昨日、例の慈恵医大青戸病院泌尿器科で起こった医療事故に対する判決が出ました。
テレビ・新聞でも大きく取り上げられていましたのでご存知の方も多いと思います。
この問題は現在の医療を考える上で非常に大きな問題を投げかけてくれました。
本日は、マスコミの論調、視点とは違った角度から見たこの事件の問題点について、
批判覚悟(いつもですが・・・)で書きます。
私は、有罪判決を受けた3人の医者の大学の先輩に当たりますが、
別に、その大学関係者であることと本日の内容は関係ありません。
彼らの肩を持つ気はまったくありません。
また、判決では「大学ぐるみの隠蔽工作」が糾弾されていましたが、
それについては、すでに大学を離れていますので、情報はありません。
先ず、今回の事件の主役になった前立腺ガンに対する
内視鏡下の前立腺摘出手術ですが、
私は、泌尿器科医ではないので詳しいことは判りませんが、
泌尿器科の専門医に聞くと、やはり相当に難しい手術のようです。
外科医の目から見ても、前立腺の周辺は静脈叢という静脈の集合体のようなものがあり、
非常に出血し易く、そこを視野の狭い内視鏡で手術するのは大変だろうなと、
容易に想像できます。
その難しい手術を経験者の指導も無く、
ほとんど素人と言われても仕方がないような未熟な医者が行い、
その結果、失敗して、患者さんを死に至らしめたのですから、
その責任を追及されることは当然であると思います。
しかし、現在では、手術ミス(?)、トラブルが起こった場合、
何でもかんでも、一方的に医者の責任を追及する風潮があるように思います。
その結果、手術を行う医者は萎縮します。
以前にも書きましたが、ガンの手術は、
根治性を高めようとすればするほど、
術後のトラブルは確実に増えます。
患者さんの将来の再発確率を抑えようと考え行なった手術でトラブルが発生し、
それに対して手術を行った医者が責任を追及されるのであれば、
外科医は確実に手抜き手術を行うことになります。
根治性の低い手抜き手術であれば、術後合併症は確実に減少します。
数ヵ月後あるいは数年後にガンが再発してくれば、
それは「運が悪い」のであり、
「ガンの責任」で外科医の責任を追及することは不可能です。
人間同士の信頼関係が薄れている時代だから故のことでしょうが、
なんとも言えない嫌な気分です。
患者も医者も誰も得をしません。
現に、訴訟が多く、仕事がハードな産婦人科医不足は深刻な問題になっています。
外科医も、近年希望者が激減しています。
そのうち日本では、外科医のいないガン医療になってしまうかも知れません。
今回の事件では、
判決が真実だとすると、その手術を行った動機が、
純粋に自分の名誉欲であったということですから、
断罪の値すると思います。
しかし、大学病院の外科医で、純粋に「患者さんのためだけ」と考えて
手術室に入りメスを握る医者がどれだけいることでしょうか。
大学病院は、勿論治療を行う病院ですが、
同時に研究機関であり、また教育機関としての責務もあります。
そこで手術を教えなければ外科医は育ちません。
私も、大学病院およびその関連の病院で手術を習いました。
そして後輩に手術も教えました。
研究のための手術、教育のための治療も、
ある程度は止むを得ないところもあるように思います。
有罪判決を受けた医師は、まったくその手術の経験が無かったようですが、
新しい手術をはじめて行う医者は、
まったくの経験がないところからスタートします。
勿論、その様な場合は、各施設の倫理委員会などで、
医者以外の多数の人間の意見も聞き、その合意の上で行なわれるのですが・・・
多くの場合「他に方法がない」という大義名分は付きますが、
厳密な意味からいえば実験的な手術です。
実験が無ければ進歩はありません。
また、手術の進歩といえば、
現在では、手術器具の発展を抜きに考えることはできません。
今回の事件に対するマスコミの報道では、
「有罪判決を受けた医者は、手術中に手術器具の使い方を
機械屋に聞いていた。それほど未熟な医者だ。」
というようなことを、言っていましたが、
その考え方は間違っていると思います。
現在の手術器具の進歩は凄まじいものがあります。
手術機械メーカーは日夜その開発だけを行なっています。
一方医者の仕事は手術だけではありません。
その、手術器具の発展に医者がついていけないところも少なくありません。
手術器具について、その操作を先ずは手術室に入る前に習得はしますが、
実際の人間に対してどの様に使用するのかは、
機械屋さんの方が熟知している場合も少なくありません。
本来、その機械を使って、動物実験などを繰り返し行い、
その取り扱いに習熟してから手術室に入るべきだと思います。
しかし、次から次へと開発されてくる新しい機械について、
すべてそれを行なっていくことは事実上不可能です。
現在の日本の外科医には、そこまでの時間もお金も与えられていません。
まだ新しい機械に習熟していないからといって、
使い慣れた古い機械だけを使っていたのでは、
手術をより安全に、素早く遂行できるように開発された機械の恩恵に浴することができなくなります。
