この言葉は、ガン治療の現場に立っていると、
何時も思い知らされる言葉です。
昨日は、患者さんの自己責任を感じることなく、
過度に厚生労働省や製薬会社の責任追及を行なうと、
薬害以上に、多くの、そのクスリを使えないがために亡くなられる犠牲者を出してしまう恐れがあることを書きましたが、
本日は、昨日より身近な患者さんの自己責任について書きます。
一昨日の「需要と供給」で書いた、
「本当に患者さんが望んでいる治療を受けることができない。」
「その治療をしている病院が少ない。」
この事実の原因の一つは、
日本人の自己責任に対する考え方にあるように思います。
ある事件に対して、自己の責任を考えるより先に、何でもかんでも他人の責任を追及する風潮に問題はないでしょうか。
官僚的な医者の立場から見れば、
切除不能、再発ガン治療は、
標準的抗癌剤治療を行なっていくことが一番正しいとされている上、
医者にとってはいちばん楽です。
ただただ教科書の指示どおりに遂行し、
クスリの量を間違えるなど、初歩的なミスさえ犯さなければ、
すべてありがたいエビデンスが責任を取ってくれます。
患者さんの運命は、ガンの進行とエビデンスにゆだねることができます。
患者さんがいくら副作用で苦しんでいても、
○○がんセンターの先生のようにコンピューター画面で血液データをチェックし、
患者さんの生命に危険がないことだけを確認して、
病室には行かずに、患者さんの苦しむ様子を見なければ医者の心が痛むこともありません。
患者さんが副作用でいくら吐いても辛くても死ぬことはありません。
生存期間中央値が12ヶ月とされているエビデンスの治療で、
もし患者さんが2ヶ月亡くなられても、
それもエビデンスです。
一方、標準的ではない治療を行なったとき、
すなわちエビデンスが無い治療を行なったときには、
エビデンスのある治療での生存期間中央値が○○ヶ月であった場合、
その数字より長く元気でいてくれれば、
医者は責任を追及されることはないと思います。
しかし、それより短かった場合には、
「何故エビデンスのある治療を行なわなかったのだ」
「エビデンスのある標準的抗癌剤治療を行なっていたら○○ヶ月は生きられたはずだ」
と、責任を追及される恐れがあります。
昨日書いたイレッサの間質性肺炎もその一つです。
ガン治療を行なっていく上で、
まったく副作用を伴わない治療など不可能です。
副作用により寿命を縮めることは珍しくありません。
私が行なっている標準的ではない抗癌剤治療も、
日常生活に支障を来たすような副作用だけは、
また、寿命を縮めるような副作用は出さないでいますが、
副作用が皆無などということはありません。
当時イレッサには、しっかりしたエビデンスはありませんでした。
その、エビデンスの無い治療を行い寿命を縮めてしまったがために、
裁判が行なわれています。
「肺ガンで死ぬのは仕方がない、しかし薬害で死ぬことは許されない」
という考えが、ご遺族の根底にあるようですが、
何故、薬害を発生させたイレッサを使わなければならなかったのでしょうか、
それは、切除不能の肺ガンを患っていたからのはずです。
切除不能の肺ガンは放置すれば5ヶ月で命を落とします。
無治療でいれば間も無く命を落とす肺ガンを患っていなければ
イレッサという治療の選択肢は有り得なかったはずです、
イレッサを使えば、もう少し長生きできる可能性がある、
と判断されたから、そのクスリに賭けてみたのだと思います。
したがってイレッサの副作用で亡くなられることは、
肺ガンで亡くなることに等しいように思います。
現在、イレッサによる間質性肺炎によって、
患者さんが亡くなられても裁判にはならないと思われます。
それは、間質性肺炎もイレッサのエビデンスの一つになっているからです。
間質性肺炎による死亡事故も起こりうることも念頭に、
患者さんも医者もイレッサに賭けるからです。
その結果は、不幸な患者さんもいまだに出ていますが、
その何十倍もの幸福な患者さんが生まれています。
エビデンスが無く、未知の事態が発生したら訴えられる。
今の日本の風潮を見ていると、
このイレッサのような訴訟が何時起こるか判らないような不安感を覚えます。
イレッサに関しては幸い医者は被告人にはなっていないようですが、
患者さんが望み、医者も患者さんのためを考えた治療を行なって、
不足の事態が発生し、ご家族の望む結果がでなかった場合、
医者が訴えられる。
これを危惧したら、医者は自己防衛に走ります。
すなわち、医者にとって一番安全な標準的な治療だけを
遂行するようになります。
抗癌剤治療であれば、標準的抗癌剤治療を行なってこくことが一番安全です。
手術でも拡大手術を行えば再発確率が低くなる、すなわち患者さんは長生きする、
ということが統計的に判っていても、
拡大手術を行えば術後の合併症は増える、
→ その結果手術により死に至る患者さんも出る可能性がある。
