「エビデンスの無い治療」、
「未承認治療」、
「免疫細胞療法」、
その他「標準」以外の治療は、
すべて排除しようと、
呆れるほど躍起になっている腫瘍内科医が、
いまだに日本には生息しています。
日本の腫瘍内科というお仕事は、
本当にヒマなようです。
病名と身長と体重さえ分かれば、
あとはすべてパソコン任せで済み、
医者としての働く必要はなく、
時間が有り余っているのでしょう。
羨ましい限りです。
下衆の勘ぐりをすれば、
「標準」により莫大な利益を得ている製薬会社が、
絡んでいるのかも知れません。
そんな似非治療は日本だけとも叫んでいるそうです。
しかし、標準教の教祖が溺愛するアメリカは、
がんに対するサプリメント大国である現実は、
あまり知られていません。
あまりにも高額な、
現在の抗がん剤など、
貧しい国民は使うことを許されません。
エビデンスは医学の進歩のためには、
非常に重要です。
たかだか四半世紀・25年前には、
固形がんに対して、
延命効果すら認められなかった抗がん剤に、
僅かながら延命効果があるかも知れないと、
分かったのは、
エビデンスの積み重ねのおかげです。
実際に、肺小細胞がん、
卵巣がん、大腸がんなどでは、
延命効果は、
あるように感じます。
もちろんQALYの観点からみて、
その治療がトクかソンかは、
医療者が判断するモノではなく、
患者さん独自の価値観で決めることです。
すでに亡くなった多くの患者さんから得られたデータと言えども、
エビデンスは患者さんにとっても、
その治療(儀式?)を受ける場合に、
ご自身の予後を知る、
一つの指標になることは事実です。
しかし、それは、
その儀式を執行しようとする主治医が、
そのエビデンスとしての数字を、
嘘偽りなく、正確に、
患者さんに開示した場合だけであり、
それはほとんど行われていないのが現実です。
多くの患者さんは、
大きな病院のセンセイというだけで、
完全に信用してしまいます。
少なくとも、
がんと云う病名をはじめて聞く患者さんにとっては、
「大病院が、自分に不利なことをするはずはない」と、
盲信してしまいます。
現実には存在していない、
捏造された数字を、
平気で提示して、
何も知らない患者さんに対して、
残忍な儀式を執行すれば、
それは、紛れもなく似非治療であり、
犯罪です。
エビデンスがない治療が、
似非治療という前に、
真実のエビデンスを患者さんの目から遠ざけている、
自らの襟を正したほうが良いと思いますが、
標準教の狂気には、
そんなことは通じないようです。
一種の狂気政策を、
強引に推し進める独裁者には気が付かないようです。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
「未承認治療」、
「免疫細胞療法」、
その他「標準」以外の治療は、
すべて排除しようと、
呆れるほど躍起になっている腫瘍内科医が、
いまだに日本には生息しています。
日本の腫瘍内科というお仕事は、
本当にヒマなようです。
病名と身長と体重さえ分かれば、
あとはすべてパソコン任せで済み、
医者としての働く必要はなく、
時間が有り余っているのでしょう。
羨ましい限りです。
下衆の勘ぐりをすれば、
「標準」により莫大な利益を得ている製薬会社が、
絡んでいるのかも知れません。
そんな似非治療は日本だけとも叫んでいるそうです。
しかし、標準教の教祖が溺愛するアメリカは、
がんに対するサプリメント大国である現実は、
あまり知られていません。
あまりにも高額な、
現在の抗がん剤など、
貧しい国民は使うことを許されません。
エビデンスは医学の進歩のためには、
非常に重要です。
たかだか四半世紀・25年前には、
固形がんに対して、
延命効果すら認められなかった抗がん剤に、
僅かながら延命効果があるかも知れないと、
分かったのは、
エビデンスの積み重ねのおかげです。
実際に、肺小細胞がん、
卵巣がん、大腸がんなどでは、
延命効果は、
あるように感じます。
もちろんQALYの観点からみて、
その治療がトクかソンかは、
医療者が判断するモノではなく、
患者さん独自の価値観で決めることです。
すでに亡くなった多くの患者さんから得られたデータと言えども、
エビデンスは患者さんにとっても、
その治療(儀式?)を受ける場合に、
ご自身の予後を知る、
一つの指標になることは事実です。
しかし、それは、
その儀式を執行しようとする主治医が、
そのエビデンスとしての数字を、
嘘偽りなく、正確に、
患者さんに開示した場合だけであり、
それはほとんど行われていないのが現実です。
多くの患者さんは、
大きな病院のセンセイというだけで、
完全に信用してしまいます。
少なくとも、
がんと云う病名をはじめて聞く患者さんにとっては、
「大病院が、自分に不利なことをするはずはない」と、
盲信してしまいます。
現実には存在していない、
捏造された数字を、
平気で提示して、
何も知らない患者さんに対して、
残忍な儀式を執行すれば、
それは、紛れもなく似非治療であり、
犯罪です。
エビデンスがない治療が、
似非治療という前に、
真実のエビデンスを患者さんの目から遠ざけている、
自らの襟を正したほうが良いと思いますが、
標準教の狂気には、
そんなことは通じないようです。
一種の狂気政策を、
強引に推し進める独裁者には気が付かないようです。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。