昨日の「抗がん剤と無力感」で書きましたが、
標準量の細胞毒を注入されてしまった人間は、
正常な判断力を失ってしまうことは、
珍しくありません。
むしろ、それが普通かも知れません。
厳しくムチを振り落とされて、
苦しんでいる患者さんを、
ご家族が、見るに堪えられなくなって、
患者さんを連れて、
セカンドオピニオンを聞きに来られたことは、
何回もありました。
「そんなに苦しくて、治るならばいいけど、
残念ながら、治ることは考えられないし、
事実、このデータ上、明らかに悪化もしているでしょ、
別の方法を考えてもイイんじゃないですか。
いま、やっていることだけが治療ではありませんよ。」
と言っても、
もはや正常な自分を失ってしまった患者さんは、
「今まで続けてきたんだから、やはり続けます」
「主治医も続けたほうがイイというし、続けたいんです」
と言われます。
その思い込みは、
詐欺師に付け込まれる典型的な思考回路そのものです。
しかし、フト考えると、
それが「標準」の一つの効果のようにも感じます。
激しい身体的苦痛により、
ご自身の将来に対する漠然とした不安が払拭される。
治ることなど、
はじめから想定外の拷問のような儀式であることは、
誰よりもよく知っていながら、
「治ることまでは難しい」
しかし「最善の治療をしましょう」
さらに、
「5年生存確率」を示して、
治ることもある。
などの追い打ちまでかけて、
詐欺師も顔負けの、
巧みな話術で、
藁にも縋りたい患者さんに、
一時だけの安心感を与えてくれます。
じつは、溺れないための藁ではなく、
鉄の塊のような藁ですが、
標準とされる藁に縋っていれば、
身体は水に沈んで行っても、
精神的には、
溺れるという不安感は薄らぐのかも知れません。
しかし、現在の閻魔様は、
患者さんの自己意識を奪い去って、
数回地獄を味あわせた後は、
「早く緩和ケアに移行したほうが長生きできる」
などとうそぶいて、
患者さんのこころの拠り所だった、
重りのような藁まで、
簡単に取り上げてしまいます。
現実に、重石は、
早くはずしてあげたほうが、
浮いている時間は長いというデータも出ています。
ならば、はじめから、
沈まない程度の重さにするか、
重りなど抱かせないほうが、
よほどマシだと考えますが、
そこを譲ると、
閻魔様のお仕事が無くなってしまいますから、
絶対にそれはしません。
標準儀式の拠り所となっているエビデンスは、
「その儀式は、執行を開始したら、
確実に〇〇ヶ月以内に半分の患者さんは消失する」
その真実を知ったうえで、
それを受けるならば、
けっして悪い儀式ではないのかも知れません。
それが、
「神様が自分に与えてくれた試練」であると、
考えることができる宗教観を持った人間であれば、
こころの救いになるのかも知れません。
しかし、正直に、
それを言う閻魔様は多くはないのが現実であるような気がします。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
標準量の細胞毒を注入されてしまった人間は、
正常な判断力を失ってしまうことは、
珍しくありません。
むしろ、それが普通かも知れません。
厳しくムチを振り落とされて、
苦しんでいる患者さんを、
ご家族が、見るに堪えられなくなって、
患者さんを連れて、
セカンドオピニオンを聞きに来られたことは、
何回もありました。
「そんなに苦しくて、治るならばいいけど、
残念ながら、治ることは考えられないし、
事実、このデータ上、明らかに悪化もしているでしょ、
別の方法を考えてもイイんじゃないですか。
いま、やっていることだけが治療ではありませんよ。」
と言っても、
もはや正常な自分を失ってしまった患者さんは、
「今まで続けてきたんだから、やはり続けます」
「主治医も続けたほうがイイというし、続けたいんです」
と言われます。
その思い込みは、
詐欺師に付け込まれる典型的な思考回路そのものです。
しかし、フト考えると、
それが「標準」の一つの効果のようにも感じます。
激しい身体的苦痛により、
ご自身の将来に対する漠然とした不安が払拭される。
治ることなど、
はじめから想定外の拷問のような儀式であることは、
誰よりもよく知っていながら、
「治ることまでは難しい」
しかし「最善の治療をしましょう」
さらに、
「5年生存確率」を示して、
治ることもある。
などの追い打ちまでかけて、
詐欺師も顔負けの、
巧みな話術で、
藁にも縋りたい患者さんに、
一時だけの安心感を与えてくれます。
じつは、溺れないための藁ではなく、
鉄の塊のような藁ですが、
標準とされる藁に縋っていれば、
身体は水に沈んで行っても、
精神的には、
溺れるという不安感は薄らぐのかも知れません。
しかし、現在の閻魔様は、
患者さんの自己意識を奪い去って、
数回地獄を味あわせた後は、
「早く緩和ケアに移行したほうが長生きできる」
などとうそぶいて、
患者さんのこころの拠り所だった、
重りのような藁まで、
簡単に取り上げてしまいます。
現実に、重石は、
早くはずしてあげたほうが、
浮いている時間は長いというデータも出ています。
ならば、はじめから、
沈まない程度の重さにするか、
重りなど抱かせないほうが、
よほどマシだと考えますが、
そこを譲ると、
閻魔様のお仕事が無くなってしまいますから、
絶対にそれはしません。
標準儀式の拠り所となっているエビデンスは、
「その儀式は、執行を開始したら、
確実に〇〇ヶ月以内に半分の患者さんは消失する」
その真実を知ったうえで、
それを受けるならば、
けっして悪い儀式ではないのかも知れません。
それが、
「神様が自分に与えてくれた試練」であると、
考えることができる宗教観を持った人間であれば、
こころの救いになるのかも知れません。
しかし、正直に、
それを言う閻魔様は多くはないのが現実であるような気がします。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。