最近の医療統計の論文などを読むと、
QALYという単語をしばしば目にします。
この単語・指標は、
がん治療の大前提として考えなければならないのですが、
最近まで、
日本の腫瘍内科医療者からは、
ほとんど聞きませんでした。
オプジーボという、
トンデモナイ薬価の影響もあると思いますが、
日本語でもしばしば登場するようになってきました。
QOL(Quality of Life)という、
多くの日本人に馴染みの、
「生活の質」と、
LY(Life year)生存年数を掛け合わせた、
治療に対する一つの指標です。
(Quality-adjusted life year の略語です)
まったく普通の生活を送ることができるQOLを1.0 として、
死を0 とカウントします。
末期がんの患者さんでも、
まったく自覚症状が無く、
平穏な1年間を過ごすことができたなら、
1 x 1.0 = 1 QALYとなります。
プラス、自覚症状が発現して、
QOLが 「0」 に至るまで低下した時間の値が加算されます。
一方、治療と称した儀式の開始と同時に、
副作用でQOLを大きく落とし、
QOLが0.5 の状態で、
寿命が半年延びて、
1年半の生存時間が得られた場合は、
0.5 x 1.5 = 0.75 QALY となります。
むしろ無治療のほうが勝っていることを意味します。
それを考えると、
多くの「標準」で、
QALY に於いて、
無治療より、
トクか否か、
大きな疑問が出てきます。
もちろん、エビデンス教祖の標準信者は、
患者さんしか知り得ないQOLを勝手に吊り上げて、
「無治療よりは、勝っているのがエビデンス」
と主張するでしょうが、
現在は、
膨大に膨れ上がった医療コストの問題も絡み、
単純には、
説得はできないようです。
これもオプジーボの薬効かも知れません。
もちろん、
「私の場合は、標準が明らかに効いた、
副作用も耐えられる範囲だった」
という、ウラのコメントも時々いただきます。
そのとおりだと思います。
しかし、そうではない患者さんも、
それ以上の数に上る可能性が多分にあるというだけです。
治らないがんに対しては、
「標準」も、
一つの「ワラ」だとは思います。
それを否定する気はありません。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
QALYという単語をしばしば目にします。
この単語・指標は、
がん治療の大前提として考えなければならないのですが、
最近まで、
日本の腫瘍内科医療者からは、
ほとんど聞きませんでした。
オプジーボという、
トンデモナイ薬価の影響もあると思いますが、
日本語でもしばしば登場するようになってきました。
QOL(Quality of Life)という、
多くの日本人に馴染みの、
「生活の質」と、
LY(Life year)生存年数を掛け合わせた、
治療に対する一つの指標です。
(Quality-adjusted life year の略語です)
まったく普通の生活を送ることができるQOLを1.0 として、
死を0 とカウントします。
末期がんの患者さんでも、
まったく自覚症状が無く、
平穏な1年間を過ごすことができたなら、
1 x 1.0 = 1 QALYとなります。
プラス、自覚症状が発現して、
QOLが 「0」 に至るまで低下した時間の値が加算されます。
一方、治療と称した儀式の開始と同時に、
副作用でQOLを大きく落とし、
QOLが0.5 の状態で、
寿命が半年延びて、
1年半の生存時間が得られた場合は、
0.5 x 1.5 = 0.75 QALY となります。
むしろ無治療のほうが勝っていることを意味します。
それを考えると、
多くの「標準」で、
QALY に於いて、
無治療より、
トクか否か、
大きな疑問が出てきます。
もちろん、エビデンス教祖の標準信者は、
患者さんしか知り得ないQOLを勝手に吊り上げて、
「無治療よりは、勝っているのがエビデンス」
と主張するでしょうが、
現在は、
膨大に膨れ上がった医療コストの問題も絡み、
単純には、
説得はできないようです。
これもオプジーボの薬効かも知れません。
もちろん、
「私の場合は、標準が明らかに効いた、
副作用も耐えられる範囲だった」
という、ウラのコメントも時々いただきます。
そのとおりだと思います。
しかし、そうではない患者さんも、
それ以上の数に上る可能性が多分にあるというだけです。
治らないがんに対しては、
「標準」も、
一つの「ワラ」だとは思います。
それを否定する気はありません。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。