仏作って魂入れず?
私は、根治が難しいと思われるガン患者さんの治療をはじめる時、多くの場合、私の考えだけではなく、できるだけ多くの医療機関での治療に対する考え方を聞いてくるように勧めます。
いわゆるセカンドオピニオンです。
それは、最終的に不幸な結果に終わってしまった場合、
「あの病院で治療をしていたら別の結果が出たのではないか。」
「あの大病院に行っていれば、助かったのではないか。」と、後に残されたご家族が、大きな後悔・疑念を残すことがあるからです。
我々医療者としては、当然の結果であっても、
肉親のしかも医療には全く知識のない方の目から見たら当然の疑念です。
今診ている、現状では手術不能であるガンの患者さんにも、同様にセカンドオピニオンを勧めました。
当然その前に、患者さんを交えてご家族とも、どのような方針で治療を進めてゆくかについて、相当の時間を割いて、説明し相談しあいました。

それぞれ、

以上を十分に説明し(つもり)、「ご家族と共にしっかり考えて下さい。」と話しました。
それと同時に、その患者さんおよびご家族への説明内容を記載した紹介状と、検査所見をご家族に渡し、セカンドオピニオンを受けるように説明しました。
ご家族は、何処の病院へ行けばいいのか迷われたようですが、NHKも絶賛し昨年も今年も番組に登場してきた某がんセンターへ行かれました。
その結果患者さんご本人およびご家族の意見は、最終的に
「#4.の標準的抗癌剤治療の後で、病巣を再確認し、可能であれば手術を行なう」というエビデンスのない治療を行なうことで統一されました。
まだ、お子さんが小さく、延命治療では意味がない。
「何が何でも、治る。治す。生き抜く。それには、#4.に賭ける。」
との決意の結果の回答でした。
すぐに、そのとおりの治療を開始しましたが、
治療開始後に、ご家族は、セカンドオピニオンの結果を持参してきました。
その結果、
以下のようなお手紙を頂きました。

(内容・綴りは原文のままです)
私には、この手紙からは、患者さんに対するひとかけらの愛情も、思いやりも感じられません。
「TS-1 + CDDP following surgery とは、TS-1 という抗癌剤とCDDP(シスプラチン)という抗癌剤を併用する抗癌剤治療の後に、外科手術を行なう」という意味です。
そのことについては、エビデンスはない、すなわち根拠のある治療ではない旨、しっかり説明してあり、更にそれにより命を縮めてしまう可能性すらあることも話してあります。
そのことは、患者さんが持参した紹介状にも書いてあり、その○×○内科 担当医氏名 ○○△△もそれを見ているはずです。
その上で「実験的医療であることを中心に御話しました。」とは、
何故そうなるのでしょうか?
「現状ではchemotherapyの続行になる可能性が高いことは御話しました。」
chemotherapyとは、抗癌剤治療のことです。
その病院の抗癌剤治療は、まさに錦の御旗であるエビデンスどおりの、
標準的な抗癌剤治療です。
抗癌剤治療医以外は、誰も満足することはないと思われる、
その標準的抗癌剤治療の極めて悲惨なエビデンスについては、当ブログでも何回も書いてきました。
その治療は、極端な言い方をすると、
「脇道にそれることなく、“死という終着駅”向かって一直線に走る列車に乗せる治療」
ではないでしょうか。
「幼い子供のためにも、何としても生きてゆかなければならない。今死ぬことはできない。」
という、懸命な思いの患者さんに対して、よくもこれほど機械的な扱いができるものだと感心してしまいます。
どうして、患者さんの心からの願いに耳を傾けてあげられないのでしょうか。
たとえ、願いを叶えることが難しくても、
それに近づけるように努力しようとしないのでしょうか。
私が、その患者さんの願いを叶えてあげられるなどと、思い上がりはありません。
しかし、その願いに何とか近づけてあげたい、という気持ちだけは持っています。
それを持つことが、ガン治療を行なう医者の責務だと考えます。
その某がんセンターは、確かに、
建物・設備だけは極めて立派ですが、
それを動かす人間のこころは・・・・
「仏作って魂入れず」ではないでしょうか。
「地方都市には、ガン治療の拠点病院がない」と、NHKの番組でも訴えていました。
しかし、首都圏の極めて立派ながんセンターでも、この程度の内容ですから、
地方の方々も、地方だからということで、悲観することはないと思います。
むしろ、立派な建物に騙されて、こころの通わない標準的抗癌剤治療を受けてしまうより、余程マシかもしれません。
今日は、セカンドオピニオンの回答が、余りにも人間味のない冷たい内容でしたので、
少々怒りに任せて書いてしまいました。
以上 文責 梅澤 充
私は、根治が難しいと思われるガン患者さんの治療をはじめる時、多くの場合、私の考えだけではなく、できるだけ多くの医療機関での治療に対する考え方を聞いてくるように勧めます。
いわゆるセカンドオピニオンです。
それは、最終的に不幸な結果に終わってしまった場合、
「あの病院で治療をしていたら別の結果が出たのではないか。」
「あの大病院に行っていれば、助かったのではないか。」と、後に残されたご家族が、大きな後悔・疑念を残すことがあるからです。
我々医療者としては、当然の結果であっても、
肉親のしかも医療には全く知識のない方の目から見たら当然の疑念です。
今診ている、現状では手術不能であるガンの患者さんにも、同様にセカンドオピニオンを勧めました。
当然その前に、患者さんを交えてご家族とも、どのような方針で治療を進めてゆくかについて、相当の時間を割いて、説明し相談しあいました。

