日本では十数年前までは、
ガンという病名を本人に告知することすらタブーでした。
しかし現在では、
神様にしか分からないはずの人の寿命を、
ご家族のみならず、
ご本人に対しても、
「あと何ヶ月です」などと、
ハッキリと宣告する病院も少なからず出てきました。
その宣告の良し悪しは、
個々の患者さんで違っています。
その数字を、
真剣に受け止めて、
それに対して、
如何に対処するかをシッカリと考えることができる患者さんでは、
一見残酷で無責任なその宣告も悪くはないと思います。
事の深刻さを悟って、
ご自身に最適な治療を探すきっかけになる可能性があります。
しかし、
「こんなに元気なのに、そんなに早く死ぬはずがない」
「あの医者は適当なことを言っている」
などと楽観的に聞き流してしまい、
真面目に受け止めない患者さんにとっては、
その宣告が災いすることもあります。
嘘だと思った患者さんでも、
他の病院にセカンドオピニオンに行けば、
その宣告が嘘ではないことを知り、
真面目にその意味を考えるようになるでしょうから、
それならば救われます。
しかし、
「死ぬことはないだろうけど、
とりあえず、それしかないという抗癌剤治療を受けてみよう」
などと考えてしまったら、
本当に主治医の予言どおりの結果に終わってしまいます。
しかも、元気だったガン患者さんが、
治療が始まると同時に、
いきなり重病人に変身して、
そのまま最期の時を迎えることになります。
それがエビデンスです。
標準治療しか行っていない病院で、
その治療でのエビデンスとなっている数字を正確に説明するなら、
まだ良いのですが、
その数字にかなりのサバを読む医者が少なくありません。
「治りません」という真実を言うことは、
必要だと思います。
しかし「治らない」と言われた患者さんが、
次に考えることは、
「どの程度生きていることができるのか?」
ということであるはずです。
その時、
標準治療では、
それを行うときの唯一の根拠になっているエビデンスがあります。
その数字を正確に患者さんに伝えて、
その数字に対して患者さんが、
ご自身の価値観から、
その治療を受けるか否か判断するべきです。
しかし、その数字が捏造されていると、
判断基準そのものが狂ってしまいます。
その患者さんの一生の計画が壊れることになります。
エビデンスでは、
生存期間中央治値が12か月程度であるところを、
「短ければ20ヶ月」
などと説明されている患者さんは、
何人も見てきました、
エビデンスとなっている、
生存期間中央治値12か月ということは、
その治療を開始後
半分の患者さんは、
12か月以内に亡くなるということです。
「最低で20ヶ月」とはまったく意味が違います。
残された人生のプランが、
大きく狂ってしまいます。
神様にしか許されていないはずの、
予後の宣告など、
医者ごときがするべきではないと考えますが、
「知る権利」なる不便なものも存在していて、
現在の社会では仕方がないようにも思います。
しかしエビデンスに則った治療において、
その宣告をするなら、
最低限度その治療の唯一の根拠になっている
エビデンスどおりの数字を提示するべきです。
医者の優しさから、
あまりにも厳しい数字に多少のゲタを履かせて、
宣告しているのでしょうけれども、
それならば「分かりません」という、
真実を話すべきです。
エビデンスは患者集団の平均値というだけで、
個々の患者さんの治療成果を反映するものではありません。
しかし白衣の閻魔様が自分は神様と勘違いして、
真実を伝えることすら守られていない出鱈目宣告が、
日本中で横行している現状では、
その宣告を受けた患者さんは、
ご自宅近くのできるだけ大きな病院で、
セカンドオピニオンを受けたほうが無難です。
セカンドオピニオンでは、
エビデンスの権化のようながんセンターは、
大きな役割を果たします。
そこで治療は受けるべきだとは思いませんが。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
ガンという病名を本人に告知することすらタブーでした。
しかし現在では、
神様にしか分からないはずの人の寿命を、
ご家族のみならず、
ご本人に対しても、
「あと何ヶ月です」などと、
ハッキリと宣告する病院も少なからず出てきました。
その宣告の良し悪しは、
個々の患者さんで違っています。
その数字を、
真剣に受け止めて、
それに対して、
如何に対処するかをシッカリと考えることができる患者さんでは、
一見残酷で無責任なその宣告も悪くはないと思います。
事の深刻さを悟って、
ご自身に最適な治療を探すきっかけになる可能性があります。
しかし、
「こんなに元気なのに、そんなに早く死ぬはずがない」
「あの医者は適当なことを言っている」
などと楽観的に聞き流してしまい、
真面目に受け止めない患者さんにとっては、
その宣告が災いすることもあります。
嘘だと思った患者さんでも、
他の病院にセカンドオピニオンに行けば、
その宣告が嘘ではないことを知り、
真面目にその意味を考えるようになるでしょうから、
それならば救われます。
しかし、
「死ぬことはないだろうけど、
とりあえず、それしかないという抗癌剤治療を受けてみよう」
などと考えてしまったら、
本当に主治医の予言どおりの結果に終わってしまいます。
しかも、元気だったガン患者さんが、
治療が始まると同時に、
いきなり重病人に変身して、
そのまま最期の時を迎えることになります。
それがエビデンスです。
標準治療しか行っていない病院で、
その治療でのエビデンスとなっている数字を正確に説明するなら、
まだ良いのですが、
その数字にかなりのサバを読む医者が少なくありません。
「治りません」という真実を言うことは、
必要だと思います。
しかし「治らない」と言われた患者さんが、
次に考えることは、
「どの程度生きていることができるのか?」
ということであるはずです。
その時、
標準治療では、
それを行うときの唯一の根拠になっているエビデンスがあります。
その数字を正確に患者さんに伝えて、
その数字に対して患者さんが、
ご自身の価値観から、
その治療を受けるか否か判断するべきです。
しかし、その数字が捏造されていると、
判断基準そのものが狂ってしまいます。
その患者さんの一生の計画が壊れることになります。
エビデンスでは、
生存期間中央治値が12か月程度であるところを、
「短ければ20ヶ月」
などと説明されている患者さんは、
何人も見てきました、
エビデンスとなっている、
生存期間中央治値12か月ということは、
その治療を開始後
半分の患者さんは、
12か月以内に亡くなるということです。
「最低で20ヶ月」とはまったく意味が違います。
残された人生のプランが、
大きく狂ってしまいます。
神様にしか許されていないはずの、
予後の宣告など、
医者ごときがするべきではないと考えますが、
「知る権利」なる不便なものも存在していて、
現在の社会では仕方がないようにも思います。
しかしエビデンスに則った治療において、
その宣告をするなら、
最低限度その治療の唯一の根拠になっている
エビデンスどおりの数字を提示するべきです。
医者の優しさから、
あまりにも厳しい数字に多少のゲタを履かせて、
宣告しているのでしょうけれども、
それならば「分かりません」という、
真実を話すべきです。
エビデンスは患者集団の平均値というだけで、
個々の患者さんの治療成果を反映するものではありません。
しかし白衣の閻魔様が自分は神様と勘違いして、
真実を伝えることすら守られていない出鱈目宣告が、
日本中で横行している現状では、
その宣告を受けた患者さんは、
ご自宅近くのできるだけ大きな病院で、
セカンドオピニオンを受けたほうが無難です。
セカンドオピニオンでは、
エビデンスの権化のようながんセンターは、
大きな役割を果たします。
そこで治療は受けるべきだとは思いませんが。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。