ロボット社会の到来を受けて、
「今後も、人間社会で存続し続ける診療科は何か?」
という内容の、
医療者向けのネット記事がありました。
先ず、「精神科は絶対に人間による医療行為が必要」という、
一つの結論がありました。
それは、同感です。
次に整形外科が挙げられていました。
それ以下の順番は忘れましたが、
抗がん剤注入だけをおこない、
しかも、すべてエビデンスで片付けてしまう、
腫瘍内科という診療科などは、
機械・ロボットで十分であるように感じます。
体重と身長と病名が分かれば、
今後のすべての方針を決めてしまうのが、
「現在の標準」ですから、
がんの存在が疑われた患者さんは、
機械の中に入って、
切除可能と判断されれば、
外科に回され、
「手術不能 = 治らない末期がん」と判定されたら、
その場で、
薬剤の種類も量も、
スケジュールもすべてロボットが決めてくれる。
そういう時代が、
すぐに来るような気がします。
否、もはやそれに近い状態の地域もあるように感じます。
インフォームドコンセントという、
比較的新しい言葉が、
有名無実であることが露見してくると、
今度は、
「Shared decision making」に基づくインフォームドコンセント、
などと、
日本人を馬鹿にしたような、
目先の言葉あそびで、
治らないがんを宿しただけの患者さんを騙そうと試みているようですが、
そんなウソは、
長くは続かないと感じます。
「病名」さえ決まれば、
その後は、
患者さんの個性も価値観もすべて無視され、
一本しか用意されていないレールに乗せるだけですから、
そこに人間である医者が関与する必要はないような気がします。
すでに、そのように、
完全にオートメーション化されている地域・病院も存在するようです。
一番重要なこころのケア、
それは、
医者などよりも、
遥かに世の中を知っているであろう、
ご高齢の僧侶や牧師が担当するべきです。
「標準」だけの執行ならば、
医者は不要だと考えます。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
「今後も、人間社会で存続し続ける診療科は何か?」
という内容の、
医療者向けのネット記事がありました。
先ず、「精神科は絶対に人間による医療行為が必要」という、
一つの結論がありました。
それは、同感です。
次に整形外科が挙げられていました。
それ以下の順番は忘れましたが、
抗がん剤注入だけをおこない、
しかも、すべてエビデンスで片付けてしまう、
腫瘍内科という診療科などは、
機械・ロボットで十分であるように感じます。
体重と身長と病名が分かれば、
今後のすべての方針を決めてしまうのが、
「現在の標準」ですから、
がんの存在が疑われた患者さんは、
機械の中に入って、
切除可能と判断されれば、
外科に回され、
「手術不能 = 治らない末期がん」と判定されたら、
その場で、
薬剤の種類も量も、
スケジュールもすべてロボットが決めてくれる。
そういう時代が、
すぐに来るような気がします。
否、もはやそれに近い状態の地域もあるように感じます。
インフォームドコンセントという、
比較的新しい言葉が、
有名無実であることが露見してくると、
今度は、
「Shared decision making」に基づくインフォームドコンセント、
などと、
日本人を馬鹿にしたような、
目先の言葉あそびで、
治らないがんを宿しただけの患者さんを騙そうと試みているようですが、
そんなウソは、
長くは続かないと感じます。
「病名」さえ決まれば、
その後は、
患者さんの個性も価値観もすべて無視され、
一本しか用意されていないレールに乗せるだけですから、
そこに人間である医者が関与する必要はないような気がします。
すでに、そのように、
完全にオートメーション化されている地域・病院も存在するようです。
一番重要なこころのケア、
それは、
医者などよりも、
遥かに世の中を知っているであろう、
ご高齢の僧侶や牧師が担当するべきです。
「標準」だけの執行ならば、
医者は不要だと考えます。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。