昨日の「抗がん剤治療絶対反対?」で紹介した患者さんは、
何としても細胞毒は避けて、
代替療法だけに頼りたいようでした。
すでに玄米菜食を実践されていました。
それをはじめてすぐに、
体重の減少と、
楽しく、美味しい食生活は失われたようです。
被害がそれだけなら、
まだイイのですが、
その患者さんにとっては、
そのただの偏食は、
致命傷にもなる副作用があります。
代替療法として、
免疫細胞療法などにも、
大きな期待をされていたようでした。
免疫細胞療法などの、
代替療法を否定する気はまったくありません。
しかし、それには時期が重要です。
根治手術の直前か直後から、
手術後の再発を予防する目的であれば、
自費での、けっして安くはない、その治療も、
フトコロが許せば損はない、
ように感じます。
しかし、手術で取り去ることができない、
機械の目でも見えてしまっている病巣が存在している状態では、
費用対効果を考えると、まったくの無駄、
であるように感じます。
もっとも、
「標準」でも、
健康保険で認められていて、
その上に、高額療養費制度があるが故に、
費用対効果は泣く泣く容認せざるを得ない?レベルであり、
健康保険支払限度額の毎月の負担と、
実際には、月に100万円という薬剤費用に見合う効果があるとは、
とても考えられません。
治らないことが分かっているがんに対して、
数百万円以上かけて、
それを受けないよりは、
数ヶ月の延命が得られるかも知れない。
それは、現在の日本人の価値観にはあっているのでしょうか。
ただ、数字の上での「生」を支えるだけで、
月に百万円は、
安いのか高いのか、
考え方は様々だと思います。
再発予防の標準でも、
費用対抗は同程度かも知れません。
勿論、肉体的被害、
労働時間の短縮による損失も計上しなければなりません。
話しは大きく逸れましたが、
がん治療では、
費用対効果と同様に、
受ける恩恵と同時に、
失うモノの大きさも、
考えなければなりません。
「標準」でも、
被害が無いのであれば、
けっして悪くはありません。
お国の財政事情もあり、
経済的被害は減りませんが、
身体的な副作用を軽減する薬剤は、
抗がん剤製造会社を中心に、
長足の進歩を遂げているのは事実です。
しかし、副作用での死亡確率がゼロになっていない現実を考えると、
その副作用を容認しているのは、
製薬会社と、その使用人のような閻魔様だけであり、
生身の患者さんにとっては、
安易に容認できるかたは多くはないような気がします。
現在の「標準」とされる、
細胞毒てんこ盛りの儀式は、
利益と不利益どちらが大きいか疑問です。
プラスとマイナス、
合計して、
プラスになる患者さんがいることも事実だと思います。
しかしマイナスの悲しい結果が待っている患者さんも、
同様に存在することも間違いない事実です。
「標準」は、
個々の患者さんではなく、
患者群として観ると、
プラスになると判断されているから、
執行されている儀式です。
誰が、そう判断したかは知りませんが。
逆に、はじめから被害がゼロであることが分かっている、
お呪い同様の治療では、
確率は低くても、
当たる患者さんが存在するのであれば、
統計的には、
トクな治療ということになります。
がん治療では、
失うもの、
失いたくないモノは、
「命」だけと考えがちになりますが、
治らないがんに対する治療では、
本当に考えなければならないモノは、
楽しい人生と時間であるような気がします。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
何としても細胞毒は避けて、
代替療法だけに頼りたいようでした。
すでに玄米菜食を実践されていました。
それをはじめてすぐに、
体重の減少と、
楽しく、美味しい食生活は失われたようです。
被害がそれだけなら、
まだイイのですが、
その患者さんにとっては、
そのただの偏食は、
致命傷にもなる副作用があります。
代替療法として、
免疫細胞療法などにも、
大きな期待をされていたようでした。
免疫細胞療法などの、
代替療法を否定する気はまったくありません。
しかし、それには時期が重要です。
根治手術の直前か直後から、
手術後の再発を予防する目的であれば、
自費での、けっして安くはない、その治療も、
フトコロが許せば損はない、
ように感じます。
しかし、手術で取り去ることができない、
機械の目でも見えてしまっている病巣が存在している状態では、
費用対効果を考えると、まったくの無駄、
であるように感じます。
もっとも、
「標準」でも、
健康保険で認められていて、
その上に、高額療養費制度があるが故に、
費用対効果は泣く泣く容認せざるを得ない?レベルであり、
健康保険支払限度額の毎月の負担と、
実際には、月に100万円という薬剤費用に見合う効果があるとは、
とても考えられません。
治らないことが分かっているがんに対して、
数百万円以上かけて、
それを受けないよりは、
数ヶ月の延命が得られるかも知れない。
それは、現在の日本人の価値観にはあっているのでしょうか。
ただ、数字の上での「生」を支えるだけで、
月に百万円は、
安いのか高いのか、
考え方は様々だと思います。
再発予防の標準でも、
費用対抗は同程度かも知れません。
勿論、肉体的被害、
労働時間の短縮による損失も計上しなければなりません。
話しは大きく逸れましたが、
がん治療では、
費用対効果と同様に、
受ける恩恵と同時に、
失うモノの大きさも、
考えなければなりません。
「標準」でも、
被害が無いのであれば、
けっして悪くはありません。
お国の財政事情もあり、
経済的被害は減りませんが、
身体的な副作用を軽減する薬剤は、
抗がん剤製造会社を中心に、
長足の進歩を遂げているのは事実です。
しかし、副作用での死亡確率がゼロになっていない現実を考えると、
その副作用を容認しているのは、
製薬会社と、その使用人のような閻魔様だけであり、
生身の患者さんにとっては、
安易に容認できるかたは多くはないような気がします。
現在の「標準」とされる、
細胞毒てんこ盛りの儀式は、
利益と不利益どちらが大きいか疑問です。
プラスとマイナス、
合計して、
プラスになる患者さんがいることも事実だと思います。
しかしマイナスの悲しい結果が待っている患者さんも、
同様に存在することも間違いない事実です。
「標準」は、
個々の患者さんではなく、
患者群として観ると、
プラスになると判断されているから、
執行されている儀式です。
誰が、そう判断したかは知りませんが。
逆に、はじめから被害がゼロであることが分かっている、
お呪い同様の治療では、
確率は低くても、
当たる患者さんが存在するのであれば、
統計的には、
トクな治療ということになります。
がん治療では、
失うもの、
失いたくないモノは、
「命」だけと考えがちになりますが、
治らないがんに対する治療では、
本当に考えなければならないモノは、
楽しい人生と時間であるような気がします。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。