1月9日の「成人式」に対して、
考えさせられるコメントがありました。
一部抜粋再掲します。
モルモットでしょうか?
それほど上等ではないような気もします・・・
私はモルモットは使ったことはありませんが、
20年以上前までは、
相当数のネズミ君を使って実験をしていました。
1000頭は楽に超える数の命を奪ってきました。
しかしすべてのネズミ君たちを、
逐一こまめに観察していました。
動物実験は、
特に小動物での実験では、
幾つかのカテゴリーを作り、
何頭ずつかのグループに分けて、
その中では十把一絡げにして、
統計データを出します。
十把一絡げでの統計データは、
人間様のガン治療のデータでも同じです。
十把一絡げにされてデータが出される個々のネズミ君たちでも、
それぞれ立派に個性を主張していました。
ストレプトゾトシンという、
ガン治療にも使われている薬剤を使った実験では、
一過性ですが猛烈な低血糖を引き起こすため、
糖分の多い甘いエサを準備しなければなりませんが、
角砂糖が好きなネズミ君、
チョコレートが好物なネズミ君など、
同じ種類のネズミでも嗜好が違っているのには驚きました。
動物実験で個々のデータを逐一見ていると、
全体のデータが出せなくなります。
個性はすべて無視されます。
標準偏差なるものを使って、
それぞれのカテゴリー・グループで、
統計学的な有意差の有無などを見ていました。
人間での統計データと同じです。
実験台になる動物でも、
経過は診てもらえます。
勿論、実験動物のためではなく、
人間様のためにですが。
しかし標準治療というベルトコンベアに乗せられる多くの患者さんは、
経過観察を懇願しても、
軽く一蹴されて、
悪化しているのか否かさえ確認されずに、
粛々と規定量の大量の細胞毒が注入されていくだけのかたも、
たくさんいるのが現実です。
最終コースまで終了して、
はじめて結果発表があり、
外れていたら緩和ケア行宣告。
当選者だけは、
次の標準コースへの道が開かれる、
という現実もあります。
効かない抗癌剤は、
寿命を縮めます。
途中で止めたほうが長生きできます。
しかし検査をしてくれませんから、
効果の程など分かるはずはありません。
何だか、
標準治療というベルトコンベアに乗せられた患者さんに対する扱いは、
実験用のモルモット以下のような気もします。
勿論、「治験」という、
文字通りの「実験治療」の場合には、
それを受ける患者さんは、
貴重なデータを提供してくれる実験動物ですから、
モルモット以上に大切に扱ってもらえます。
しかし治験が終われば、
その後は
「緩和ケアでも何処でも行ってください」と、
主治医の態度が豹変して、
即座に追い出されてきた患者さんは、
今まで何人診てきたか数知れません。
そもそも治験自体が、
データすなわちエビデンスのまだ出されていない治療ですから、
その後のすべての治療でエビデンスなど存在していません。
エビデンス・EBMを念仏のように唱えている病院では、
その後に治療を行うこと自体、
唱えている大切な念仏・錦の御旗に反しています。
本当にエビデンス・EBMを固守するつもりがある病院なら、
治験に参加した患者さんは、
すべて「使い捨ての実験動物」になります。
「標準」とされる治療を、
全面的に否定する気はありませんが、
標準治療・エビデンス・EBMにはあまりにも多くの矛盾があります。
そして「標準」は、
患者さんにとっては、
けっして有り難い存在ではありません。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
考えさせられるコメントがありました。
一部抜粋再掲します。
どうもFECは効果無い気がしていましたが、
何か言うと顔色変える主治医ですので、黙ってました。
検査もお願いしても無理でしたので、、、どうなっているのでしょうね。
この現実、私の体はモルモットでしょうか。
今の標準治療医師、残念に思います。
モルモットでしょうか?
それほど上等ではないような気もします・・・
私はモルモットは使ったことはありませんが、
20年以上前までは、
相当数のネズミ君を使って実験をしていました。
1000頭は楽に超える数の命を奪ってきました。
しかしすべてのネズミ君たちを、
逐一こまめに観察していました。
動物実験は、
特に小動物での実験では、
幾つかのカテゴリーを作り、
何頭ずつかのグループに分けて、
その中では十把一絡げにして、
統計データを出します。
十把一絡げでの統計データは、
人間様のガン治療のデータでも同じです。
十把一絡げにされてデータが出される個々のネズミ君たちでも、
それぞれ立派に個性を主張していました。
ストレプトゾトシンという、
ガン治療にも使われている薬剤を使った実験では、
一過性ですが猛烈な低血糖を引き起こすため、
糖分の多い甘いエサを準備しなければなりませんが、
角砂糖が好きなネズミ君、
チョコレートが好物なネズミ君など、
同じ種類のネズミでも嗜好が違っているのには驚きました。
動物実験で個々のデータを逐一見ていると、
全体のデータが出せなくなります。
個性はすべて無視されます。
標準偏差なるものを使って、
それぞれのカテゴリー・グループで、
統計学的な有意差の有無などを見ていました。
人間での統計データと同じです。
実験台になる動物でも、
経過は診てもらえます。
勿論、実験動物のためではなく、
人間様のためにですが。
しかし標準治療というベルトコンベアに乗せられる多くの患者さんは、
経過観察を懇願しても、
軽く一蹴されて、
悪化しているのか否かさえ確認されずに、
粛々と規定量の大量の細胞毒が注入されていくだけのかたも、
たくさんいるのが現実です。
最終コースまで終了して、
はじめて結果発表があり、
外れていたら緩和ケア行宣告。
当選者だけは、
次の標準コースへの道が開かれる、
という現実もあります。
効かない抗癌剤は、
寿命を縮めます。
途中で止めたほうが長生きできます。
しかし検査をしてくれませんから、
効果の程など分かるはずはありません。
何だか、
標準治療というベルトコンベアに乗せられた患者さんに対する扱いは、
実験用のモルモット以下のような気もします。
勿論、「治験」という、
文字通りの「実験治療」の場合には、
それを受ける患者さんは、
貴重なデータを提供してくれる実験動物ですから、
モルモット以上に大切に扱ってもらえます。
しかし治験が終われば、
その後は
「緩和ケアでも何処でも行ってください」と、
主治医の態度が豹変して、
即座に追い出されてきた患者さんは、
今まで何人診てきたか数知れません。
そもそも治験自体が、
データすなわちエビデンスのまだ出されていない治療ですから、
その後のすべての治療でエビデンスなど存在していません。
エビデンス・EBMを念仏のように唱えている病院では、
その後に治療を行うこと自体、
唱えている大切な念仏・錦の御旗に反しています。
本当にエビデンス・EBMを固守するつもりがある病院なら、
治験に参加した患者さんは、
すべて「使い捨ての実験動物」になります。
「標準」とされる治療を、
全面的に否定する気はありませんが、
標準治療・エビデンス・EBMにはあまりにも多くの矛盾があります。
そして「標準」は、
患者さんにとっては、
けっして有り難い存在ではありません。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。