人間が無から発生してきて、
無に帰すまでの、
100年足らずの時間旅行の道程における、
病院という、
一見、救護所のように勘違いされる関所には、
様々なしきたりがあります。
関所のお役人は、
ほぼすべて学会という関所の寄合所・組合の構成員にされていて、
「研修」「認定」「専門」「指導」などと、
格付けされています。
資格は、ほぼ年功序列になっていて、
その上下関係には絶対的な拘束力があり、
下級閻魔が、
上級の構成員の指示に背くことは許されません。
下級構成員は、
上級者のカバン持ちとしても、
学会という組合の集会に足繁く通い、
会費というお布施をたくさん積んで、
最上級閻魔様のご機嫌を伺います。
そして関所の中では、
上級者の指示・命令通りに、
全国共通の関所ならではの儀式を繰り返して、
昇格が許させます。
「研修」「認定」「専門」「指導」へと階段を上ります。
勿論、紙一枚だけの、
「免許皆伝」の賞状だけですが、
それをいただくには、
会費以上の大きなお布施も必要です。
その後は、
その賞状の「更新料」と名称が変えられたお布施を、
会費と同時に数年ごとに納めないと、
資格自体がお召し上げの憂き目を見ます。
上級者も後進の昇級が大きな仕事であり、
ご自身の更なる昇格につながります。
その組織を遠目から見ていると、
ねずみ講を思い出します。
その絶対的な権力構造の中で、
下級者は上級閻魔様に背けば、
居心地の良い、
その関所を出ざるを得なくなり、
下級の関所に配置換えになるか、
個人でヒッソリと小さな関所を設けて、
そこに一人で住まわざるを得なくなります。
人生の時間旅行の関所の役人という、
素敵なお仕事のようにも見えますが、
そこで巣食っている人間の人生行路にも、
様々な紆余曲折、喜怒哀楽が隠されています。
それはともかく、
現在の病院という名の、
関所のようなところでは、
時間を旅している途中で発生したアクシデントに対して、
本来、救護、手当てをして、
その先の道中の安全を願って再び旅に出てもらうことが使命であるように、
勘違いされてしいますが、
現実はかなり様子が違っています。
先ず、半分の旅人は、
その関所が、
旅の最終到着地点になってしまいます。
フト気が付くと、
本日で6月もお終い。
今年一年の時間旅行も、
すでに半分が過ぎてしまいました。
今年の元旦から数えると、
100年足らずの人生のうちの、
0.5%以上を経過したことになります。
50歳の人では1%以上を過ごしたことになります。
時間の流れを感じるだけでも、
到着まで旅を楽しめるように思います。
また、長くなりそうですので、
続きは明日。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
無に帰すまでの、
100年足らずの時間旅行の道程における、
病院という、
一見、救護所のように勘違いされる関所には、
様々なしきたりがあります。
関所のお役人は、
ほぼすべて学会という関所の寄合所・組合の構成員にされていて、
「研修」「認定」「専門」「指導」などと、
格付けされています。
資格は、ほぼ年功序列になっていて、
その上下関係には絶対的な拘束力があり、
下級閻魔が、
上級の構成員の指示に背くことは許されません。
下級構成員は、
上級者のカバン持ちとしても、
学会という組合の集会に足繁く通い、
会費というお布施をたくさん積んで、
最上級閻魔様のご機嫌を伺います。
そして関所の中では、
上級者の指示・命令通りに、
全国共通の関所ならではの儀式を繰り返して、
昇格が許させます。
「研修」「認定」「専門」「指導」へと階段を上ります。
勿論、紙一枚だけの、
「免許皆伝」の賞状だけですが、
それをいただくには、
会費以上の大きなお布施も必要です。
その後は、
その賞状の「更新料」と名称が変えられたお布施を、
会費と同時に数年ごとに納めないと、
資格自体がお召し上げの憂き目を見ます。
上級者も後進の昇級が大きな仕事であり、
ご自身の更なる昇格につながります。
その組織を遠目から見ていると、
ねずみ講を思い出します。
その絶対的な権力構造の中で、
下級者は上級閻魔様に背けば、
居心地の良い、
その関所を出ざるを得なくなり、
下級の関所に配置換えになるか、
個人でヒッソリと小さな関所を設けて、
そこに一人で住まわざるを得なくなります。
人生の時間旅行の関所の役人という、
素敵なお仕事のようにも見えますが、
そこで巣食っている人間の人生行路にも、
様々な紆余曲折、喜怒哀楽が隠されています。
それはともかく、
現在の病院という名の、
関所のようなところでは、
時間を旅している途中で発生したアクシデントに対して、
本来、救護、手当てをして、
その先の道中の安全を願って再び旅に出てもらうことが使命であるように、
勘違いされてしいますが、
現実はかなり様子が違っています。
先ず、半分の旅人は、
その関所が、
旅の最終到着地点になってしまいます。
フト気が付くと、
本日で6月もお終い。
今年一年の時間旅行も、
すでに半分が過ぎてしまいました。
今年の元旦から数えると、
100年足らずの人生のうちの、
0.5%以上を経過したことになります。
50歳の人では1%以上を過ごしたことになります。
時間の流れを感じるだけでも、
到着まで旅を楽しめるように思います。
また、長くなりそうですので、
続きは明日。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。