本日も、真性ガン難民(真のがん難民)になられた患者さんが来られました。
真性がん難民については、
2006年12月8日の「がん難民」
2006年12月9日の「続・がん難民」
2006年12月10日の「がん難民 報道の真意?」
などで書きましたのでご参照ください。
「もはや治療方法はありません」
と、昨日の「美しい国日本?」で皮肉った、
犯罪的な宣告で真のがん難民になられた患者さんです。
しかし、その患者さんおよびご家族の場合は、
宣告を受けて、ただしょげかえるだけではなく、
「何か他に手はあるだろう」
「こんなに元気なんだから何かしてくれ」
と、無情の宣告をした主治医に喰いついたそうです。
しかし、「エビデンスがありませんから」
の一点張りで、
患者さんの懇願をまったく聞き入れてはくれなかったそうです。
それで、その病院・主治医とは決別して、
私のところに相談に来られました。
「エビデンスが無いから治療できない」であれば、
医者には臨床の経験なんか必要が無いように思います。
エビデンスについては、
簡単に調べることができます。
検索すれば、このインターネットでもいくらでも出てきます。
患者さん自ら、治療のエビデンスを知ってから私のところへ来ることも珍しくありません。
エビデンスは、医者ではなくとも簡単に手に入る情報です。
医者が、エビデンスが無い治療はできないとなると、
その医者は何を行うのでしょうか。
エビデンスどおりに、抗癌剤を使う。
それは、
「抗癌剤Aを体表面積当たり○○mg、Bを○×mg
それぞれ、60分と90分かけて点滴で注入する。」
「その後に、予想される副作用に対して、
吐き気対策として、制吐剤○○を処方する。
白血球が幾つ以下になったら、g-CSFというクスリを注射する。
全身倦怠感および脱毛に対しては諦めてもらう。」
という、まったくマニュアルどおりに治療(?)を進めるだけです。
これは、ロボットだって十分に可能です。
むしろ、数字を間違えたりという単純なミスはロボットの方が少ないのではないでしょうか。
こと標準的抗癌剤治療に関しては、
医者よりもロボットが治療を遂行する方が正確で事故が少ないのではないでしょうか。
数年前に何処かの大学病院で、
教科書を見ながら標準的抗癌剤治療をしていた未熟な医者が、
抗癌剤の量を間違えて、
患者さんを死に至らしめたとして、
訴えられる事件がありましたが、
そのような事故は機械ならば起こらないでしょう。
ロボットがエビデンスというマニュアルどおりの治療を
はじめから計画してそれを実行し、
画像診断も腫瘍マーカーも機械が読み取り、
ファーストラインの標準的抗癌剤治療が効かなくなるまで続けて、
次にはエビデンスのあるセカンドラインの標準的抗癌剤治療を行い、
それが効かなくなり、
エビデンスのある治療が無くなったならば、
あるいは、患者さんの体力が低下して、
PS. が2以上になってしまった時には、
「ザンネンデスガ モハヤ チリョウホウハ アリマセン」
「アナタノ ヨミョウハ アト サンカゲツデス」
「ホスピスニ イカレルコトヲ オススメイタシマス サヨウナラ」
と、患者さんにアナウンスするか、
アンサーペーパーをプリントアウトして出せば、
それで、すべて終了です。
そこには医者の経験などが入り込む余地はありません。
今はメスを持つ機会はメッキリ減りましたが、私は外科医です。
外科という診療科は外科医の経験・勘という、
非科学的な要素が非常に重要視される仕事です。
手術は経験と勘がなければ行うことができません。
私の後輩で、今は開業してしまいましたが、
極めて手術の上手い外科医がいました。
彼の手は、ほとんど理論など関係無く、
経験と勘だけで動いていました。
それだけで見事な、手術という芸術を完成させていました。
お年寄りには、その年齢でも問題の無いレベルでの浸襲で済ませ、
若い患者さんでは、浸襲は大きくなっても、
ガンの根治性を高める手術を難無くこなしていました。
すべて経験と勘だけの世界です。
その手術の経験・勘から来るのかどうか分かりませんが、
外科医は、クスリを使うときも自分の経験・勘を大切にして、
いわゆるサジ加減を決める癖があるように思います。
そして、それが医者であることの喜び・誇りに感じているところが多分にあるような気がします。
エビデンスを知っていることは重要であり、
治療を考える上で絶対的に必要です。
しかし何物にも代えがたい、
医者が多くの患者さんから学んだ経験・勘により、
恩恵を受ける患者さんは少なくないはずです。
コンピューターで計算できるような医療は、
一般の患者さんはあまり欲しがってはいないように思うのですが…
日本の抗癌剤治療の現場では、
患者さんにとって、とても貴重であるはずの経験や勘が
あまりにも粗末に扱われているように思えてなりません。
科学的な裏付けなんかよりも、
遥かに重要なことも少なくはないのですが…
通勤途中のラジオで流れていて笑ってしまいましたが、
今の、美しい国日本では
「マニュアル絶対」「マニュアル命」になってしまっているようです。
医療の世界も、
自分の経験・勘で判断することは許されない、
恐ろしい時代になってきたのでしょうか。
しかし、自分の経験・勘で治療を行って、
上手くいかなかったときに、
患者さんから責められるのであれば、
エビデンスというマニュアルに従って、
患者さんにはエビデンスどおりの運命に従っていただくのが、
医者にとっては一番無難です。
以上 文責 梅澤 充
真性がん難民については、