機械の進歩は、医者のためにあるのではなく、手術を受ける患者さんの利益のために作られています。
一つの手術を安全かつ速やかに遂行するために、外科医のアシスタントとして、
機械屋さんの存在が絶対に必要である場面も少なくありません。
この件に関してマスコミの論調は、
医療現場の真実を知らないで(隠して?)、
事件をただ面白可笑しく伝えるだけの報道であったように思いました。
もう一つ、マスコミが協調していたことに、
有罪医師が、前立腺が摘出できた時、
「は~い生まれました、男の子ですよ」と、
冗談を飛ばしていたことに対して、
「神聖な場所でけしからん」という報道がありました。
ガンの手術を行うときに、真剣でない外科医など見たことがありません。
外科の手術のほとんどがガンの手術ですが、
外科医のアタマの中では、手術中様々な思いが駆け巡ります。
1cm間違えば確実に患者さんを死に追いやるような場面がたくさんあります。
また、手術所見により、
その患者さんの悲惨な将来が見えてしまうことも珍しくありません。
極度の緊張の中で、様々な思いが交差するのが手術です。
しかし、普通の人間が、何時間にもおよぶ手術の間中、
その極度の緊張を続けることなど可能でしょうか。
医者は、聖者ではありません。ただの普通の人間です。
「は~い生まれました、男の子ですよ」が適当な言葉か否かはその現場にいなければ判断できませんが、
冗談の一つも出ないような状態で、
何時間にもおよぶ手術を行うことは不可能だと思います。
長い手術だと、朝8時半に手術が始まり、午後6時7時に終わる。
勿論、その間飲食は一切無し、トイレも無しでズーット立ちっぱなしです。
その様な手術は何度も経験しました。
興奮して交感神経が緊張状態だからできることです。
今は、その様な手術からは完全に遠ざかってしまいましたが、
当時は、その手術中一定の緊張感を保っていました。
しかし、緊張感を保つためには、適当な冗談・休息も必要です。
これも、現場を無視した報道で、少々腹が立ちました。
緊迫したカッコイイ場面だけを写しているテレビドラマの手術とは違います。
手術は、人間が人間の身体を切り裂いている凄惨な現場です。
今回の事件は論外ですが、
今回の事件を通じて、
医学の進歩と患者さんの犠牲(協力?)について考えさせられました。
また、視聴者である患者さんに媚を売って、
視聴率、販売部数を伸ばしたいがためなのか、
患者さんサイドからだけ見た報道のあり方も少々不愉快に感じました。
以上 文責 梅澤 充
テレビ・新聞でも大きく取り上げられていましたのでご存知の方も多いと思います。
この問題は現在の医療を考える上で非常に大きな問題を投げかけてくれました。
本日は、マスコミの論調、視点とは違った角度から見たこの事件の問題点について、
批判覚悟(いつもですが・・・)で書きます。
私は、有罪判決を受けた3人の医者の大学の先輩に当たりますが、
別に、その大学関係者であることと本日の内容は関係ありません。
彼らの肩を持つ気はまったくありません。
また、判決では「大学ぐるみの隠蔽工作」が糾弾されていましたが、
それについては、すでに大学を離れていますので、情報はありません。
先ず、今回の事件の主役になった前立腺ガンに対する
内視鏡下の前立腺摘出手術ですが、
私は、泌尿器科医ではないので詳しいことは判りませんが、
泌尿器科の専門医に聞くと、やはり相当に難しい手術のようです。
外科医の目から見ても、前立腺の周辺は静脈叢という静脈の集合体のようなものがあり、
非常に出血し易く、そこを視野の狭い内視鏡で手術するのは大変だろうなと、
容易に想像できます。
その難しい手術を経験者の指導も無く、
ほとんど素人と言われても仕方がないような未熟な医者が行い、
その結果、失敗して、患者さんを死に至らしめたのですから、
その責任を追及されることは当然であると思います。
しかし、現在では、手術ミス(?)、トラブルが起こった場合、
何でもかんでも、一方的に医者の責任を追及する風潮があるように思います。
その結果、手術を行う医者は萎縮します。
以前にも書きましたが、ガンの手術は、
根治性を高めようとすればするほど、
術後のトラブルは確実に増えます。
患者さんの将来の再発確率を抑えようと考え行なった手術でトラブルが発生し、
それに対して手術を行った医者が責任を追及されるのであれば、
外科医は確実に手抜き手術を行うことになります。
根治性の低い手抜き手術であれば、術後合併症は確実に減少します。
数ヵ月後あるいは数年後にガンが再発してくれば、
それは「運が悪い」のであり、
「ガンの責任」で外科医の責任を追及することは不可能です。
人間同士の信頼関係が薄れている時代だから故のことでしょうが、
なんとも言えない嫌な気分です。
患者も医者も誰も得をしません。
現に、訴訟が多く、仕事がハードな産婦人科医不足は深刻な問題になっています。
外科医も、近年希望者が激減しています。
そのうち日本では、外科医のいないガン医療になってしまうかも知れません。
