず、
結局、それ以降音信不通になりました。
そして昨日メールで訃報を見ました。
他の方法では、
極めて近い将来、
肝不全で確実に死に至ることが見えている状態でした。
勿論、その患者さんに対して、
肝動注を行い、
それにより延命が叶ったか否かは分かりません。
結果的に最終来院日から6週間となった寿命を、
さらに縮めていたかも知れません。
しかし、大きく延命できた可能性も残されています。
もっと酷い肝転移で、
早ければあと2週間も無理では、
と思われるような状態ではじめて来られた患者さんで、
最終的に3年間の延命が叶った、
同じ病気の患者さんをかつて診ています。
全ての患者さんの病態は、
似ていてもそれぞれ皆さん違いますから、
何ともいえませんが、
可能性を捨ててしまったことは、
とても悔やまれます。
「人の寿命など神様にしか分からない」
ということを何回も書いてきましたが、
本当に重篤な状態にある患者さんが、
「このままでは極めて短い時間しか生きることはできない」
ということは、
たいていの医者は分かります。
そして、残念ながら
その予想は、
ほとんど当たります。
その患者さんをはじめて診察し、
当日のCT 超音波所見を見て、
「このままだったら長く生きることはできませんよ」
と言ったときに、
「それは困るんです、まだ生きていなければならない」
と言われたことを思い出します。
ガンという病を患い、
致死的な状態にあり、
それでも、
「生きていたい」
「生きていなければならない」
のであれば、
場合によっては、
その残された短い命を賭けて、
大博打を打たなければならないこともあります。
結局、その患者さんは、
最期はホスピスに入り、
そこから天に召されたそうですので、
最終的にはご自身の決断で、
博打ではなく、
安らかな道を選ばれたのだと思います。
しかし、博打が打てる状態の患者さんは、
それに賭けてみるのも
一つの生き方、死に方だと思います。
ご冥福をお祈りいたします。
合掌
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
ガン患者さんのインターネットサークルの情報で知りました。
その患者さんは、
私も亡くなられる6週間ほど前まで、
約1ヶ月間治療を行いました。
日本の有名なガン治療拠点病院で治療を続けてきた患者さんです。
私のところに来られた後も、
その病院での治療は続けていました。
深刻な肝臓転移があり、
それが極めて近い将来致命傷になることが予見されました。
肝臓の動脈に管を留置して、
そこから抗癌剤を直接注入することも考えましたが、
リスクも高いため、
先ず、血清ハーツー淡白を測定してみると、
非常に高い値であり、
それまでは、
「あなたには効かない」
と言われ使われていなかったハーセプチンが
効いてくれる可能性も見えたので、
肝臓にとって害は無い、
ハーセプチンを使いましたが、
残念ながら効果は見られませんでした。
タイケルブなら効く可能性は高かったのですが、
健康保険では使えないため、
経済的に不可能であり、
断念しました。
肝臓の動脈注入という手段は、
そのときのその患者さんの状態では、
リスクは相当に高く、
その処置により死期を早めてしまう可能性もありましたが、
まだ、ギリギリ間に合う可能性も見えましたので、
それを勧めました。
しかし、ご本人の決断がつかず、
結局、それ以降音信不通になりました。
そして昨日メールで訃報を見ました。
他の方法では、
極めて近い将来、
肝不全で確実に死に至ることが見えている状態でした。
勿論、その患者さんに対して、
肝動注を行い、
それにより延命が叶ったか否かは分かりません。
結果的に最終来院日から6週間となった寿命を、
さらに縮めていたかも知れません。
しかし、大きく延命できた可能性も残されています。
もっと酷い肝転移で、
早ければあと2週間も無理では、
と思われるような状態ではじめて来られた患者さんで、
最終的に3年間の延命が叶った、
同じ病気の患者さんをかつて診ています。
全ての患者さんの病態は、
似ていてもそれぞれ皆さん違いますから、
何ともいえませんが、
可能性を捨ててしまったことは、
とても悔やまれます。
「人の寿命など神様にしか分からない」
ということを何回も書いてきましたが、
本当に重篤な状態にある患者さんが、
「このままでは極めて短い時間しか生きることはできない」
ということは、
たいていの医者は分かります。
そして、残念ながら
その予想は、
ほとんど当たります。
その患者さんをはじめて診察し、
当日のCT 超音波所見を見て、
「このままだったら長く生きることはできませんよ」
と言ったときに、
「それは困るんです、まだ生きていなければならない」
と言われたことを思い出します。
ガンという病を患い、
致死的な状態にあり、
それでも、
「生きていたい」
「生きていなければならない」
のであれば、
場合によっては、
その残された短い命を賭けて、
大博打を打たなければならないこともあります。
結局、その患者さんは、
最期はホスピスに入り、
そこから天に召されたそうですので、
最終的にはご自身の決断で、
博打ではなく、
安らかな道を選ばれたのだと思います。
しかし、博打が打てる状態の患者さんは、
それに賭けてみるのも
一つの生き方、死に方だと思います。
ご冥福をお祈りいたします。
合掌
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。