昨日の「無治療死」に対して、
いくつもコメントをいただきました。
はじめのコメントです。
すべての人間、
一卵生双生児以外は、
違う顔をしていると思います。
その個性溢れる人間に発生してくるがん細胞も同様です。
それを一つしかない枠に嵌めこむほうが無理があるように感じます。
「標準」ではないので、
ご指摘通り「異端」だと思います。
私は他人とは違う顔をしていますので、
それだけで「異端」だと思います。
同じ顔をした人間は、
京都の三十三間堂の仏様の中に一人はおられるそうですが、
まだお会いしたことはありません。
おそらく世界中を探しても、
一人も見つからないと考えています。
コメント投稿者のコピー、クローンは、
世界中に何人くらい居るのでしょうか。
きっとたくさん腐るほど居るのでしょうね。
治療の根拠は、
治らないがんの場合、
ほぼ確実に進行していき、
平均余命がまだ長く残されている患者さんでは、
その病により、
いずれかの時期に死に至る可能性が極めて大きいという現実と、
なにかしらの薬剤を使ったときに、
それを受けた患者さんが、
実際にどれだけ大きな副作用を被るか、
その薬剤・治療の恩恵の大きさの確認、
それだけで十分だと考えます。
したがって、
副作用が無く、
効果も無いのであれば、
細胞毒でも増量を試みます。
その結果、
副作用が容認できる範囲で、
がんの増大が止まる、
あわよくば、
がんが縮小するなりの効果が確認されれば、
それで良し。
その結果、
標準量の細胞毒の注入に至る患者さんもいます。
他覚的、自覚的副作用が十分に容認可能であれば、
標準量を使うことは、
まったく間違った行為だとは考えません。
残念なことに、
一般的に標準量の細胞毒を注入すると、
その副作用に見合うと思われる、
有益な効果が得られない、
という現実があります。
少なくとも、
患者さんが希望するほどの利益が、
副作用の大きさに勝ることは、
ほとんど無いというのが事実です。
ある薬剤で、
利益のある効果が得られなければ、
あるいは、
副作用に見合うだけの効果が無ければ、
別の薬剤に変更する。
がん治療を執行する医者として、
目の前のがんを宿した患者さんの生活状況と、
がんの状態の把握、
それに勝る根拠があるのでしょうか。
あれば教えてください。
私は、それはエビデンスよりも、
遥かに重要だと考えます。
臨床試験から出されたエビデンスにしがみつき、
患者さんの副作用の辛さも知らず、
がんの経過も診ない、
ベルトコンベア治療を良しとすれば、
医者は一番楽ですね。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
いくつもコメントをいただきました。
はじめのコメントです。
無数の目盛りがあるなかでどこを選ぶのか。
それには根拠が必要だと思います。
もし根拠がなくても良いのであれば臨床試験などという実験も
必要ないのではないでしょうか。
あらゆる疾患において治療ガイドラインが出ている昨今、
無数の目盛りなどという概念は少し異端のように感じました。
すべての人間、
一卵生双生児以外は、
違う顔をしていると思います。
その個性溢れる人間に発生してくるがん細胞も同様です。
それを一つしかない枠に嵌めこむほうが無理があるように感じます。
「標準」ではないので、
ご指摘通り「異端」だと思います。
私は他人とは違う顔をしていますので、
それだけで「異端」だと思います。
同じ顔をした人間は、
京都の三十三間堂の仏様の中に一人はおられるそうですが、
まだお会いしたことはありません。
おそらく世界中を探しても、
一人も見つからないと考えています。
コメント投稿者のコピー、クローンは、
世界中に何人くらい居るのでしょうか。
きっとたくさん腐るほど居るのでしょうね。
治療の根拠は、
治らないがんの場合、
ほぼ確実に進行していき、
平均余命がまだ長く残されている患者さんでは、
その病により、
いずれかの時期に死に至る可能性が極めて大きいという現実と、
なにかしらの薬剤を使ったときに、
それを受けた患者さんが、
実際にどれだけ大きな副作用を被るか、
その薬剤・治療の恩恵の大きさの確認、
それだけで十分だと考えます。
したがって、
副作用が無く、
効果も無いのであれば、
細胞毒でも増量を試みます。
その結果、
副作用が容認できる範囲で、
がんの増大が止まる、
あわよくば、
がんが縮小するなりの効果が確認されれば、
それで良し。
その結果、
標準量の細胞毒の注入に至る患者さんもいます。
他覚的、自覚的副作用が十分に容認可能であれば、
標準量を使うことは、
まったく間違った行為だとは考えません。
残念なことに、
一般的に標準量の細胞毒を注入すると、
その副作用に見合うと思われる、
有益な効果が得られない、
という現実があります。
少なくとも、
患者さんが希望するほどの利益が、
副作用の大きさに勝ることは、
ほとんど無いというのが事実です。
ある薬剤で、
利益のある効果が得られなければ、
あるいは、
副作用に見合うだけの効果が無ければ、
別の薬剤に変更する。
がん治療を執行する医者として、
目の前のがんを宿した患者さんの生活状況と、
がんの状態の把握、
それに勝る根拠があるのでしょうか。
あれば教えてください。
私は、それはエビデンスよりも、
遥かに重要だと考えます。
臨床試験から出されたエビデンスにしがみつき、
患者さんの副作用の辛さも知らず、
がんの経過も診ない、
ベルトコンベア治療を良しとすれば、
医者は一番楽ですね。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。