10月3日の「がんと死」
一昨日の「介護休暇」はじめ、
何回も書いていますが、
がん治療の現実、
特に抗がん剤治療の実際は、
ご家族が辿られた不幸な経過を直接みてこられたヒト以外では、
曖昧にアタマの中で抱いて、
恐れているだけだと思いますが、
未体験のかたの想像は遥かに超えている現状をしばしばみます。
勿論、恐れおののいていた世界よりも軽いお仕置きで終わる患者さんもいます。
医家向けの論文や、
患者さん、ご家族が、
きわめて容易に接することができるネットなどの情報では、
「副作用は容認できる」
との文言が書かれていますが、
「容認可能」
なる判断は、
それを執行する医者には分かるはずがない、
身の置き所が無いと言われる全身倦怠感や、
食欲不振、吐気、神経障害などの、
患者さんが実体感させられる副作用は、
多くの場合、簡単なアンケート程度と、
毎回ではない問診くらいからの判断であり、
「容認できる大部分」は、
骨髄抑制や肝機能障害、腎機能障害などの、
他人である医者の目でもシッカリと確認できる副作用です。
死に至る副作用が少なく、
患者さんが生きていることが大前提の治療?です。
比較的丁寧に調べられた副作用の発現報告では、
日本人の胃がんに対する初回の抗がん剤治療で、
点滴の翌日以降の遅発性の悪心・嘔吐は、
半数以上の患者さんに認められており、
回数を増すごとにその確率は高くなることが示されています。
最新の副作用防止薬剤を駆使しての現実です。
治らないがんに対する、
「標準的」抗がん剤治療では、
期待できる効果は、
まったく副作用の無い、
無治療と比較して、
「生きていることが叶う時間が僅かに延長されるかも知れない」
という、
けっして多くの患者さんが望むほどの効果ではありません。
また、ほとんどの種類のがんでの、
抗がん剤治療の目的は、
延命ではなく、
「症状の緩和」であることを忘れないほうが無難です。
一方、副作用は肉体的に、
苦しい辛いと体感する副作用だけではありません。
抗がん剤は精神的にも抑うつ状態に陥れるという作用もあります。
また、治療のために時間を失うことも大きな副作用です。
ブランド病院で、
主治医の問診も無く、
その日のがんの状態を把握することもおこなわれず、
機械的に粛々と執行される、
ただの点滴行為だけで、
「点滴だけで一日仕事になる」
と言われていた患者さんもいます。
当然のその行為には、
異常に高額な薬剤費用に対して、
健康保険でも自己負担分という、
経済的な損失もあります。
さらに経済的損失と同時に、
治療という儀式のために時間を失うことにより、
仕事を奪われる被害者も出ます。
治らないがんであることを告げられても、
それが直ちに死に至るということを意味するわけではありません。
そもそも、
その治らないがんは、
その診断がつく、
相当前からご自身の身体には、
ヒッソリと存在しており、
ご本人はその存在に気が付かなかっただけで、
普通の日常生活を楽しんでいたはずです。
自覚症状も無く、
辛い治療よりは、
無治療を望む患者さん本人に対して、
「少しでも長く生きていて欲しい」という、
ご家族としては当たり前の一時の感情だけで、
強引に標準治療を勧める現状にはきわめて頻回に遭遇します。
大切なご家族が副作用で辛い生涯を終えた後になって、
大きな悔いを残すことになるかも知れません。
無治療は勧めませんが、
無理強いは考え物です。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
一昨日の「介護休暇」はじめ、
何回も書いていますが、
がん治療の現実、
特に抗がん剤治療の実際は、
ご家族が辿られた不幸な経過を直接みてこられたヒト以外では、
曖昧にアタマの中で抱いて、
恐れているだけだと思いますが、
未体験のかたの想像は遥かに超えている現状をしばしばみます。
勿論、恐れおののいていた世界よりも軽いお仕置きで終わる患者さんもいます。
医家向けの論文や、
患者さん、ご家族が、
きわめて容易に接することができるネットなどの情報では、
「副作用は容認できる」
との文言が書かれていますが、
「容認可能」
なる判断は、
それを執行する医者には分かるはずがない、
身の置き所が無いと言われる全身倦怠感や、
食欲不振、吐気、神経障害などの、
患者さんが実体感させられる副作用は、
多くの場合、簡単なアンケート程度と、
毎回ではない問診くらいからの判断であり、
「容認できる大部分」は、
骨髄抑制や肝機能障害、腎機能障害などの、
他人である医者の目でもシッカリと確認できる副作用です。
死に至る副作用が少なく、
患者さんが生きていることが大前提の治療?です。
比較的丁寧に調べられた副作用の発現報告では、
日本人の胃がんに対する初回の抗がん剤治療で、
点滴の翌日以降の遅発性の悪心・嘔吐は、
半数以上の患者さんに認められており、
回数を増すごとにその確率は高くなることが示されています。
最新の副作用防止薬剤を駆使しての現実です。
治らないがんに対する、
「標準的」抗がん剤治療では、
期待できる効果は、
まったく副作用の無い、
無治療と比較して、
「生きていることが叶う時間が僅かに延長されるかも知れない」
という、
けっして多くの患者さんが望むほどの効果ではありません。
また、ほとんどの種類のがんでの、
抗がん剤治療の目的は、
延命ではなく、
「症状の緩和」であることを忘れないほうが無難です。
一方、副作用は肉体的に、
苦しい辛いと体感する副作用だけではありません。
抗がん剤は精神的にも抑うつ状態に陥れるという作用もあります。
また、治療のために時間を失うことも大きな副作用です。
ブランド病院で、
主治医の問診も無く、
その日のがんの状態を把握することもおこなわれず、
機械的に粛々と執行される、
ただの点滴行為だけで、
「点滴だけで一日仕事になる」
と言われていた患者さんもいます。
当然のその行為には、
異常に高額な薬剤費用に対して、
健康保険でも自己負担分という、
経済的な損失もあります。
さらに経済的損失と同時に、
治療という儀式のために時間を失うことにより、
仕事を奪われる被害者も出ます。
治らないがんであることを告げられても、
それが直ちに死に至るということを意味するわけではありません。
そもそも、
その治らないがんは、
その診断がつく、
相当前からご自身の身体には、
ヒッソリと存在しており、
ご本人はその存在に気が付かなかっただけで、
普通の日常生活を楽しんでいたはずです。
自覚症状も無く、
辛い治療よりは、
無治療を望む患者さん本人に対して、
「少しでも長く生きていて欲しい」という、
ご家族としては当たり前の一時の感情だけで、
強引に標準治療を勧める現状にはきわめて頻回に遭遇します。
大切なご家族が副作用で辛い生涯を終えた後になって、
大きな悔いを残すことになるかも知れません。
無治療は勧めませんが、
無理強いは考え物です。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。