「文化の日」の記事に対する、
答えようのない、
不思議な質問のコメントがありましたが、
フォローのコメントありがとうございます。
その翌日、朝起きて、
パソコンを開くと、
まったく知らない、
コメントとはまったく別の患者さんで、
すでに入院中で、
相当に重篤な状態に陥っていると思われる、
ご高齢のかたのお子様から、
6回にわたり携帯のメールから、
合計2800文字にもおよぶメールが届いていました。
夜間ズーット携帯にしがみついていたように感じます。
ほとんど支離滅裂な文章でしたが、
必死に大切な親御さんの急場をしのぎたい、
という思いだけが通じてきました。
しかし他の病院に入院中とのことであり、
ドウすることもできません。
勿論、返信も出していません。
コメントの質問も、
意味が不明でしたが、
11月4日の「治療を諦めるとき」でも書いたように、
何故、土壇場になって慌てるのでしょうか。
「癌 = 死」
という勘違いで慌てふためくのは、
理解できます。
それは普通です。
その誤解は解いて、
その後の楽しく豊かな時間を満喫することは可能だと思います。
しかし、いよいよ人生の終焉にさしかかってから、
慌てても「時すでに遅し」てです。
「癌」しかも「治らない」ことを聞いて、
冷静に対処できる患者さん、ご家族は多くはないと思います。
一度はアタマのなかは真っ白、
何も考えられない、
という状態に陥るのが普通だと思います。
その時期に、
「医者モドキ」などに話を聞くと、
そう遠くはない時期に大変な事態に陥り、
目の前に迫った現実の死を悟ると、
尋常ではない慌てぶりになります。
死に至るまで、
完全無治療でガンとともに過ごすことができるほど、
強靭な精神力をお持ちの患者さん、ご家族は、
多くはないはずです。
無治療でガンを放置して、
そのまま死に至ったときには、
残されたご家族には、
終生、後悔の日が続きます。
晴天の霹靂である、
突然の「がん宣告」を受けて、
慌てることは恥ずかしいことではないと思います。
しかし、人生の終焉を前にして、
慌てふためくのは如何なものでしょうか。
その前に存在していたはずの、
「宝物のような時間」を失ってしまったように感じます。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
答えようのない、
不思議な質問のコメントがありましたが、
フォローのコメントありがとうございます。
その翌日、朝起きて、
パソコンを開くと、
まったく知らない、
コメントとはまったく別の患者さんで、
すでに入院中で、
相当に重篤な状態に陥っていると思われる、
ご高齢のかたのお子様から、
6回にわたり携帯のメールから、
合計2800文字にもおよぶメールが届いていました。
夜間ズーット携帯にしがみついていたように感じます。
ほとんど支離滅裂な文章でしたが、
必死に大切な親御さんの急場をしのぎたい、
という思いだけが通じてきました。
しかし他の病院に入院中とのことであり、
ドウすることもできません。
勿論、返信も出していません。
コメントの質問も、
意味が不明でしたが、
11月4日の「治療を諦めるとき」でも書いたように、
何故、土壇場になって慌てるのでしょうか。
「癌 = 死」
という勘違いで慌てふためくのは、
理解できます。
それは普通です。
その誤解は解いて、
その後の楽しく豊かな時間を満喫することは可能だと思います。
しかし、いよいよ人生の終焉にさしかかってから、
慌てても「時すでに遅し」てです。
「癌」しかも「治らない」ことを聞いて、
冷静に対処できる患者さん、ご家族は多くはないと思います。
一度はアタマのなかは真っ白、
何も考えられない、
という状態に陥るのが普通だと思います。
その時期に、
「医者モドキ」などに話を聞くと、
そう遠くはない時期に大変な事態に陥り、
目の前に迫った現実の死を悟ると、
尋常ではない慌てぶりになります。
死に至るまで、
完全無治療でガンとともに過ごすことができるほど、
強靭な精神力をお持ちの患者さん、ご家族は、
多くはないはずです。
無治療でガンを放置して、
そのまま死に至ったときには、
残されたご家族には、
終生、後悔の日が続きます。
晴天の霹靂である、
突然の「がん宣告」を受けて、
慌てることは恥ずかしいことではないと思います。
しかし、人生の終焉を前にして、
慌てふためくのは如何なものでしょうか。
その前に存在していたはずの、
「宝物のような時間」を失ってしまったように感じます。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。