医療におけるエビデンスとは、
治療を行う際の根拠です。
がん医療では、
それが無い治療は、
一部の腫瘍内科の先生は医療とは認めていません。
しかし、現在の治らないがん、
ステージⅣの末期がんにおけるエビデンスとされる数字では、
無治療との比較データは存在していません。
大きな数字の患者群を比較して、
A治療とB治療で、
生存期間中央治値や、
あるいは、無増悪生存期間がどれだけ違う、
さらには、副作用の厳しさはどちらがキツイ、優しい、
副作用死亡確率は〇%など、など、
当事者ではない他人の医療者が、
勝手に騒いでいるに過ぎません。
さらにA治療B治療、
どちらを選択しても、
治ることは前提ではなく、
その治療の根拠は「死」だけです。
もちろん、その数字、統計データは、
個々の患者さんの今後の道標ではありません。
データ、エビデンスのほぼすべては、
極めて膨大な数に上る、
すべて亡くなった患者さんから得られたデータであり、
現存している患者さんのデータではありません。
しかも、日本の腫瘍内科医の錦の御旗、
汎用されているエビデンスのほとんどが、
南蛮渡来のデータであり、
日本人のデータではないことは、
インフォームドコンセントでは教えてくれません。
胃がん手術後の再発予防に対して、
外科医は、「TS-1の内服は純粋に日本人だけのデータ」であることは、
シッカリ説明している場合が多いようですが。
亡くなり続ける多くの患者さんにより、
今も、日々構築されつつあるデータは、
後進の人類のエビデンスとして生かされていきます。
その頃には、
日本人のデータもハッキリと分かってくるはずです。
招来は、
「あんな惨い儀式を治療にしていた時代もある」と、
教科書に載るかも知れません。
悪魔祓いや祈祷も、
立派な治療であった時代もあります。
今でも、タダの偏食が、
治療であると考えている患者さんも少なくありません。
「過去に亡くなった人間と同じ道を辿りましょう」
「科学が進んだ今では、祈祷よりはマシですよ」
「後世の人間のために根拠を残しておきましょう」
それが現在のエビデンスです。
エビデンスは、
現在、平穏な生活を送っている生身の人間に対して、
その生を奪うこともある、
残忍な処刑を執行する際の、
医療者への絶好の免罪符ですが、
個々の患者さんにとっては、
一切、効果を担保してくれる存在ではありません。
「標準以外は、責任は持てません」などと、
トボケタことを言って、
標準刑を執行して、
標準的に亡くなった患者さんに対して、
責任を取った医者など存在しません。
そこを勘違いすると、
取り返しがつかないことになります。
エビデンス・EBMは、
治らないがんを宿した個々の患者さんではなく、
「患者集団を診る立場の腫瘍内科医の考え方として、
さらに招来の医学の進歩のためには、
現行医療では、ある程度、正しい方策だと思います。
大集団の中の一人に過ぎないと考える患者さんは、
その渦に巻き込まれるのは、
けっして間違いではありません。
高額な抗がん剤をたくさん消費して、
標準的に副作用で苦しめば、
ご褒美としての、
手厚い無治療、緩和ケアが待っているかも知れません。
無治療と標準の中間があってもよさそうですが、
そのエビデンスは、
絶対に出ません。
今、出されたら、
一握りの医療者はとても困りますから。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
治療を行う際の根拠です。
がん医療では、
それが無い治療は、
一部の腫瘍内科の先生は医療とは認めていません。
しかし、現在の治らないがん、
ステージⅣの末期がんにおけるエビデンスとされる数字では、
無治療との比較データは存在していません。
大きな数字の患者群を比較して、
A治療とB治療で、
生存期間中央治値や、
あるいは、無増悪生存期間がどれだけ違う、
さらには、副作用の厳しさはどちらがキツイ、優しい、
副作用死亡確率は〇%など、など、
当事者ではない他人の医療者が、
勝手に騒いでいるに過ぎません。
さらにA治療B治療、
どちらを選択しても、
治ることは前提ではなく、
その治療の根拠は「死」だけです。
もちろん、その数字、統計データは、
個々の患者さんの今後の道標ではありません。
データ、エビデンスのほぼすべては、
極めて膨大な数に上る、
すべて亡くなった患者さんから得られたデータであり、
現存している患者さんのデータではありません。
しかも、日本の腫瘍内科医の錦の御旗、
汎用されているエビデンスのほとんどが、
南蛮渡来のデータであり、
日本人のデータではないことは、
インフォームドコンセントでは教えてくれません。
胃がん手術後の再発予防に対して、
外科医は、「TS-1の内服は純粋に日本人だけのデータ」であることは、
シッカリ説明している場合が多いようですが。
亡くなり続ける多くの患者さんにより、
今も、日々構築されつつあるデータは、
後進の人類のエビデンスとして生かされていきます。
その頃には、
日本人のデータもハッキリと分かってくるはずです。
招来は、
「あんな惨い儀式を治療にしていた時代もある」と、
教科書に載るかも知れません。
悪魔祓いや祈祷も、
立派な治療であった時代もあります。
今でも、タダの偏食が、
治療であると考えている患者さんも少なくありません。
「過去に亡くなった人間と同じ道を辿りましょう」
「科学が進んだ今では、祈祷よりはマシですよ」
「後世の人間のために根拠を残しておきましょう」
それが現在のエビデンスです。
エビデンスは、
現在、平穏な生活を送っている生身の人間に対して、
その生を奪うこともある、
残忍な処刑を執行する際の、
医療者への絶好の免罪符ですが、
個々の患者さんにとっては、
一切、効果を担保してくれる存在ではありません。
「標準以外は、責任は持てません」などと、
トボケタことを言って、
標準刑を執行して、
標準的に亡くなった患者さんに対して、
責任を取った医者など存在しません。
そこを勘違いすると、
取り返しがつかないことになります。
エビデンス・EBMは、
治らないがんを宿した個々の患者さんではなく、
「患者集団を診る立場の腫瘍内科医の考え方として、
さらに招来の医学の進歩のためには、
現行医療では、ある程度、正しい方策だと思います。
大集団の中の一人に過ぎないと考える患者さんは、
その渦に巻き込まれるのは、
けっして間違いではありません。
高額な抗がん剤をたくさん消費して、
標準的に副作用で苦しめば、
ご褒美としての、
手厚い無治療、緩和ケアが待っているかも知れません。
無治療と標準の中間があってもよさそうですが、
そのエビデンスは、
絶対に出ません。
今、出されたら、
一握りの医療者はとても困りますから。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。