ある患者さんのご家族から素晴らしいメールをいただきました。
「ご家族に、ナントしても長生きしてもらいたい、そしてQOLも高めてあげたい」
という執念のような努力です。
そのご家族は医療関係者ではありません。
普通の主婦です。
あまりに感心させられましたので、
関係者にも本人が同定されないように、
文意は変えずに文字だけ変更して一部抜粋掲載します。
ここまで努力されている方もおられます。
ちなみに「○○Sと○L○D」は、私はまったく知りません。
今私が直接診ている患者さんやご家族の中にも、
本当に頭が下がるほど努力して
ご自分やご家族の病気に対処していこうとされている患者さんもたくさんおられます。
同時に、何も考えずに、すべて私任せの患者さんもおられます。
昨日の「クリスマス」で紹介したメールでも
有効である可能性の高い治療をご自身で探しておられます。
毎日、いろいろな患者さん、ご家族を診ていると、
ご自身で努力し、治療方法を模索されている方の予後は、
そうではない患者さんとは大きく違うように感じます。
お二人とも、当然健康保険の枠は超えた治療を望まれ、
お一人は実際にそれを行っています。
12月23日の「混合診療」で書きましたが、
これからの健康保険診療の目指すところは、
「誰にでも均一治療の治療を強制しよう」という流れに思えてなりません。
ご自身に最善の治療を目指してここまで努力している患者さんと、
まったく医者任せの患者さんとを、
単純に同一の「保険の範囲」として均一医療を行うことが正しいことでしょうか。
貧富の差ではなく、
知識、そしてそれを得ようとする努力の差があるのが当然だと思います。
いっしょくたにする方がよほど不公平だと思います。
現在の日本では、とかく、貧富の差、格差社会などが問題にされますが、
悪平等というものもあるのではないでしょうか。
学校教育などでも、
差別だ競争社会だと、進歩的文化人といわれる人たちが騒ぎ立て、
教育を「出来ない子」に合わせようとしているように思います。
それは、「出来る子」の権利を奪うものであるように感じます。
(出来の悪い子供であった私は、それで救われたかも知れませんが・・・)
その結果、国民の権利であるはずの費用の安い公立学校へは
賢い子供は行かなくなってしまいました。
「出来ない子」は出来ない子だけを集めた教室で
「出来ない子」のための教育をするべきだと考えます。
それと同じことが、医療の現場でも起きているように感じます。
知識をお持ちの患者さんでは自己裁量権を認めないと、
そして、患者さん自身も主張しないと、
日本の医療はトンでもないものになってしまうと思います。
また、その時大きな問題になることがあります。
それは、
6月23日の「自己責任」
6月24日の「自己責任」(2)
をはじめ何回も書いてきましたが、責任の所在です。
画一的な治療に向かうのは、
その責任の所在がハッキリしないところにも大きな原因があると思います。
お国が決めたとおりの治療を行った結果、
患者さんが不幸な結末を迎えた場合、
それは、誰の責任にもなりません。
医者としては一番安心な治療です。
ご自身の望む、標準とは違う治療を受けようと思ったとき、
そこには患者さん自身の自己責任が無ければ、
多くの医者はそれを行うことはないでしょう。
12月22日の「はずれのオッズ」でも紹介ましたが、
間質性肺炎という副作用での死者を出し、
マスコミの集中攻撃にあったイレッサという分子標的薬などは、
素晴らしい治療薬であることを医者は知っていますが、
当然の確率で起こりうる副作用で患者さんが死亡した場合、
その責任の所在がハッキリしていないために多くの医者が使いたがらないでいると聞きます。
使うにしても、患者さんに説明して、死に至る副作用を受ける可能性もあることに対して同意書を取っている病院も多いようで、そが面倒という理由から、
イレッサを敬遠する医者もいます。
あらゆるガン治療薬には、死に至る副作用が存在します。
イレッサに限りませんが、
可能性のあるクスリを使って治療をすることを望むときには、
ご自身から、「自己責任のうえでそのクスリを使いたい」旨の
誓約書のようなものを用意された方が、スムースに受け入れられるかもしれません。
また、そのような誓約書まで書いてくる患者さんでは、
患者さんの熱意に医者も動かされるのではないでしょうか。
「何でも訴訟」の現在の日本では、
医者も病院も先ず自分の保身が一番重要になってきます。
ガンが患者さんを殺してくれたら、
誰の責任にもなりません。
これだけ医者が虐められてくると、
そのように考える医者は少なくはないと思います。
先ず、患者さんの方からアクションを起こしてください。
感動的な患者さんのご家族の努力家から、
大きく話が飛んでしまいました。
失礼いたしました。
以上 文責 梅澤 充
「ご家族に、ナントしても長生きしてもらいたい、そしてQOLも高めてあげたい」
という執念のような努力です。
そのご家族は医療関係者ではありません。
普通の主婦です。
あまりに感心させられましたので、
関係者にも本人が同定されないように、
文意は変えずに文字だけ変更して一部抜粋掲載します。
・・・・・前文略・・・・・
