治らないガンを宿してしまった場合、
はじめから無治療という方針もあります。
標準的に大量の抗癌剤の注入で、
散々苦しんだ挙句、
旅立つのであれば、
副作用は絶対に無い、
無治療で元気な時間を楽しく過ごす。
これも、治らないガンに対する立派な対処法だと思います。
「僅かな延命が得られるかも知れない」というだけで、
「失われる平穏な日常生活」という代償は、
大き過ぎるように感じます。
しかし、ほとんどの患者さんは、
無治療という選択肢はアタマにありません。
一般的に標準治療に走ります。
NHKもお国も後押ししてくれて、
「みんなと一緒」ですから、
安心です。
治らないガンという病気では、
如何なる治療でも、
時間と乗り心地という差はありますが、
目的地は同じです。
半年前にセカンドオピニオンに来られた患者さんのご家族から、
メールをいただきました。
お勧めはしなかった治療を受けて、
現在、玉砕寸前でのSOSでした。
勿論、セカンドオピニオンでは、
他の治療法についても説明はしましたが、
敢えて、厳しい道を選ばれました。
その選択はけっして間違ってはいません。
エビデンスとして、
「一番長生きができる」とされていますから。
しかし、何回も書いているとおり、
エビデンスとは、
患者集団での数字であり、
個々の患者さんの治療効果を担保するデータではありません。
多くの標準治療は、
人間が耐えることができる最大耐用量の、
細胞毒を一気に注入するものです。
その治療(処刑?)が、
効くか、効かないかは、
やってみなければ分からない。
統計確率上〇〇%の患者には効果がある、
というだけで、
一人しかいない患者さんにとっては、
「効くも八卦、効かぬも八卦」
一世一代の大博打です。
運良く〇〇%に入った患者さんは、
その治療?のエビデンスとしての、
生存期間中央治値を超えることができる。
当選しなかった不運な患者さんは、
それ以前に息絶える。
恐ろしいリスクの大博打です。
生存期間中央治値を越すことができなかった患者さんは、
細胞毒が寿命を縮めた可能性も多分にあります。
その場合、
「無治療のほうが良かった」
ということになりますが、
それは結果を見てはじめて分かることです。
しかしSOSを発してこられた患者さんは、
まだお若く、
現在の標準治療のお粗末な成績もご存じでしたが、
ご両親も健在であり、
その残されることになるであろうご両親のために、
ブランド病院での標準治療を選択されました。
残されるご家族のことを慮り、
敢えて厳しい道を選ぶ、
それも一つの大きな意味のある選択肢だと思います。
残されたご両親は、
「ブランド病院でダメだったなら仕方がない」
という不思議な満足感が残ります。
SOSの患者さんは、
まだ深手は負っていないようですので、
挽回は可能で、
戦列復帰はできると思われますが、
その前にご両親の覚悟が必要になります。
年老いたご家族のためには、
ブランド病院での標準的な治療の後の、
標準的な旅立ち、
というのも必要です。
否、標準治療とは、
その程度の役割しかないようにも感じます。
あとは医学の進歩のための、
自己犠牲でしょうか。
患者の死を見て、
医者が成長するのも事実ですから。
大学病院や××センターでは、
治らないガンに対して、
まったく標準的な治療だけしか執行しない理由も理解できますね。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
はじめから無治療という方針もあります。
標準的に大量の抗癌剤の注入で、
散々苦しんだ挙句、
旅立つのであれば、
副作用は絶対に無い、
無治療で元気な時間を楽しく過ごす。
これも、治らないガンに対する立派な対処法だと思います。
「僅かな延命が得られるかも知れない」というだけで、
「失われる平穏な日常生活」という代償は、
大き過ぎるように感じます。
しかし、ほとんどの患者さんは、
無治療という選択肢はアタマにありません。
一般的に標準治療に走ります。
NHKもお国も後押ししてくれて、
「みんなと一緒」ですから、
安心です。
治らないガンという病気では、
如何なる治療でも、
時間と乗り心地という差はありますが、
目的地は同じです。
半年前にセカンドオピニオンに来られた患者さんのご家族から、
メールをいただきました。
お勧めはしなかった治療を受けて、
現在、玉砕寸前でのSOSでした。
勿論、セカンドオピニオンでは、
他の治療法についても説明はしましたが、
敢えて、厳しい道を選ばれました。
その選択はけっして間違ってはいません。
エビデンスとして、
「一番長生きができる」とされていますから。
しかし、何回も書いているとおり、
エビデンスとは、
患者集団での数字であり、
個々の患者さんの治療効果を担保するデータではありません。
多くの標準治療は、
人間が耐えることができる最大耐用量の、
細胞毒を一気に注入するものです。
その治療(処刑?)が、
効くか、効かないかは、
やってみなければ分からない。
統計確率上〇〇%の患者には効果がある、
というだけで、
一人しかいない患者さんにとっては、
「効くも八卦、効かぬも八卦」
一世一代の大博打です。
運良く〇〇%に入った患者さんは、
その治療?のエビデンスとしての、
生存期間中央治値を超えることができる。
当選しなかった不運な患者さんは、
それ以前に息絶える。
恐ろしいリスクの大博打です。
生存期間中央治値を越すことができなかった患者さんは、
細胞毒が寿命を縮めた可能性も多分にあります。
その場合、
「無治療のほうが良かった」
ということになりますが、
それは結果を見てはじめて分かることです。
しかしSOSを発してこられた患者さんは、
まだお若く、
現在の標準治療のお粗末な成績もご存じでしたが、
ご両親も健在であり、
その残されることになるであろうご両親のために、
ブランド病院での標準治療を選択されました。
残されるご家族のことを慮り、
敢えて厳しい道を選ぶ、
それも一つの大きな意味のある選択肢だと思います。
残されたご両親は、
「ブランド病院でダメだったなら仕方がない」
という不思議な満足感が残ります。
SOSの患者さんは、
まだ深手は負っていないようですので、
挽回は可能で、
戦列復帰はできると思われますが、
その前にご両親の覚悟が必要になります。
年老いたご家族のためには、
ブランド病院での標準的な治療の後の、
標準的な旅立ち、
というのも必要です。
否、標準治療とは、
その程度の役割しかないようにも感じます。
あとは医学の進歩のための、
自己犠牲でしょうか。
患者の死を見て、
医者が成長するのも事実ですから。
大学病院や××センターでは、
治らないガンに対して、
まったく標準的な治療だけしか執行しない理由も理解できますね。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。