→ 手術後の合併症で患者さんが亡くなれば、
→ 間違いなくその手術の過失が追及され訴えられる。
となれば、その手術死の可能性も計算して、
そこまで行なった方が患者さんは長生きする、
と判っていても、
その一歩手間の合併症の少ない、医者にとって安全な手術を選びます。
それがたとえ再発確率が高いと判っていても、
再発すればそれは、再発したガンがすべての責任を背負ってくれることになり、
医者が過失致死で告訴されることはありません。
ナンともやりきれない話です。
現在の日本の「なんでも裁判」の現状は、
ガン治療を行なう医者を大きく萎縮されていることは事実だと思います。
幸い、私のところへ来られる患者さんの多くは、
標準的治療のエビデンスを知った上で、
「そのエビデンスには従いたくない」という、
はっきりとした意思を持っておられますので、
自己責任などとの言葉を出すまでも無く、
ご自身の決断で治療を望まれていますので、
少しは安心ですが・・・
また私は、患者さんからリクエストがあれば輸入の薬剤でも使っていますが、
日本の厚生労働省が認めていないクスリを使って、
不足の事態が発生した場合、
患者さんやご家族が自己責任を放棄したならば、
私が訴えられる可能性すらあります。
標準的な治療を標榜している病院・医者から、
標準的ではないオーダーメードの治療を、エビデンスの無い治療を、
患者さんから要求されたなら、
医者はやはり一歩引いてしまいます。
“なんでも裁判”のこのご時世を考えると、
「エビデンスがない治療を行い、上手くいかなかったら、訴えられる」
「そんなリスクを犯してまで治療する必要はない」
と考えるのが普通だと思います。
お粗末なエビデンスだけが頼りで、副作用も極めて大きい
現在の標準的抗癌剤治療を避けて、ご自身に合った治療、
すなわちエビデンスの無い治療を望まれるのであれば、
医者に対して、自分はしっかりと自己責任を果たすという意思を提示することも重要であるように思います。
昨日に続いて、ガン治療を行なっていく上で大変重要な患者さんの自己責任について書きました。
医者にとって最高の盾になってくれるエビデンスがしっかりしており
医者にとって一番優しい治療は標準的抗癌剤治療だけです。
患者さんにとって、標準的抗癌剤治療はたまたま厳しいだけです・・・
患者さんに自己責任が無いと感じたら、
医者は迷わず一番優しい治療を選択します。
以上 文責 梅澤 充
何時も思い知らされる言葉です。
昨日は、患者さんの自己責任を感じることなく、
過度に厚生労働省や製薬会社の責任追及を行なうと、
薬害以上に、多くの、そのクスリを使えないがために亡くなられる犠牲者を出してしまう恐れがあることを書きましたが、
本日は、昨日より身近な患者さんの自己責任について書きます。
一昨日の「需要と供給」で書いた、
「本当に患者さんが望んでいる治療を受けることができない。」
「その治療をしている病院が少ない。」
この事実の原因の一つは、
日本人の自己責任に対する考え方にあるように思います。
ある事件に対して、自己の責任を考えるより先に、何でもかんでも他人の責任を追及する風潮に問題はないでしょうか。
官僚的な医者の立場から見れば、
切除不能、再発ガン治療は、
標準的抗癌剤治療を行なっていくことが一番正しいとされている上、
医者にとってはいちばん楽です。
ただただ教科書の指示どおりに遂行し、
クスリの量を間違えるなど、初歩的なミスさえ犯さなければ、
すべてありがたいエビデンスが責任を取ってくれます。
患者さんの運命は、ガンの進行とエビデンスにゆだねることができます。
患者さんがいくら副作用で苦しんでいても、
○○がんセンターの先生のようにコンピューター画面で血液データをチェックし、
患者さんの生命に危険がないことだけを確認して、
病室には行かずに、患者さんの苦しむ様子を見なければ医者の心が痛むこともありません。
患者さんが副作用でいくら吐いても辛くても死ぬことはありません。
生存期間中央値が12ヶ月とされているエビデンスの治療で、
もし患者さんが2ヶ月亡くなられても、
それもエビデンスです。
一方、標準的ではない治療を行なったとき、
すなわちエビデンスが無い治療を行なったときには、
エビデンスのある治療での生存期間中央値が○○ヶ月であった場合、
その数字より長く元気でいてくれれば、
医者は責任を追及されることはないと思います。
しかし、それより短かった場合には、
「何故エビデンスのある治療を行なわなかったのだ」
「エビデンスのある標準的抗癌剤治療を行なっていたら○○ヶ月は生きられたはずだ」
と、責任を追及される恐れがあります。
昨日書いたイレッサの間質性肺炎もその一つです。
ガン治療を行なっていく上で、
まったく副作用を伴わない治療など不可能です。
副作用により寿命を縮めることは珍しくありません。
