知識が無いだけの、
井戸の中の蛙かも知れませんが、
日本は近隣諸国に比べると、
生活の自由度はかなり高いように感じます。
数か月前までは、
「知る権利」
「言論の自由」などが、
そして最近は、
極めて重要な国の防衛についても、
自由な個々の意見が、
好き勝手に叫ばれていて、
マスコミも同調というより、
扇動して「権利」を主張していた(いる)ように感じます。
件の夢の細胞についても、
ウソをつくのも自由、
批判するのも自由で、
誰でも言いたい放題。
しかし、その自由の国では、
生涯一度のがん治療に自由が無いのは不思議ですね。
すべては白衣の閻魔様のお決めになられたとおり。
その裏で暗躍する影も見えますが・・・
「治らない癌」では、
閻魔様のご指示通りに、
生前儀式ともいうべき、
過酷な修行をつんでから、
確実に旅立つことが強制されています。
勿論、それを拒む権利だけは与えられていますが、
肉体的な苦痛を伴う修行を拒否する、
臆病者、卑怯者、非国民には、
無治療という罰が与えられ、
これまた精神的には耐え難い苦難の末に、
最期を迎えることを余儀なくされています。
なんだかおかしくありませんかね。
治らない癌を宿していても、
それは「すぐに死ぬ」を意味するものではありません。
すべての人間、
いずれかの時期に絶対に死に至ります。
治らない癌を宿してしまうと、
その時期が若干早まることが予想されます。
しかし、その代償として、
ご自身の「生き方」と「死に方」を、
十分に考えることができる自由と、
その時間が得られます。
急性疾患での突然死や事故死、
死を考えない平和ボケのままの老衰死では、
そのような自由も時間も得られません。
その自由は、
そのヒトの人生に於いて、
最高の幸福を与えられる、
最後の機会であるように感じます。
その生き方も、
死に方も、
自由に選ぶことができないとは、
随分と不自由な強制国家であるような気がします。
かなり勝手な権利を、
派手に主張する割りには、
「生」には必ず伴うことが約束されている「死」なのに、
ご自身の最大の権利には、
沈黙するのが、
慎ましい日本人の文化でしょうか。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
井戸の中の蛙かも知れませんが、
日本は近隣諸国に比べると、
生活の自由度はかなり高いように感じます。
数か月前までは、
「知る権利」
「言論の自由」などが、
そして最近は、
極めて重要な国の防衛についても、
自由な個々の意見が、
好き勝手に叫ばれていて、
マスコミも同調というより、
扇動して「権利」を主張していた(いる)ように感じます。
件の夢の細胞についても、
ウソをつくのも自由、
批判するのも自由で、
誰でも言いたい放題。
しかし、その自由の国では、
生涯一度のがん治療に自由が無いのは不思議ですね。
すべては白衣の閻魔様のお決めになられたとおり。
その裏で暗躍する影も見えますが・・・
「治らない癌」では、
閻魔様のご指示通りに、
生前儀式ともいうべき、
過酷な修行をつんでから、
確実に旅立つことが強制されています。
勿論、それを拒む権利だけは与えられていますが、
肉体的な苦痛を伴う修行を拒否する、
臆病者、卑怯者、非国民には、
無治療という罰が与えられ、
これまた精神的には耐え難い苦難の末に、
最期を迎えることを余儀なくされています。
なんだかおかしくありませんかね。
治らない癌を宿していても、
それは「すぐに死ぬ」を意味するものではありません。
すべての人間、
いずれかの時期に絶対に死に至ります。
治らない癌を宿してしまうと、
その時期が若干早まることが予想されます。
しかし、その代償として、
ご自身の「生き方」と「死に方」を、
十分に考えることができる自由と、
その時間が得られます。
急性疾患での突然死や事故死、
死を考えない平和ボケのままの老衰死では、
そのような自由も時間も得られません。
その自由は、
そのヒトの人生に於いて、
最高の幸福を与えられる、
最後の機会であるように感じます。
その生き方も、
死に方も、
自由に選ぶことができないとは、
随分と不自由な強制国家であるような気がします。
かなり勝手な権利を、
派手に主張する割りには、
「生」には必ず伴うことが約束されている「死」なのに、
ご自身の最大の権利には、
沈黙するのが、
慎ましい日本人の文化でしょうか。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。