昨日の「信頼」で、
土用の丑の日のウナギ屋のことを書きましたが、
昨日、大塚北口診療所を出て帰宅するとき、
ウナギ屋には行列が出来ていました。
私もウナギは大好きで、
あの煙にはそそられるものがありますが、
何故、土用の丑の日になると、
いつもは有り得ない行列が出来るのでしょうか。
土用の丑の日にウナギを食べるという、
古い風習の理屈は幾つかあるようですが、
現在の日本人の食生活でそれが必要でしょうか。
猛暑日ならなんとなく、
ウナギを食べたくなる気持ちも分かりますが、
昨日の東京は台風の影響で、
朝方など寒く感じるくらいの陽気でした。
夕方になっても、
鍋物が似合うくらいの気温でした。
日本人には
「みんなが食べるとなると、自分だけ食べないと取り残される」
という不思議な感覚があるような気がします。
日本人すべての摂食意欲が同じはずはありません。
みんなが同じものを食べてたくなることなど、
ありえません。
件の原発事故の後に、
被曝を少しでも減らそうとして、
福島県やその近隣地域では、
自分でマスクをしたり、
子供にさせたりしていると、
「自分だけ助かろうとして・・・」
と白い目で見られたそうです。
何という愚かな思考回路でしょうか。
この夏休みに、
賢明なそして経済的に余裕のある親御さんは、
子供を福島県から非難させるために転校という、
真っ当な道を選択しているようです。
他人が被曝しても、しなくても、
その本人には何の関係の無いことです。
自分が被曝してあげても、
他人様は誰も喜びません。
危険なものは、
誰にとっても危険です。
安全・安心な「日本製」の放射線でも危険です。
みんなと一緒という、
日本人特有と思われる奇妙な連帯感は、
抗癌剤治療の世界でもまったく同じです。
人間、生まれるときも、
死ぬときも、
誰でもみな平等に一人ぽっちです。
しかし、その死に向かう過程が、
みんなと同じで、
同じように苦しみ、
心身ともに衰えて朽ち果てていけば満足なのでしょうか。
何回も書いていますが、
すべての人間、
すべてのガンに対して、
まったく同一の治療が、
最善でありうるはずがありません。
100人その均一治療を行えば、
一人くらいは、
それが最善の患者さんもいるかも知れません。
しかし、ほとんどの患者さんでは、
最善ではないはずです。
何故、日本人は、
自分にだけ最善の治療を選択しようとしないのか、
本当に不思議です。
標準治療で喜ぶのは、
製薬会社だけです。
昨日の丑の日でも、
一番喜んでいるのは、
ウナギ屋だけのように感じます。
ウナギ君はいい迷惑でしょう。
クリスマスも、バレンタインも、
商魂逞しい業者のためにあるような存在です。
他人の目を憚ることなく、
ジックリとご自身だけの、
幸福を考えてください。
基本的に農耕民族である日本人には、
「みんな平等に」
恩恵も害も与えてくれる自然という大きな力から、
自分だけ離れるという勇気が無いのでしょうね。
自然が被害を与えると分かっている状況でも。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
土用の丑の日のウナギ屋のことを書きましたが、
昨日、大塚北口診療所を出て帰宅するとき、
ウナギ屋には行列が出来ていました。
私もウナギは大好きで、
あの煙にはそそられるものがありますが、
何故、土用の丑の日になると、
いつもは有り得ない行列が出来るのでしょうか。
土用の丑の日にウナギを食べるという、
古い風習の理屈は幾つかあるようですが、
現在の日本人の食生活でそれが必要でしょうか。
猛暑日ならなんとなく、
ウナギを食べたくなる気持ちも分かりますが、
昨日の東京は台風の影響で、
朝方など寒く感じるくらいの陽気でした。
夕方になっても、
鍋物が似合うくらいの気温でした。
日本人には
「みんなが食べるとなると、自分だけ食べないと取り残される」
という不思議な感覚があるような気がします。
日本人すべての摂食意欲が同じはずはありません。
みんなが同じものを食べてたくなることなど、
ありえません。
件の原発事故の後に、
被曝を少しでも減らそうとして、
福島県やその近隣地域では、
自分でマスクをしたり、
子供にさせたりしていると、
「自分だけ助かろうとして・・・」
と白い目で見られたそうです。
何という愚かな思考回路でしょうか。
この夏休みに、
賢明なそして経済的に余裕のある親御さんは、
子供を福島県から非難させるために転校という、
真っ当な道を選択しているようです。
他人が被曝しても、しなくても、
その本人には何の関係の無いことです。
自分が被曝してあげても、
他人様は誰も喜びません。
危険なものは、
誰にとっても危険です。
安全・安心な「日本製」の放射線でも危険です。
みんなと一緒という、
日本人特有と思われる奇妙な連帯感は、
抗癌剤治療の世界でもまったく同じです。
人間、生まれるときも、
死ぬときも、
誰でもみな平等に一人ぽっちです。
しかし、その死に向かう過程が、
みんなと同じで、
同じように苦しみ、
心身ともに衰えて朽ち果てていけば満足なのでしょうか。
何回も書いていますが、
すべての人間、
すべてのガンに対して、
まったく同一の治療が、
最善でありうるはずがありません。
100人その均一治療を行えば、
一人くらいは、
それが最善の患者さんもいるかも知れません。
しかし、ほとんどの患者さんでは、
最善ではないはずです。
何故、日本人は、
自分にだけ最善の治療を選択しようとしないのか、
本当に不思議です。
標準治療で喜ぶのは、
製薬会社だけです。
昨日の丑の日でも、
一番喜んでいるのは、
ウナギ屋だけのように感じます。
ウナギ君はいい迷惑でしょう。
クリスマスも、バレンタインも、
商魂逞しい業者のためにあるような存在です。
他人の目を憚ることなく、
ジックリとご自身だけの、
幸福を考えてください。
基本的に農耕民族である日本人には、
「みんな平等に」
恩恵も害も与えてくれる自然という大きな力から、
自分だけ離れるという勇気が無いのでしょうね。
自然が被害を与えると分かっている状況でも。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。