それぞれ、

以上を十分に説明し(つもり)、「ご家族と共にしっかり考えて下さい。」と話しました。
それと同時に、その患者さんおよびご家族への説明内容を記載した紹介状と、検査所見をご家族に渡し、セカンドオピニオンを受けるように説明しました。
ご家族は、何処の病院へ行けばいいのか迷われたようですが、NHKも絶賛し昨年も今年も番組に登場してきた某がんセンターへ行かれました。
その結果患者さんご本人およびご家族の意見は、最終的に
「#4.の標準的抗癌剤治療の後で、病巣を再確認し、可能であれば手術を行なう」というエビデンスのない治療を行なうことで統一されました。
まだ、お子さんが小さく、延命治療では意味がない。
「何が何でも、治る。治す。生き抜く。それには、#4.に賭ける。」
との決意の結果の回答でした。
すぐに、そのとおりの治療を開始しましたが、
治療開始後に、ご家族は、セカンドオピニオンの結果を持参してきました。
その結果、
以下のようなお手紙を頂きました。

(内容・綴りは原文のままです)
私には、この手紙からは、患者さんに対するひとかけらの愛情も、思いやりも感じられません。
「TS-1 + CDDP following surgery とは、TS-1 という抗癌剤とCDDP(シスプラチン)という抗癌剤を併用する抗癌剤治療の後に、外科手術を行なう」という意味です。
そのことについては、エビデンスはない、すなわち根拠のある治療ではない旨、しっかり説明してあり、更にそれにより命を縮めてしまう可能性すらあることも話してあります。
そのことは、患者さんが持参した紹介状にも書いてあり、その○×○内科 担当医氏名 ○○△△もそれを見ているはずです。
その上で「実験的医療であることを中心に御話しました。」とは、
何故そうなるのでしょうか?
「現状ではchemotherapyの続行になる可能性が高いことは御話しました。」
chemotherapyとは、抗癌剤治療のことです。
その病院の抗癌剤治療は、まさに錦の御旗であるエビデンスどおりの、
標準的な抗癌剤治療です。
抗癌剤治療医以外は、誰も満足することはないと思われる、
その標準的抗癌剤治療の極めて悲惨なエビデンスについては、当ブログでも何回も書いてきました。
その治療は、極端な言い方をすると、
「脇道にそれることなく、“死という終着駅”向かって一直線に走る列車に乗せる治療」
ではないでしょうか。
「幼い子供のためにも、何としても生きてゆかなければならない。今死ぬことはできない。」
という、懸命な思いの患者さんに対して、よくもこれほど機械的な扱いができるものだと感心してしまいます。
どうして、患者さんの心からの願いに耳を傾けてあげられないのでしょうか。
たとえ、願いを叶えることが難しくても、
それに近づけるように努力しようとしないのでしょうか。
私が、その患者さんの願いを叶えてあげられるなどと、思い上がりはありません。
しかし、その願いに何とか近づけてあげたい、という気持ちだけは持っています。
それを持つことが、ガン治療を行なう医者の責務だと考えます。
その某がんセンターは、確かに、
建物・設備だけは極めて立派ですが、
それを動かす人間のこころは・・・・
「仏作って魂入れず」ではないでしょうか。
「地方都市には、ガン治療の拠点病院がない」と、NHKの番組でも訴えていました。
しかし、首都圏の極めて立派ながんセンターでも、この程度の内容ですから、
地方の方々も、地方だからということで、悲観することはないと思います。
むしろ、立派な建物に騙されて、こころの通わない標準的抗癌剤治療を受けてしまうより、余程マシかもしれません。
今日は、セカンドオピニオンの回答が、余りにも人間味のない冷たい内容でしたので、
少々怒りに任せて書いてしまいました。
以上 文責 梅澤 充



