自由主義経済の日本で、
これほど偏った需要と供給のバランスを保っているのは、
再発、切除不能、すなわち根治が望めないガンに対する
「治療というサービス業」だけではないでしょうか。
少なくとも、毎日寄せられる相談のメールを拝見していると、
その様に感じざるを得ません。
このブログを読まれている患者さんやご家族の多くは、
個々の患者さんの個性をまったく無視して、
エビデンスという錦の御旗の元、
すべての患者さんに均一に執行される
標準的抗癌剤治療など希望していません。
その治療の唯一の根拠、水戸黄門様の印籠となっているエビデンスとて、
患者さんの個性は完全に無視して出されたものです。
患者さんの個人差を無視し
そのような個性のないエビデンスだけを、
すべての患者さんに均等に押し付ける
その様な治療を望む患者さんは多くはないはずです。
エビデンスについては、
1月15日の「ガン医療の現場で使われる言葉 エビデンスEBM(Evidence)」
1月16日の「ガン医療の現場で使われる言葉 エビデンスEBM(Evidence)(2)」
3月19日の「肺ガンの抗癌剤治療・エビデンスの裏側」
でたくさん書いてあります。
誰でも、自分に合った、自分の個性、価値観を尊重してくれる、
そして身体に優しい治療を望まれています。
しかし、その様な治療をしてくれる医療機関は非常に少ないのが現実です。
一方、その患者さんが希望しない標準的抗癌剤治療を
全国津々浦々に広めようという動きが、
国と某放送局を中心に強引に推し進められようとしています。
個性のある、暖かい料理を提供してくれる、
街の小さなレストランは駆逐し、
まったく均一な味の牛丼チェーンの展開を目論んでいるようなものです。
アメリカの牛肉輸入も再開されるようです。
お腹を空かせたガン患者さんが本当に食べたいのは、
均一の味しか提供できないチェーン店の牛丼ではなく、
自分に合った味付けをしてくれる小さなレストランのはずです。
何故、「患者さんという客」が求めるサービスを提供しようという動きが出てこないのでしょうか。
国も放送局も一緒になって、
客の望まないサービスの提供所の普及に躍起になるのでしょうか。
何処の街でも、牛丼に飽きたお客さん用に、
個性溢れる小さなレストランがたくさんできています。
医療という国民の生活の根源に係わることであるはずなのに、
何故、国民が望む方向に進めようとしないのか不思議でなりません。
「標準的抗癌剤治療 = 定食」説は、
3月10日の「ある腫瘍内科医の勘違い」
3月11日の「ガン治療の地域格差」
で詳しく書きましたご参照下さい。
その原因を考える時、
先ず、思い当たるのが日本の保健医療制度だと思います。
日本の保険医療制度については、
功罪あるでしょうけれど、
すべての国民に一定レベルの医療を提供することにおいて、
大きな役割を果たしてきたことは事実だと思いますし、
そのおかげで、日本の医療は全国民が受ける医療の平均水準を考えたならば、
世界水準を超えているように思います。
某放送局は、「アメリカの医療はこれほど素晴らしい」と、
ことさら隣の芝生をキレイに見せて、宣伝していますが、
前庭のキレイな芝生の倍以上に広がる荒廃した裏庭の雑草地はけっして見せません。
医療レベルだけの問題ではないでしょうが、
少なくとも某放送局が喧伝するほど日本の医療が立ち遅れていたならば、
日本が世界一の長寿国になることなどありえません。
ともかく、良し悪しは別にして日本の医療は、
世界に冠たる健康保険を柱に、
没個性の均等な医療を好んでいるようです。
ガン治療もその方針で行くならば、
再発、切除不能のガン治療において、
標準的抗癌剤治療を普及させることが、
いちばん理に適っているのかも知れません。
また、標準的ではない抗癌剤治療は、
一人ひとりの患者さんの価値観、個性、
更に、その患者さんに巣食ったガンそのものの個性までも
考慮しなければなりませんので、
均一治療・定食よりは、遥かに手間がかかります。
その手間に見合う医療費を病院に対して
