一昨日の「治ってみせる」に対して、
ウラのコメントがありました。
一部抜粋再掲します。
昨日の「それぞれの悩み」で、
死ぬことなど毛頭考えたことがない、
おバカなネコのことを書きましたが、
あそこまでバカになることができて、
アタマの中が一年中お花畑でいられる彼は、
本当に人生、否ニャン生を謳歌しているのでしょうけれど、
彼のようにバカになれない、
普通の人間は、
生にばかり執着して、
死を身近な存在とは考えない、
敢えて遠ざけて生活しているような気がします。
死を考えるということは、
現在の生を考えることであって、
その生に対する喜びと、
感謝を与えてくれるように思います。
それだけで、
人生は豊かになるような気がします。
死を身近な存在と考えていないと、
「治ってみせる」などという、
致命的な勘違いのもと、
「火に飛び込む虫」
になってしまいます。
生への執着が、
結果的に死につながることは、
いくらでも起こっている事実です。
死という当たり前の現実を、
元気なうちから、
シッカリと見つめておくことが、
万一と思っている病を宿した時に、
大いに役に立つと思います。
その病は、
けっして「万一」ではなく、
誰にでもきわめて当たり前に普通に発生してくる、
タダの慢性疾患です。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
ウラのコメントがありました。
一部抜粋再掲します。
死を考えることがない人が普通なのかもしれません。
でも、なんとなくですが、それは「もったいない」ように思います。
少なくても、私や家族は、母を通じて多くを学ばせてもらいました。
死と向き合うことは難しいですが、避けて通りことはできません。
ならば、よりよい方法を考えてもいいのではないかと思いました。
がんであるを告げられると、大病院なら助けてくれる、
だから戦おう、などと考えるのかもしれませんが、
それは悲しい結果になってしまいます。
昨日の「それぞれの悩み」で、
死ぬことなど毛頭考えたことがない、
おバカなネコのことを書きましたが、
あそこまでバカになることができて、
アタマの中が一年中お花畑でいられる彼は、
本当に人生、否ニャン生を謳歌しているのでしょうけれど、
彼のようにバカになれない、
普通の人間は、
生にばかり執着して、
死を身近な存在とは考えない、
敢えて遠ざけて生活しているような気がします。
死を考えるということは、
現在の生を考えることであって、
その生に対する喜びと、
感謝を与えてくれるように思います。
それだけで、
人生は豊かになるような気がします。
死を身近な存在と考えていないと、
「治ってみせる」などという、
致命的な勘違いのもと、
「火に飛び込む虫」
になってしまいます。
生への執着が、
結果的に死につながることは、
いくらでも起こっている事実です。
死という当たり前の現実を、
元気なうちから、
シッカリと見つめておくことが、
万一と思っている病を宿した時に、
大いに役に立つと思います。
その病は、
けっして「万一」ではなく、
誰にでもきわめて当たり前に普通に発生してくる、
タダの慢性疾患です。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。