2006年12月8日の「がん難民」
2006年12月9日の「続・がん難民」
2006年12月10日の「がん難民 報道の真意?」
などで書きましたのでご参照ください。
「もはや治療方法はありません」
と、昨日の「美しい国日本?」で皮肉った、
犯罪的な宣告で真のがん難民になられた患者さんです。
しかし、その患者さんおよびご家族の場合は、
宣告を受けて、ただしょげかえるだけではなく、
「何か他に手はあるだろう」
「こんなに元気なんだから何かしてくれ」
と、無情の宣告をした主治医に喰いついたそうです。
しかし、「エビデンスがありませんから」
の一点張りで、
患者さんの懇願をまったく聞き入れてはくれなかったそうです。
それで、その病院・主治医とは決別して、
私のところに相談に来られました。
「エビデンスが無いから治療できない」であれば、
医者には臨床の経験なんか必要が無いように思います。
エビデンスについては、
簡単に調べることができます。
検索すれば、このインターネットでもいくらでも出てきます。
患者さん自ら、治療のエビデンスを知ってから私のところへ来ることも珍しくありません。
エビデンスは、医者ではなくとも簡単に手に入る情報です。
医者が、エビデンスが無い治療はできないとなると、
その医者は何を行うのでしょうか。
エビデンスどおりに、抗癌剤を使う。
それは、
「抗癌剤Aを体表面積当たり○○mg、Bを○×mg
それぞれ、60分と90分かけて点滴で注入する。」
「その後に、予想される副作用に対して、
吐き気対策として、制吐剤○○を処方する。
白血球が幾つ以下になったら、g-CSFというクスリを注射する。
全身倦怠感および脱毛に対しては諦めてもらう。」
という、まったくマニュアルどおりに治療(?)を進めるだけです。
これは、ロボットだって十分に可能です。
むしろ、数字を間違えたりという単純なミスはロボットの方が少ないのではないでしょうか。
こと標準的抗癌剤治療に関しては、
医者よりもロボットが治療を遂行する方が正確で事故が少ないのではないでしょうか。
数年前に何処かの大学病院で、
教科書を見ながら標準的抗癌剤治療をしていた未熟な医者が、
抗癌剤の量を間違えて、
患者さんを死に至らしめたとして、
訴えられる事件がありましたが、
そのような事故は機械ならば起こらないでしょう。
ロボットがエビデンスというマニュアルどおりの治療を
はじめから計画してそれを実行し、
画像診断も腫瘍マーカーも機械が読み取り、
ファーストラインの標準的抗癌剤治療が効かなくなるまで続けて、
次にはエビデンスのあるセカンドラインの標準的抗癌剤治療を行い、
それが効かなくなり、
エビデンスのある治療が無くなったならば、
あるいは、患者さんの体力が低下して、
PS. が2以上になってしまった時には、
「ザンネンデスガ モハヤ チリョウホウハ アリマセン」
「アナタノ ヨミョウハ アト サンカゲツデス」
「ホスピスニ イカレルコトヲ オススメイタシマス サヨウナラ」
と、患者さんにアナウンスするか、
アンサーペーパーをプリントアウトして出せば、
それで、すべて終了です。
そこには医者の経験などが入り込む余地はありません。
今はメスを持つ機会はメッキリ減りましたが、私は外科医です。
外科という診療科は外科医の経験・勘という、
非科学的な要素が非常に重要視される仕事です。
手術は経験と勘がなければ行うことができません。
私の後輩で、今は開業してしまいましたが、
極めて手術の上手い外科医がいました。
彼の手は、ほとんど理論など関係無く、
経験と勘だけで動いていました。
それだけで見事な、手術という芸術を完成させていました。
お年寄りには、その年齢でも問題の無いレベルでの浸襲で済ませ、
若い患者さんでは、浸襲は大きくなっても、
ガンの根治性を高める手術を難無くこなしていました。
すべて経験と勘だけの世界です。
その手術の経験・勘から来るのかどうか分かりませんが、
外科医は、クスリを使うときも自分の経験・勘を大切にして、
いわゆるサジ加減を決める癖があるように思います。
そして、それが医者であることの喜び・誇りに感じているところが多分にあるような気がします。
エビデンスを知っていることは重要であり、
治療を考える上で絶対的に必要です。
しかし何物にも代えがたい、
医者が多くの患者さんから学んだ経験・勘により、
恩恵を受ける患者さんは少なくないはずです。
コンピューターで計算できるような医療は、
一般の患者さんはあまり欲しがってはいないように思うのですが…
日本の抗癌剤治療の現場では、
患者さんにとって、とても貴重であるはずの経験や勘が
あまりにも粗末に扱われているように思えてなりません。
科学的な裏付けなんかよりも、
遥かに重要なことも少なくはないのですが…
通勤途中のラジオで流れていて笑ってしまいましたが、
店内で食べることもできる美味しいパン屋さんで、
食パンを2斤買ったところ、店員から、
「店内でお召し上がりになりますか?」
と言われたそうです。
今の、美しい国日本では
「マニュアル絶対」「マニュアル命」になってしまっているようです。
医療の世界も、
自分の経験・勘で判断することは許されない、
恐ろしい時代になってきたのでしょうか。
しかし、自分の経験・勘で治療を行って、
上手くいかなかったときに、
患者さんから責められるのであれば、
エビデンスというマニュアルに従って、
患者さんにはエビデンスどおりの運命に従っていただくのが、
医者にとっては一番無難です。
以上 文責 梅澤 充