逼迫した保険財源から支払っていたら、
保健医療財政は成り立たなくなる。
という、考えもあるのかも知れません。
私の行なっている治療も、
製薬会社には大きな利益をもたらしていますが、
私個人および私を使っている病院にはほとんど利益はありません。
国全体の医療費のことを考えると、
ガンを背負った国民には、
「個性あるレストランなんて贅沢!」
「均一な安い牛丼を食わせておけばいい」
という考えに落ち着くのでしょうか。
私は、吉野家の牛丼が大好きです。
280円であれほど満足できるものは他に見つかりません。
マクドナルドも好きですが、
コストパーフォマンスを考えれば吉野屋の勝ちです。
早く再開されることを祈っていますが、
私は、その牛丼にはタップリ紅ショウガを乗せます。
七味唐辛子を振る客もいます。
しかし、「標準的牛丼」では、
紅ショウガも唐辛子もその量がキッチリ決められています。
お腹がいっぱいになってしまっても、残すことなどもってのほかです。
自由は一切許されません。
辛いのが苦手な人も、唐辛子を決められた分量振らなければなりません。
更に食べるスピードさえ決められています。
そこまで、ガチガチに決められてしまっては、
吉野家ファンの私でも、入りたいとは思いません。
誰も、食べたいと思わなくなるのではないでしょうか。
国も放送局も、
その様な、標準的抗癌剤治療という標準的牛丼チェーンを
拡張しようとしているように思えてなりません。
全国民の3人に一人はガンで死にます。
一生涯のうちに二人に一人はガンに罹ります。
その様な国民病であるガンの治療が、
均一になっていくのは、
あまりにも民意を無視した恐ろしい政策のように思います。
本日は、遠方の患者さんで、
「近くに標準的でない治療をしてくれる病院が無い。」
「望んでいるような抗癌剤治療を近所ではしてもらえない。」
という相談を多数いただき、
何故患者さんが望む治療ができないのか、しないのか、
フト考えたことを書きました。
以上 文責 梅澤 充
これほど偏った需要と供給のバランスを保っているのは、
再発、切除不能、すなわち根治が望めないガンに対する
「治療というサービス業」だけではないでしょうか。
少なくとも、毎日寄せられる相談のメールを拝見していると、
その様に感じざるを得ません。
このブログを読まれている患者さんやご家族の多くは、
個々の患者さんの個性をまったく無視して、
エビデンスという錦の御旗の元、
すべての患者さんに均一に執行される
標準的抗癌剤治療など希望していません。
その治療の唯一の根拠、水戸黄門様の印籠となっているエビデンスとて、
患者さんの個性は完全に無視して出されたものです。
患者さんの個人差を無視し
そのような個性のないエビデンスだけを、
すべての患者さんに均等に押し付ける
その様な治療を望む患者さんは多くはないはずです。
エビデンスについては、
1月15日の「ガン医療の現場で使われる言葉 エビデンスEBM(Evidence)」
1月16日の「ガン医療の現場で使われる言葉 エビデンスEBM(Evidence)(2)」
3月19日の「肺ガンの抗癌剤治療・エビデンスの裏側」
でたくさん書いてあります。
誰でも、自分に合った、自分の個性、価値観を尊重してくれる、
そして身体に優しい治療を望まれています。
しかし、その様な治療をしてくれる医療機関は非常に少ないのが現実です。
一方、その患者さんが希望しない標準的抗癌剤治療を
全国津々浦々に広めようという動きが、
国と某放送局を中心に強引に推し進められようとしています。
個性のある、暖かい料理を提供してくれる、
街の小さなレストランは駆逐し、
まったく均一な味の牛丼チェーンの展開を目論んでいるようなものです。
アメリカの牛肉輸入も再開されるようです。
お腹を空かせたガン患者さんが本当に食べたいのは、
均一の味しか提供できないチェーン店の牛丼ではなく、
自分に合った味付けをしてくれる小さなレストランのはずです。
何故、「患者さんという客」が求めるサービスを提供しようという動きが出てこないのでしょうか。