上記の○○Sと○L○Dは、日本では○△科でも○×特殊外来のあるところしか病名も
わかってもらえないような病気でしたが、○×特殊外来はどこも予約が3ヶ月待ち
だったりして、とても待っていられず、海外の文献を検索しては読み漁り、
○△科の先生にかけあって治験薬を処方してもらったり、無認可薬を個人輸入したりで、
一ヶ月の後に完全にコントロールすることができるようになりました。
癌が相手ではありませんが、ひとつでも「勝った」という達成感を味わっています。
・・・・・・以下省略省略・・・・・・
ここまで努力されている方もおられます。
ちなみに「○○Sと○L○D」は、私はまったく知りません。
今私が直接診ている患者さんやご家族の中にも、
本当に頭が下がるほど努力して
ご自分やご家族の病気に対処していこうとされている患者さんもたくさんおられます。
同時に、何も考えずに、すべて私任せの患者さんもおられます。
昨日の「クリスマス」で紹介したメールでも
2006年のASCOで発表があった胃がんでもハーセプチンが奏功する件に関して
○研病院の先生にいくら頼んでも
HER2陽性チェックをしていただけず、CDDP+TS1 において
レンチナンの投与を希望しても全て却下されて、
有効である可能性の高い治療をご自身で探しておられます。
毎日、いろいろな患者さん、ご家族を診ていると、
ご自身で努力し、治療方法を模索されている方の予後は、
そうではない患者さんとは大きく違うように感じます。
お二人とも、当然健康保険の枠は超えた治療を望まれ、
お一人は実際にそれを行っています。
12月23日の「混合診療」で書きましたが、
これからの健康保険診療の目指すところは、
「誰にでも均一治療の治療を強制しよう」という流れに思えてなりません。
ご自身に最善の治療を目指してここまで努力している患者さんと、
まったく医者任せの患者さんとを、
単純に同一の「保険の範囲」として均一医療を行うことが正しいことでしょうか。
貧富の差ではなく、
知識、そしてそれを得ようとする努力の差があるのが当然だと思います。
いっしょくたにする方がよほど不公平だと思います。
現在の日本では、とかく、貧富の差、格差社会などが問題にされますが、
悪平等というものもあるのではないでしょうか。
学校教育などでも、
差別だ競争社会だと、進歩的文化人といわれる人たちが騒ぎ立て、
教育を「出来ない子」に合わせようとしているように思います。
それは、「出来る子」の権利を奪うものであるように感じます。
(出来の悪い子供であった私は、それで救われたかも知れませんが・・・)
その結果、国民の権利であるはずの費用の安い公立学校へは
賢い子供は行かなくなってしまいました。
「出来ない子」は出来ない子だけを集めた教室で
「出来ない子」のための教育をするべきだと考えます。
それと同じことが、医療の現場でも起きているように感じます。
知識をお持ちの患者さんでは自己裁量権を認めないと、
そして、患者さん自身も主張しないと、
日本の医療はトンでもないものになってしまうと思います。
また、その時大きな問題になることがあります。
それは、
6月23日の「自己責任」
6月24日の「自己責任」(2)
をはじめ何回も書いてきましたが、責任の所在です。
画一的な治療に向かうのは、
その責任の所在がハッキリしないところにも大きな原因があると思います。
お国が決めたとおりの治療を行った結果、
患者さんが不幸な結末を迎えた場合、
それは、誰の責任にもなりません。
医者としては一番安心な治療です。
ご自身の望む、標準とは違う治療を受けようと思ったとき、
そこには患者さん自身の自己責任が無ければ、
多くの医者はそれを行うことはないでしょう。
12月22日の「はずれのオッズ」でも紹介ましたが、
間質性肺炎という副作用での死者を出し、
マスコミの集中攻撃にあったイレッサという分子標的薬などは、
素晴らしい治療薬であることを医者は知っていますが、
当然の確率で起こりうる副作用で患者さんが死亡した場合、
その責任の所在がハッキリしていないために多くの医者が使いたがらないでいると聞きます。
使うにしても、患者さんに説明して、死に至る副作用を受ける可能性もあることに対して同意書を取っている病院も多いようで、そが面倒という理由から、
イレッサを敬遠する医者もいます。
あらゆるガン治療薬には、死に至る副作用が存在します。
イレッサに限りませんが、
可能性のあるクスリを使って治療をすることを望むときには、
ご自身から、「自己責任のうえでそのクスリを使いたい」旨の
誓約書のようなものを用意された方が、スムースに受け入れられるかもしれません。
また、そのような誓約書まで書いてくる患者さんでは、
患者さんの熱意に医者も動かされるのではないでしょうか。
「何でも訴訟」の現在の日本では、
医者も病院も先ず自分の保身が一番重要になってきます。
ガンが患者さんを殺してくれたら、
誰の責任にもなりません。
これだけ医者が虐められてくると、
そのように考える医者は少なくはないと思います。
先ず、患者さんの方からアクションを起こしてください。
感動的な患者さんのご家族の努力家から、
大きく話が飛んでしまいました。
失礼いたしました。
以上 文責 梅澤 充