昨日の「治療開始前検査」で書きましたが、
がんという生き物の動きをまったく診ないまま、
細胞毒の注入が粛々と執行されていく実態は、
現在の日本の、
特にブランド病院では、
当たり前の光景です。
ブランド病院には、
患者さんには言えない、
ウラの事情があることは理解しています。
それは仕方がない一面もあります。
しかし、
小さくない副作用を伴いながら、
ご自身の身体に注入されている高価な毒薬が、
効いているのか、
無駄なのか、
まったく分からずに、
わざわざ病院に通院していて、
患者さんは不安を感じないのでしょうか。
検査無しに毒を注ぐことなど、
よろしくないことは重々知りながら、
それができない医者の気持ち、
置かれている悲しい環境は分かりますが、
それを受ける患者さんの心理は理解不能です。
セカンドオピニオンになどに来られる患者さんのなかには、
地元の基幹病院で、
「それしかない」標準的抗がん剤治療を受けるも、
その経過だけは、
別の病院で、
コッソリと診てもらっているというかたも少なからずみます。
画像診断検査を頻回におこなうことは、
ブランド病院では物理的に不可能です。
「一回だけでは分からない」
「そんなに調べても意味は無い」
「予定どおりにすべて終わってから」
などとの言い訳のもと、
検査はおこなわれません。
がん治療を継続していくときに、
情報が多くて邪魔になることはありません。
効果が無いことが判明してしまうと、
その治療を中止しなければならないという、
研修医やその指導医にとって、
大きな不利益になることは十分に考えられます。
医者は困っても、
頻回に検査をおこなえば、
無効で有害な儀式は、
半分以下に減少すると思います。
しかし減ってはいけない理由も、
世の中には存在しています。
観察無しでの無謀な毒薬注入行為が、
唯一、患者さんのためになるとすれば、
検査費用が安くなることと、
「これだけ辛いのだから効いているに違いない」
「みんなと同じだから間違ってはいない」
という致命的な勘違いで、
こころの安静が得られることくらいだと思われます。
キツイ治療?を受けても、
効果がまったく出ていない、
という事実が分かってしまうと、
患者さんは精神的に大きなダメージを受けることになります。
本来なら、
効果があり副作用が容認できような、
個々の患者さんに合った治療を探せば良いだけのことですが、
「標準」の前にそれはおこなわれません。
現在、大塚北口診療所にも、
患者さんの地元のブランド病院での標準治療でも、
副作用が容認できるため、
それを続けながら、
検査にだけ通院されているかたもいます。
勿論、無効になったら、
即時、その治療を中止して、
次の治療へ希望を託すことが目的の検査です。
楽しく長生きするためには、
敵の動向を常に監視する必要があります。
効果の無い爆弾攻撃は、
寿命を縮めます。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
がんという生き物の動きをまったく診ないまま、
細胞毒の注入が粛々と執行されていく実態は、
現在の日本の、
特にブランド病院では、
当たり前の光景です。
ブランド病院には、
患者さんには言えない、
ウラの事情があることは理解しています。
それは仕方がない一面もあります。
しかし、
小さくない副作用を伴いながら、
ご自身の身体に注入されている高価な毒薬が、
効いているのか、
無駄なのか、
まったく分からずに、
わざわざ病院に通院していて、
患者さんは不安を感じないのでしょうか。
検査無しに毒を注ぐことなど、
よろしくないことは重々知りながら、
それができない医者の気持ち、
置かれている悲しい環境は分かりますが、
それを受ける患者さんの心理は理解不能です。
セカンドオピニオンになどに来られる患者さんのなかには、
地元の基幹病院で、
「それしかない」標準的抗がん剤治療を受けるも、
その経過だけは、
別の病院で、
コッソリと診てもらっているというかたも少なからずみます。
画像診断検査を頻回におこなうことは、
ブランド病院では物理的に不可能です。
「一回だけでは分からない」
「そんなに調べても意味は無い」
「予定どおりにすべて終わってから」
などとの言い訳のもと、
検査はおこなわれません。
がん治療を継続していくときに、
情報が多くて邪魔になることはありません。
効果が無いことが判明してしまうと、
その治療を中止しなければならないという、
研修医やその指導医にとって、
大きな不利益になることは十分に考えられます。
医者は困っても、
頻回に検査をおこなえば、
無効で有害な儀式は、
半分以下に減少すると思います。
しかし減ってはいけない理由も、
世の中には存在しています。
観察無しでの無謀な毒薬注入行為が、
唯一、患者さんのためになるとすれば、
検査費用が安くなることと、
「これだけ辛いのだから効いているに違いない」
「みんなと同じだから間違ってはいない」
という致命的な勘違いで、
こころの安静が得られることくらいだと思われます。
キツイ治療?を受けても、
効果がまったく出ていない、
という事実が分かってしまうと、
患者さんは精神的に大きなダメージを受けることになります。
本来なら、
効果があり副作用が容認できような、
個々の患者さんに合った治療を探せば良いだけのことですが、
「標準」の前にそれはおこなわれません。
現在、大塚北口診療所にも、
患者さんの地元のブランド病院での標準治療でも、
副作用が容認できるため、
それを続けながら、
検査にだけ通院されているかたもいます。
勿論、無効になったら、
即時、その治療を中止して、
次の治療へ希望を託すことが目的の検査です。
楽しく長生きするためには、
敵の動向を常に監視する必要があります。
効果の無い爆弾攻撃は、
寿命を縮めます。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。