がんが発見されたなら、
余程の変わり者か、
無治療・放置の尊師に騙された、
お気の毒な患者さん以外では、
何らかの治療を受けることになります。
その治療の可否、
および是非を決定するためには、
様々な角度から、
がんの状態を検査しなければなりません。
それは当たり前のことです。
しかし、その当たり前が行われない現実は、
あまりにも頻回にみます。
手術が可能で、
それを実行する場合に、
ごく一部のブランド病院を除いて、
3ヶ月も前の画像診断だけを根拠に手術をおこなう病院は、
日本にはほとんど存在していません。
ところが治らないがんに対して執行される抗がん剤治療では、
数ヶ月前の診断だけで、
毒薬の注入が開始されることは珍しくありません。
勿論、エンドレスに続く治療中の検査なども、
滅多におこなわれません。
「治療法はありません」の宣告と同時に、
がん難民として、
辛い治療から解放されるまで、
標準的に大量の毒の注入だけが、
粛々と執行されていきます。
3か月前に3センチの大きさの3個の治らないがんに対して、
今日から苦痛に満ちた抗がん剤治療を開始して、
3カ月後に3センチでの大きさで3個だったら、
その治療と称した儀式は、
何か意味があるのでしょうか。
治療開始時に5センチ5個になっていたのか、
3センチ3個のままだったのかも分かりません。
治療開始時の状態が分からないまま、
細胞毒の注入だけが執行されるのは、
ごく当たり前になっています。
がんは生き物であり、
常に動いています。
同時に、気儘にピタッと動きを止めることもあります。
治療開始時の状態が分からなければ、
その行為の有用性の有無はまったく分からず、
副作用だけを知ることになります。
A、B、Cの3個の腫瘍が存在していた場合、
抗がん剤を注入することで、
AとBは縮小するも、
Cだけは増大するということも珍しくないのが、
がんという不思議な生き物です。
その状態に変化によって、
治療の方法も、
変わってきます。
増大を観た一つだけに、
放射線治療をおこなうなどの選択肢が出てくるかも知れません。
「標準」だけを粛々と執行する病院では、
当たり前の経過観察が、
おこなわれず、
淡々と毒の注入だけが遂行されてしまうのが「標準」です。
最低限度、
腫瘍マーカーに変化が観られるがんの場合、
その数字を逐一確認する必要がありますが、
それすらおこなわれていないことも珍しくありません。
画像診断検査は、
患者数が多過ぎるブランド病院では、
機械の数が圧倒的に足りずに、
頻回な検査など物理的に不可能になっている現実は、
止むを得ない面もあります。
しかし腫瘍マーカーの検査くらいは、
毒の注入の直前に必ず採取する血液だけで、
調べることが可能です。
それさえ調べないとは、
結果を知りたくない、
知ってはいけないという、
強い意志があるようにすら感じます。
標準的に大量の毒を一回でも注入すれば、
もしも、その毒ががん細胞に命中していれば、
摩訶不思議な生き物は、
必ず何らかの反応を示します。
反応が無かった、
あるいは、
増大を認めた場合には、
その行為は、
むしろ寿命を縮める可能性も出てきます。
即座に中止しなければなりませんが、
中止したくない、
何らかの事情があるのでしょうか・・・
ブランド病院のウラの事情は知っています。
それについては、
このブログでも何回か書いていますが、
もう少し患者本位になってもよさそうに思います。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
余程の変わり者か、
無治療・放置の尊師に騙された、
お気の毒な患者さん以外では、
何らかの治療を受けることになります。
その治療の可否、
および是非を決定するためには、
様々な角度から、
がんの状態を検査しなければなりません。
それは当たり前のことです。
しかし、その当たり前が行われない現実は、
あまりにも頻回にみます。
手術が可能で、
それを実行する場合に、
ごく一部のブランド病院を除いて、
3ヶ月も前の画像診断だけを根拠に手術をおこなう病院は、
日本にはほとんど存在していません。
ところが治らないがんに対して執行される抗がん剤治療では、
数ヶ月前の診断だけで、
毒薬の注入が開始されることは珍しくありません。
勿論、エンドレスに続く治療中の検査なども、
滅多におこなわれません。
「治療法はありません」の宣告と同時に、
がん難民として、
辛い治療から解放されるまで、
標準的に大量の毒の注入だけが、
粛々と執行されていきます。
3か月前に3センチの大きさの3個の治らないがんに対して、
今日から苦痛に満ちた抗がん剤治療を開始して、
3カ月後に3センチでの大きさで3個だったら、
その治療と称した儀式は、
何か意味があるのでしょうか。
治療開始時に5センチ5個になっていたのか、
3センチ3個のままだったのかも分かりません。
治療開始時の状態が分からないまま、
細胞毒の注入だけが執行されるのは、
ごく当たり前になっています。
がんは生き物であり、
常に動いています。
同時に、気儘にピタッと動きを止めることもあります。
治療開始時の状態が分からなければ、
その行為の有用性の有無はまったく分からず、
副作用だけを知ることになります。
A、B、Cの3個の腫瘍が存在していた場合、
抗がん剤を注入することで、
AとBは縮小するも、
Cだけは増大するということも珍しくないのが、
がんという不思議な生き物です。
その状態に変化によって、
治療の方法も、
変わってきます。
増大を観た一つだけに、
放射線治療をおこなうなどの選択肢が出てくるかも知れません。
「標準」だけを粛々と執行する病院では、
当たり前の経過観察が、
おこなわれず、
淡々と毒の注入だけが遂行されてしまうのが「標準」です。
最低限度、
腫瘍マーカーに変化が観られるがんの場合、
その数字を逐一確認する必要がありますが、
それすらおこなわれていないことも珍しくありません。
画像診断検査は、
患者数が多過ぎるブランド病院では、
機械の数が圧倒的に足りずに、
頻回な検査など物理的に不可能になっている現実は、
止むを得ない面もあります。
しかし腫瘍マーカーの検査くらいは、
毒の注入の直前に必ず採取する血液だけで、
調べることが可能です。
それさえ調べないとは、
結果を知りたくない、
知ってはいけないという、
強い意志があるようにすら感じます。
標準的に大量の毒を一回でも注入すれば、
もしも、その毒ががん細胞に命中していれば、
摩訶不思議な生き物は、
必ず何らかの反応を示します。
反応が無かった、
あるいは、
増大を認めた場合には、
その行為は、
むしろ寿命を縮める可能性も出てきます。
即座に中止しなければなりませんが、
中止したくない、
何らかの事情があるのでしょうか・・・
ブランド病院のウラの事情は知っています。
それについては、
このブログでも何回か書いていますが、
もう少し患者本位になってもよさそうに思います。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。