ナンでもカンでも、
がんとみれば無治療・放置を唱え、
奇を衒い、世間の注目を集めたいだけのような、
明らかに狂っている医者モドキも、
日本にはいまだに生息しているようです。
むかし小学生のころ、
そういう変なヤツは一人くらい、
各クラスに居ましたね。
それが進歩せず歳をとってしまっただけでしょう。
その考え方は、
大きな間違いであり、
それにより不幸な結果に追い込まれた患者さんは、
何人診ているか数えきれません。
絶対に無視するべきだと考えます。
しかしその馬鹿げた思考を無視して、
ご自身の治療の方法を考えた後に、
そこに辿り着かざるを得ない患者さん、
一見大きな間違いである、
その考えに至るべきであると思われる患者さんもたくさんいます。
医療過疎と言わざるを得ない、
「標準」しかない多くの日本の地方都市では、
相当数の患者さんがそうだと思います。
膵がんに対して、
標準治療への「昇格」を目論む、
FOLFIRINOXは、
その代表格であり、
絶対に避けるべきだと考えます。
拷問というべき儀式を受けた後に、
確実な死に至る方策しか選択できないのであれば、
はじめから無治療・放置で、
「今の時間」を如何に有意義なものにするかを考えたほうが、
よほど無難かも知れません。
勿論、それは私の個人的な価値観からです。
日本人の膵がん患者さんに対して、
その儀式を執行した時の治験の結果が報告されました。
食欲不振、下痢、吐き気、
いずれも9割程度の患者さんが受けてしまった被害です。
おそらく「そのうちどれか一つ」であれば、
ほぼ100%の患者さんが被ってしまった被害だと思います。
その副作用に対して入院治療が必要な状態に至った患者さんも、
10%前後に出てしまったようです。
「・・・しまった」と、
すべて過去形にしたのは、
すでに全員、亡くなっているからです。
儀式執行開始から、
平均で8回のお仕置きを受けて、
散々苦しんだ後、
10.7ヶ月以内で、
半数の患者さんは旅立たれています。
ラッキーなことに、
治療開始1年後に、
まだ心臓が動いていて、
呼吸をしていた患者さんの割合は41.5%でした。
本日から、
その儀式に参加した患者さんの、
約半数のかたは、
1年後には四十九日の法要を終えています。
来年、1年間で8割の患者さんは冷たくなります。
それが、その治験の「成績」です。
この治験の対象患者さんは、
手術不能の膵がんを宿してはいるも、
ボロボロの全身状態に陥っていかたがたではありません。
全員、PS.0
すなわち、
膵がんを背負っているというだけで、
まったく普通の生活を送ることが可能な患者さんでした。
個人的には、
治療成績と言うこと自体が憚られる、
あまりにも、お粗末な数字に驚くばかりですが、
論文では、
「日本人でも有効」な治療とされています。
そんな儀式が「標準」で、
それ以外の選択ができないなら、
無治療を推奨したくなります。
現在の治らないがんに対する標準的抗がん剤治療では、
ごく一部のガンを除いて、
「標準」か「無治療」の
二者択一を迫られたなら、
無治療を選択するべきだと考えます。
膵がん、肺がん、胃がん、乳がんなどは、
その代表格で、
「標準治療」だけしか受けることができない環境であれば、
はじめから、
「緩和治療」だけをおこなっている施設を探して、
「標準」からは、
離れたほうが無難です。
「0%の無治療」と「100%の標準」間には、
無数の目盛がありますが、
その個々の人間に最適の目盛を選択してくれる病院は、
広い日本の中ではごく僅かです。
FOLFIRINOXが標準への昇格を目指す、
現在の日本のがん治療では、
患者さんご自身での、
選択・決断はきわめて重要です。
地獄の責苦も、
医学の進歩のためには重要ですが・・・
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
がんとみれば無治療・放置を唱え、
奇を衒い、世間の注目を集めたいだけのような、
明らかに狂っている医者モドキも、
日本にはいまだに生息しているようです。
むかし小学生のころ、
そういう変なヤツは一人くらい、
各クラスに居ましたね。
それが進歩せず歳をとってしまっただけでしょう。
その考え方は、
大きな間違いであり、
それにより不幸な結果に追い込まれた患者さんは、
何人診ているか数えきれません。
絶対に無視するべきだと考えます。
しかしその馬鹿げた思考を無視して、
ご自身の治療の方法を考えた後に、
そこに辿り着かざるを得ない患者さん、
一見大きな間違いである、
その考えに至るべきであると思われる患者さんもたくさんいます。
医療過疎と言わざるを得ない、
「標準」しかない多くの日本の地方都市では、
相当数の患者さんがそうだと思います。
膵がんに対して、
標準治療への「昇格」を目論む、
FOLFIRINOXは、
その代表格であり、
絶対に避けるべきだと考えます。
拷問というべき儀式を受けた後に、
確実な死に至る方策しか選択できないのであれば、
はじめから無治療・放置で、
「今の時間」を如何に有意義なものにするかを考えたほうが、
よほど無難かも知れません。
勿論、それは私の個人的な価値観からです。
日本人の膵がん患者さんに対して、
その儀式を執行した時の治験の結果が報告されました。
食欲不振、下痢、吐き気、
いずれも9割程度の患者さんが受けてしまった被害です。
おそらく「そのうちどれか一つ」であれば、
ほぼ100%の患者さんが被ってしまった被害だと思います。
その副作用に対して入院治療が必要な状態に至った患者さんも、
10%前後に出てしまったようです。
「・・・しまった」と、
すべて過去形にしたのは、
すでに全員、亡くなっているからです。
儀式執行開始から、
平均で8回のお仕置きを受けて、
散々苦しんだ後、
10.7ヶ月以内で、
半数の患者さんは旅立たれています。
ラッキーなことに、
治療開始1年後に、
まだ心臓が動いていて、
呼吸をしていた患者さんの割合は41.5%でした。
本日から、
その儀式に参加した患者さんの、
約半数のかたは、
1年後には四十九日の法要を終えています。
来年、1年間で8割の患者さんは冷たくなります。
それが、その治験の「成績」です。
この治験の対象患者さんは、
手術不能の膵がんを宿してはいるも、
ボロボロの全身状態に陥っていかたがたではありません。
全員、PS.0
すなわち、
膵がんを背負っているというだけで、
まったく普通の生活を送ることが可能な患者さんでした。
個人的には、
治療成績と言うこと自体が憚られる、
あまりにも、お粗末な数字に驚くばかりですが、
論文では、
「日本人でも有効」な治療とされています。
そんな儀式が「標準」で、
それ以外の選択ができないなら、
無治療を推奨したくなります。
現在の治らないがんに対する標準的抗がん剤治療では、
ごく一部のガンを除いて、
「標準」か「無治療」の
二者択一を迫られたなら、
無治療を選択するべきだと考えます。
膵がん、肺がん、胃がん、乳がんなどは、
その代表格で、
「標準治療」だけしか受けることができない環境であれば、
はじめから、
「緩和治療」だけをおこなっている施設を探して、
「標準」からは、
離れたほうが無難です。
「0%の無治療」と「100%の標準」間には、
無数の目盛がありますが、
その個々の人間に最適の目盛を選択してくれる病院は、
広い日本の中ではごく僅かです。
FOLFIRINOXが標準への昇格を目指す、
現在の日本のがん治療では、
患者さんご自身での、
選択・決断はきわめて重要です。
地獄の責苦も、
医学の進歩のためには重要ですが・・・
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。