がんという病に対する、
抗がん剤の点滴注入という儀式は、
30年以上むかしに私が医者になったときには、
すでに実行されていました。
シスプラチンやアドリアマイシン、5-FUなどの、
今でも現役の薬剤が盛んに使われていました。
シスプラチンなどは当時の新薬でした。
その当時は、
ほとんどが外科医の手で執行されていました。
現在は副作用防止の薬剤が、
長足の進歩を遂げており、
むかしよりは、
ラクで安全に執行することが可能です。
細胞毒を製造している製薬会社の多くが、
同時にその副作用防止の薬剤も製造販売しているのは、
皮肉な話ですが、
それが現実で、
そのお蔭で少しは、
患者さんも少しはラクにはなっています。
しかし致死的な骨髄抑制に対して、
その回避のための薬剤が進歩したことにより、
医者は安心して、
より大量の細胞毒を注入することが可能になり、
その分、患者さんの苦痛も増えたことも事実だと感じます。
それはともかく、
20年くらいむかしの、
抗がん剤の点滴は、
ほとんどが入院のうえで執行されていました。
一方、最近10年くらいは、
入院で点滴が行われることは、
非常に少なくなりました。
多くの場合、
何回か予定されている点滴の初回だけ入院、
それも、相当にキツイ副作用が、
十分に予想されるような場合に限られるようです。
「むかし入院」
「いま外来」
と変化したのは、
抗がん剤治療がラクで安全になったからではありません。
人間の身体が細胞毒に強くなったからでもありません。
医療費削減の宿命を背負わされた日本では、
医療費がかさむ入院は極力避けるように、
お上から暗黙の指導を受けています。
人生の最期も病院ではなく、
自宅で迎えることが推奨されています。
実際に治療に必要な入院ベットは、
ドンドン削減されています。
日本の社会構成上、
それは仕方がないことだと思いますが、
抗がん剤注入儀式に入るときに、
お気軽に、
「副作用は大したことはない」などと言われたという、
患者さんもたくさん診ていますが。
「大したことがない」
「非常にキツイ」かは、
点滴注入後に患者さんは自宅に帰ってしまい、
副作用はその後に襲い掛かってきますから、
外来点滴だけを観ている若い医者は、
患者さんが帰宅後にどれだけ苦しんでいるかについて、
観ていないから知らないのです。
ブランド病院などでは、
製薬会社の言いなりになっている閻魔様に対しての、
お目通りもなかなか叶わず、
閻魔様の配下のスタッフの問診だけで、
細胞毒の注入が執行されているような実態もあるようですので、
副作用の厳しさは、
それを執行している医者には知られることなく、
患者さんがご自宅で、
歯を食い縛って耐えるのみです。
その副作用があまりにも辛いが故の減量嘆願も、
ほとんど適えられることはなく、
そのままの苦痛を我慢し続けるか、
治療の完全拒否に逃げるか、
多くの患者さんでは、
選択肢は限られています。
どれだけ辛くても、
治ればイイですけど、
ほとんどすべての固形癌に対する、
抗がん剤治療の目的は、
症状の緩和と、
僅かな延命だけが目的です。
やはりご自身、ご家族の治療は、
慎重にお考えください。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
抗がん剤の点滴注入という儀式は、
30年以上むかしに私が医者になったときには、
すでに実行されていました。
シスプラチンやアドリアマイシン、5-FUなどの、
今でも現役の薬剤が盛んに使われていました。
シスプラチンなどは当時の新薬でした。
その当時は、
ほとんどが外科医の手で執行されていました。
現在は副作用防止の薬剤が、
長足の進歩を遂げており、
むかしよりは、
ラクで安全に執行することが可能です。
細胞毒を製造している製薬会社の多くが、
同時にその副作用防止の薬剤も製造販売しているのは、
皮肉な話ですが、
それが現実で、
そのお蔭で少しは、
患者さんも少しはラクにはなっています。
しかし致死的な骨髄抑制に対して、
その回避のための薬剤が進歩したことにより、
医者は安心して、
より大量の細胞毒を注入することが可能になり、
その分、患者さんの苦痛も増えたことも事実だと感じます。
それはともかく、
20年くらいむかしの、
抗がん剤の点滴は、
ほとんどが入院のうえで執行されていました。
一方、最近10年くらいは、
入院で点滴が行われることは、
非常に少なくなりました。
多くの場合、
何回か予定されている点滴の初回だけ入院、
それも、相当にキツイ副作用が、
十分に予想されるような場合に限られるようです。
「むかし入院」
「いま外来」
と変化したのは、
抗がん剤治療がラクで安全になったからではありません。
人間の身体が細胞毒に強くなったからでもありません。
医療費削減の宿命を背負わされた日本では、
医療費がかさむ入院は極力避けるように、
お上から暗黙の指導を受けています。
人生の最期も病院ではなく、
自宅で迎えることが推奨されています。
実際に治療に必要な入院ベットは、
ドンドン削減されています。
日本の社会構成上、
それは仕方がないことだと思いますが、
抗がん剤注入儀式に入るときに、
お気軽に、
「副作用は大したことはない」などと言われたという、
患者さんもたくさん診ていますが。
「大したことがない」
「非常にキツイ」かは、
点滴注入後に患者さんは自宅に帰ってしまい、
副作用はその後に襲い掛かってきますから、
外来点滴だけを観ている若い医者は、
患者さんが帰宅後にどれだけ苦しんでいるかについて、
観ていないから知らないのです。
ブランド病院などでは、
製薬会社の言いなりになっている閻魔様に対しての、
お目通りもなかなか叶わず、
閻魔様の配下のスタッフの問診だけで、
細胞毒の注入が執行されているような実態もあるようですので、
副作用の厳しさは、
それを執行している医者には知られることなく、
患者さんがご自宅で、
歯を食い縛って耐えるのみです。
その副作用があまりにも辛いが故の減量嘆願も、
ほとんど適えられることはなく、
そのままの苦痛を我慢し続けるか、
治療の完全拒否に逃げるか、
多くの患者さんでは、
選択肢は限られています。
どれだけ辛くても、
治ればイイですけど、
ほとんどすべての固形癌に対する、
抗がん剤治療の目的は、
症状の緩和と、
僅かな延命だけが目的です。
やはりご自身、ご家族の治療は、
慎重にお考えください。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。