治ることは、
すでに期待できないがんに対して、
標準的に大量の抗がん剤を、
生身の身体に注入する儀式では、
それで大きな利益を得る人間がいることは事実ですが、
それを受ける患者さんでは、
確実に低下するQOLと経済的損失と、
得られるかも知れない延命時間、
「自覚症状の緩和」を天秤にかけた場合、
その計りはどちらに傾くでしょうか。
多くの場合、
患者さんの期待と反対側に、
傾いたまま、
すべては終わるように感じます。
もちろん、患者さんの望む方向に傾いたまま、
僅かな時間だけを稼げたという患者さんもいると思います。
QOLの低下を来す副作用という被害が少なければ、
標準儀式だって、
ありがたい存在にもなり得ます。
現在では、治らない肺がんに対するキートルーダなどでは、
経済的損失、
国の社会保障費用へのダメージなどを無視すれば、
個々の患者さんにとっては、
ありがたい存在になる可能性は多分にあります。
しかし、細胞毒とよばれる抗がん剤では、
QOL低下の観点から、
大きな疑問があります。
そんななか、
治療経過をみて、
患者さんの話しを訊くと、
副作用はあまり感じることなく、
がんの存在に依る辛い自覚症状は緩和されている、
というかたも、
時々みます。
それでも減量を闇雲に望まれます。
抗がん剤の量を減らす、
最大の目的は、
副作用を軽減することです。
治らないがんに対する、
抗がん剤の最大の目的は、
自覚症状の緩和です。
その目的が果たされているなら、
必ずしも、
急いで毒の減量を考える必要はありません。
通常、最大耐用量の抗がん剤の注入を続ければ、
その患者さんの生命を長く維持することは難しいのが現実です。
しかし、がんの縮小が確認されて、
がんの存在に依る自覚症状が改善されるのであれば、
抗がん剤の大きな役目は果たしています。
その時点での、
慌てて減量する必要ないと考えます。
まして、それが許される環境が少ない日本では。
もちろん、そのような患者さんは、
多くはありませんから、
抗がん剤は、
副作用が容認できる範囲内の量で、
効果の有無を確認して、
効果が認められれば、
その治療を継続するほうが、
一般的には、
長く人生を楽しむことはできます。
しかし、標準でも、
副作用は容認可能な範囲で、
治らないとはいえ、
一時的にがんにも有効であるという、
患者さんも存在していることは事実です。
治らないがんに対しては、
「標準」も「イワシのアタマ」でも、
「儀式」にも「治療」にもなり得ます。
先ず、効果と、
それに伴う被害とを冷静に見つめる必要があります。
標準だって、
すべての患者さんにとって、
害悪ばかりではありません。
患者さんのお住まいの地域の医療環境に逆らって、
がん治療を行うのは、
難しい場合も少なくありません。
どこで妥協するのか、
元気なうちに考えておく必要があります。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
すでに期待できないがんに対して、
標準的に大量の抗がん剤を、
生身の身体に注入する儀式では、
それで大きな利益を得る人間がいることは事実ですが、
それを受ける患者さんでは、
確実に低下するQOLと経済的損失と、
得られるかも知れない延命時間、
「自覚症状の緩和」を天秤にかけた場合、
その計りはどちらに傾くでしょうか。
多くの場合、
患者さんの期待と反対側に、
傾いたまま、
すべては終わるように感じます。
もちろん、患者さんの望む方向に傾いたまま、
僅かな時間だけを稼げたという患者さんもいると思います。
QOLの低下を来す副作用という被害が少なければ、
標準儀式だって、
ありがたい存在にもなり得ます。
現在では、治らない肺がんに対するキートルーダなどでは、
経済的損失、
国の社会保障費用へのダメージなどを無視すれば、
個々の患者さんにとっては、
ありがたい存在になる可能性は多分にあります。
しかし、細胞毒とよばれる抗がん剤では、
QOL低下の観点から、
大きな疑問があります。
そんななか、
治療経過をみて、
患者さんの話しを訊くと、
副作用はあまり感じることなく、
がんの存在に依る辛い自覚症状は緩和されている、
というかたも、
時々みます。
それでも減量を闇雲に望まれます。
抗がん剤の量を減らす、
最大の目的は、
副作用を軽減することです。
治らないがんに対する、
抗がん剤の最大の目的は、
自覚症状の緩和です。
その目的が果たされているなら、
必ずしも、
急いで毒の減量を考える必要はありません。
通常、最大耐用量の抗がん剤の注入を続ければ、
その患者さんの生命を長く維持することは難しいのが現実です。
しかし、がんの縮小が確認されて、
がんの存在に依る自覚症状が改善されるのであれば、
抗がん剤の大きな役目は果たしています。
その時点での、
慌てて減量する必要ないと考えます。
まして、それが許される環境が少ない日本では。
もちろん、そのような患者さんは、
多くはありませんから、
抗がん剤は、
副作用が容認できる範囲内の量で、
効果の有無を確認して、
効果が認められれば、
その治療を継続するほうが、
一般的には、
長く人生を楽しむことはできます。
しかし、標準でも、
副作用は容認可能な範囲で、
治らないとはいえ、
一時的にがんにも有効であるという、
患者さんも存在していることは事実です。
治らないがんに対しては、
「標準」も「イワシのアタマ」でも、
「儀式」にも「治療」にもなり得ます。
先ず、効果と、
それに伴う被害とを冷静に見つめる必要があります。
標準だって、
すべての患者さんにとって、
害悪ばかりではありません。
患者さんのお住まいの地域の医療環境に逆らって、
がん治療を行うのは、
難しい場合も少なくありません。
どこで妥協するのか、
元気なうちに考えておく必要があります。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。