国も放送局も一緒になって、
客の望まないサービスの提供所の普及に躍起になるのでしょうか。
何処の街でも、牛丼に飽きたお客さん用に、
個性溢れる小さなレストランがたくさんできています。
医療という国民の生活の根源に係わることであるはずなのに、
何故、国民が望む方向に進めようとしないのか不思議でなりません。
「標準的抗癌剤治療 = 定食」説は、
3月10日の「ある腫瘍内科医の勘違い」
3月11日の「ガン治療の地域格差」
で詳しく書きましたご参照下さい。
その原因を考える時、
先ず、思い当たるのが日本の保健医療制度だと思います。
日本の保険医療制度については、
功罪あるでしょうけれど、
すべての国民に一定レベルの医療を提供することにおいて、
大きな役割を果たしてきたことは事実だと思いますし、
そのおかげで、日本の医療は全国民が受ける医療の平均水準を考えたならば、
世界水準を超えているように思います。
某放送局は、「アメリカの医療はこれほど素晴らしい」と、
ことさら隣の芝生をキレイに見せて、宣伝していますが、
前庭のキレイな芝生の倍以上に広がる荒廃した裏庭の雑草地はけっして見せません。
医療レベルだけの問題ではないでしょうが、
少なくとも某放送局が喧伝するほど日本の医療が立ち遅れていたならば、
日本が世界一の長寿国になることなどありえません。
ともかく、良し悪しは別にして日本の医療は、
世界に冠たる健康保険を柱に、
没個性の均等な医療を好んでいるようです。
ガン治療もその方針で行くならば、
再発、切除不能のガン治療において、
標準的抗癌剤治療を普及させることが、
いちばん理に適っているのかも知れません。
また、標準的ではない抗癌剤治療は、
一人ひとりの患者さんの価値観、個性、
更に、その患者さんに巣食ったガンそのものの個性までも
考慮しなければなりませんので、
均一治療・定食よりは、遥かに手間がかかります。
その手間に見合う医療費を病院に対して
逼迫した保険財源から支払っていたら、
保健医療財政は成り立たなくなる。
という、考えもあるのかも知れません。
私の行なっている治療も、
製薬会社には大きな利益をもたらしていますが、
私個人および私を使っている病院にはほとんど利益はありません。
国全体の医療費のことを考えると、
ガンを背負った国民には、
「個性あるレストランなんて贅沢!」
「均一な安い牛丼を食わせておけばいい」
という考えに落ち着くのでしょうか。
私は、吉野家の牛丼が大好きです。
280円であれほど満足できるものは他に見つかりません。
マクドナルドも好きですが、
コストパーフォマンスを考えれば吉野屋の勝ちです。
早く再開されることを祈っていますが、
私は、その牛丼にはタップリ紅ショウガを乗せます。
七味唐辛子を振る客もいます。
しかし、「標準的牛丼」では、
紅ショウガも唐辛子もその量がキッチリ決められています。
お腹がいっぱいになってしまっても、残すことなどもってのほかです。
自由は一切許されません。
辛いのが苦手な人も、唐辛子を決められた分量振らなければなりません。
更に食べるスピードさえ決められています。
そこまで、ガチガチに決められてしまっては、
吉野家ファンの私でも、入りたいとは思いません。
誰も、食べたいと思わなくなるのではないでしょうか。
国も放送局も、
その様な、標準的抗癌剤治療という標準的牛丼チェーンを
拡張しようとしているように思えてなりません。
全国民の3人に一人はガンで死にます。
一生涯のうちに二人に一人はガンに罹ります。
その様な国民病であるガンの治療が、
均一になっていくのは、
あまりにも民意を無視した恐ろしい政策のように思います。
本日は、遠方の患者さんで、
「近くに標準的でない治療をしてくれる病院が無い。」
「望んでいるような抗癌剤治療を近所ではしてもらえない。」
という相談を多数いただき、
何故患者さんが望む治療ができないのか、しないのか、
フト考えたことを書きました。
以上 文責 梅澤 充