私が行なっている標準的ではない抗癌剤治療も、
日常生活に支障を来たすような副作用だけは、
また、寿命を縮めるような副作用は出さないでいますが、
副作用が皆無などということはありません。
当時イレッサには、しっかりしたエビデンスはありませんでした。
その、エビデンスの無い治療を行い寿命を縮めてしまったがために、
裁判が行なわれています。
「肺ガンで死ぬのは仕方がない、しかし薬害で死ぬことは許されない」
という考えが、ご遺族の根底にあるようですが、
何故、薬害を発生させたイレッサを使わなければならなかったのでしょうか、
それは、切除不能の肺ガンを患っていたからのはずです。
切除不能の肺ガンは放置すれば5ヶ月で命を落とします。
無治療でいれば間も無く命を落とす肺ガンを患っていなければ
イレッサという治療の選択肢は有り得なかったはずです、
イレッサを使えば、もう少し長生きできる可能性がある、
と判断されたから、そのクスリに賭けてみたのだと思います。
したがってイレッサの副作用で亡くなられることは、
肺ガンで亡くなることに等しいように思います。
現在、イレッサによる間質性肺炎によって、
患者さんが亡くなられても裁判にはならないと思われます。
それは、間質性肺炎もイレッサのエビデンスの一つになっているからです。
間質性肺炎による死亡事故も起こりうることも念頭に、
患者さんも医者もイレッサに賭けるからです。
その結果は、不幸な患者さんもいまだに出ていますが、
その何十倍もの幸福な患者さんが生まれています。
エビデンスが無く、未知の事態が発生したら訴えられる。
今の日本の風潮を見ていると、
このイレッサのような訴訟が何時起こるか判らないような不安感を覚えます。
イレッサに関しては幸い医者は被告人にはなっていないようですが、
患者さんが望み、医者も患者さんのためを考えた治療を行なって、
不足の事態が発生し、ご家族の望む結果がでなかった場合、
医者が訴えられる。
これを危惧したら、医者は自己防衛に走ります。
すなわち、医者にとって一番安全な標準的な治療だけを
遂行するようになります。
抗癌剤治療であれば、標準的抗癌剤治療を行なってこくことが一番安全です。
手術でも拡大手術を行えば再発確率が低くなる、すなわち患者さんは長生きする、
ということが統計的に判っていても、
拡大手術を行えば術後の合併症は増える、
→ その結果手術により死に至る患者さんも出る可能性がある。
→ 手術後の合併症で患者さんが亡くなれば、
→ 間違いなくその手術の過失が追及され訴えられる。
となれば、その手術死の可能性も計算して、
そこまで行なった方が患者さんは長生きする、
と判っていても、
その一歩手間の合併症の少ない、医者にとって安全な手術を選びます。
それがたとえ再発確率が高いと判っていても、
再発すればそれは、再発したガンがすべての責任を背負ってくれることになり、
医者が過失致死で告訴されることはありません。
ナンともやりきれない話です。
現在の日本の「なんでも裁判」の現状は、
ガン治療を行なう医者を大きく萎縮されていることは事実だと思います。
幸い、私のところへ来られる患者さんの多くは、
標準的治療のエビデンスを知った上で、
「そのエビデンスには従いたくない」という、
はっきりとした意思を持っておられますので、
自己責任などとの言葉を出すまでも無く、
ご自身の決断で治療を望まれていますので、
少しは安心ですが・・・
また私は、患者さんからリクエストがあれば輸入の薬剤でも使っていますが、
日本の厚生労働省が認めていないクスリを使って、
不足の事態が発生した場合、
患者さんやご家族が自己責任を放棄したならば、
私が訴えられる可能性すらあります。
標準的な治療を標榜している病院・医者から、
標準的ではないオーダーメードの治療を、エビデンスの無い治療を、
患者さんから要求されたなら、
医者はやはり一歩引いてしまいます。
“なんでも裁判”のこのご時世を考えると、
「エビデンスがない治療を行い、上手くいかなかったら、訴えられる」
「そんなリスクを犯してまで治療する必要はない」
と考えるのが普通だと思います。
お粗末なエビデンスだけが頼りで、副作用も極めて大きい
現在の標準的抗癌剤治療を避けて、ご自身に合った治療、
すなわちエビデンスの無い治療を望まれるのであれば、
医者に対して、自分はしっかりと自己責任を果たすという意思を提示することも重要であるように思います。
昨日に続いて、ガン治療を行なっていく上で大変重要な患者さんの自己責任について書きました。
医者にとって最高の盾になってくれるエビデンスがしっかりしており
医者にとって一番優しい治療は標準的抗癌剤治療だけです。
患者さんにとって、標準的抗癌剤治療はたまたま厳しいだけです・・・
患者さんに自己責任が無いと感じたら、
医者は迷わず一番優しい治療を選択します。
以上 文責 梅澤 充