今回の事件では、
判決が真実だとすると、その手術を行った動機が、
純粋に自分の名誉欲であったということですから、
断罪の値すると思います。
しかし、大学病院の外科医で、純粋に「患者さんのためだけ」と考えて
手術室に入りメスを握る医者がどれだけいることでしょうか。
大学病院は、勿論治療を行う病院ですが、
同時に研究機関であり、また教育機関としての責務もあります。
そこで手術を教えなければ外科医は育ちません。
私も、大学病院およびその関連の病院で手術を習いました。
そして後輩に手術も教えました。
研究のための手術、教育のための治療も、
ある程度は止むを得ないところもあるように思います。
有罪判決を受けた医師は、まったくその手術の経験が無かったようですが、
新しい手術をはじめて行う医者は、
まったくの経験がないところからスタートします。
勿論、その様な場合は、各施設の倫理委員会などで、
医者以外の多数の人間の意見も聞き、その合意の上で行なわれるのですが・・・
多くの場合「他に方法がない」という大義名分は付きますが、
厳密な意味からいえば実験的な手術です。
実験が無ければ進歩はありません。
また、手術の進歩といえば、
現在では、手術器具の発展を抜きに考えることはできません。
今回の事件に対するマスコミの報道では、
「有罪判決を受けた医者は、手術中に手術器具の使い方を
機械屋に聞いていた。それほど未熟な医者だ。」
というようなことを、言っていましたが、
その考え方は間違っていると思います。
現在の手術器具の進歩は凄まじいものがあります。
手術機械メーカーは日夜その開発だけを行なっています。
一方医者の仕事は手術だけではありません。
その、手術器具の発展に医者がついていけないところも少なくありません。
手術器具について、その操作を先ずは手術室に入る前に習得はしますが、
実際の人間に対してどの様に使用するのかは、
機械屋さんの方が熟知している場合も少なくありません。
本来、その機械を使って、動物実験などを繰り返し行い、
その取り扱いに習熟してから手術室に入るべきだと思います。
しかし、次から次へと開発されてくる新しい機械について、
すべてそれを行なっていくことは事実上不可能です。
現在の日本の外科医には、そこまでの時間もお金も与えられていません。
まだ新しい機械に習熟していないからといって、
使い慣れた古い機械だけを使っていたのでは、
手術をより安全に、素早く遂行できるように開発された機械の恩恵に浴することができなくなります。
機械の進歩は、医者のためにあるのではなく、手術を受ける患者さんの利益のために作られています。
一つの手術を安全かつ速やかに遂行するために、外科医のアシスタントとして、
機械屋さんの存在が絶対に必要である場面も少なくありません。
この件に関してマスコミの論調は、
医療現場の真実を知らないで(隠して?)、
事件をただ面白可笑しく伝えるだけの報道であったように思いました。
もう一つ、マスコミが協調していたことに、
有罪医師が、前立腺が摘出できた時、
「は~い生まれました、男の子ですよ」と、
冗談を飛ばしていたことに対して、
「神聖な場所でけしからん」という報道がありました。
ガンの手術を行うときに、真剣でない外科医など見たことがありません。
外科の手術のほとんどがガンの手術ですが、
外科医のアタマの中では、手術中様々な思いが駆け巡ります。
1cm間違えば確実に患者さんを死に追いやるような場面がたくさんあります。
また、手術所見により、
その患者さんの悲惨な将来が見えてしまうことも珍しくありません。
極度の緊張の中で、様々な思いが交差するのが手術です。
しかし、普通の人間が、何時間にもおよぶ手術の間中、
その極度の緊張を続けることなど可能でしょうか。
医者は、聖者ではありません。ただの普通の人間です。
「は~い生まれました、男の子ですよ」が適当な言葉か否かはその現場にいなければ判断できませんが、
冗談の一つも出ないような状態で、
何時間にもおよぶ手術を行うことは不可能だと思います。
長い手術だと、朝8時半に手術が始まり、午後6時7時に終わる。
勿論、その間飲食は一切無し、トイレも無しでズーット立ちっぱなしです。
その様な手術は何度も経験しました。
興奮して交感神経が緊張状態だからできることです。
今は、その様な手術からは完全に遠ざかってしまいましたが、
当時は、その手術中一定の緊張感を保っていました。
しかし、緊張感を保つためには、適当な冗談・休息も必要です。
これも、現場を無視した報道で、少々腹が立ちました。
緊迫したカッコイイ場面だけを写しているテレビドラマの手術とは違います。
手術は、人間が人間の身体を切り裂いている凄惨な現場です。
今回の事件は論外ですが、
今回の事件を通じて、
医学の進歩と患者さんの犠牲(協力?)について考えさせられました。
また、視聴者である患者さんに媚を売って、
視聴率、販売部数を伸ばしたいがためなのか、
患者さんサイドからだけ見た報道のあり方も少々不愉快に感じました。
以上 文責 梅澤 充