「抗癌剤治療で副作用に悩む患者さんの気持ちが良く分かりました。」
健康で思いっきり酒を飲んで二日酔いの苦しさと、抗癌剤治療で副作用に悩む患者さんと同レベルなのでしょうか?
先生が本当にそういう気持ちで患者さんに接しているとするならば、絶対におかしいと思います。
ご自身でも一回抗癌剤を投与されてみて、副作用というものを実際に体験してみて下さい。そして二日酔いとの苦しさとご自身で比べてから体験談としてコメントしたらいかがでしょうか?
同じように、不愉快な思いをさせてしまった方も少なくないかも知れません。
その点は、お詫びいたします。
二日酔いを抗癌剤治療の副作用に例えたのは、
一見不謹慎のように思えるかもしれません。
しかし、このコメントの考え方には同意はできません。
たしかに、二日酔いはまったくの自己責任です。
好き勝手なことをした結果です。自分の不注意です。
しかし、その結果の吐き気、全身倦怠感は
抗癌剤治療の副作用により発現する症状とほとんど同一のはずです。
勿論、実際の抗癌剤治療では、
患者さんの精神的な苦痛も大きく、
実際のそれとは比較にならないでしょう。
しかし、私は健常者です。
現実のそれを体験することは不可能です。
私が抗癌剤治療を行っている患者さんでは、
食事ができないレベルの副作用を感じるのであれば、
その薬剤・量では二度と使いませんので、
その副作用を引きずる患者さんはいません。
そのレベルの副作用を感じる治療を何時までも続けることは、
私は正しい治療だとは考えていません。
「ガンと戦うな」という考え方の方が正しいと思います。
しかし、それはその人それぞれの人生観・価値観ですら
どちらが正しいとは一概には言えません。
医師という職業では、
多くの場合、自分は病気はではなく健康体なのに、
病気に苦しむ人間の治療を行わなければなりません。
したがって、残念ながら、
病気の苦痛、およびその治療に伴う副作用について、
自分自身では味わうことはありません。
特にガンという病気の場合、
その治療における副作用により死に至ることもあります。
私は外科医です。
今日まで、手術に関連する死亡事故(?)には何回か遭遇してきました。
「そこまで取らなければ、術死することはなかったのに」
と思われるケースは大学で幾多も見ました。
その手術をしなければ、いずれはガンで死亡したでしょうが、
それほど早く命を落とすことはなかったはずです。
抗癌剤治療でも、
重篤な副作用に襲われ瀕死の状態に陥られた患者さんは何人も診てきました。
幸いその副作用で亡くなられた患者さんはまだ見ていませんが、
ガン治療は常に死と隣り合わせです。
それを、患者さんと同じように
治療の辛さを味わえというのはあまりにも無理があります。
不注意で怪我をして、
それに対して、縫合処置を受けたとき、
手術による皮膚縫合の実際を感じます。
健康な医者にはその程度の痛みしか分からないのが実際です。
死をかけて治療を行うのは、
誰のためでしょうか。
私は、まだ抗癌剤治療は必要ありません。
いずれそのうち必要になるときは来るとは思いますが、
今は不要です。
まだ病気でないときに、わざわざ抗癌剤を使って、
その辛さを体験する必要はないと考えます。
患者さんとしては、それは言うべきではないと思います。
健康な人間に罪はありません。
抗癌剤治療が必要なのは、
ご本人のためであり、
他人様のためではありません。
辛くても、「その治療と引き換えに得るものがある」
と考えるからそれを行うはずです。
コメントを下さった方が、
ガン患者さんなのか、ご家族なのかは不明ですが、
他人のために辛いガン治療をしているのでしょうか。
健常な人間としては、
不覚にも味わってしまった二日酔いという苦痛に、
患者さんの辛い抗癌剤治療の副作用を重ね合わせて思いを巡らせることは
けっして間違った思考過程だとは考えていません。
そのような機会でもないと、
抗癌剤治療の副作用の辛さを健常人では感じることはできないのです。
もし、医者が抗癌剤を試して、
二日酔いの方が、抗癌剤の副作用より辛かったならば、
どうすれば良いのでしょうか。
「二日酔いだって辛いのだから、我慢しろ!」
と、患者さんに言うのでしょうか。
私は、身体障害者に対して、
その方たちを見るたびにお気の毒だとは思います。
特に、目の見えない全盲の方が、街を歩いていると、
よほど急ぎの用事がない限り、
必ず、自分の肘か肩を提供します。
しかし、盲人に対して同情はしません。
それは、神様がその人に与えた試練であり、
幸いにも、私は、その試練は受けていない。
それだけのことだからです。
自分自身で、モノが見えない生活をしようとは考えません。
ガンの患者さんをたくさん診ています。
極力患者さんの立場に立って親身に考えるようにはしていますが、
患者さんに対して同情はしません。
それは、失礼なことだと考えています。
また同情しても誰も救われることはありません。
残酷な言い方かも知れませんが、
ガンになってしまったのは誰が悪いのでもありません。
患者さんご自身も悪くは無いでしょう。
神様が決めてしまったことです。
しかし、結果としてご自身の身体にガンが発症してしまったからには、
それはすべて自己責任で最善の道を探らなければなりません。
コメントをお寄せくださった方は、
“被害者意識”があまりにも大きすぎるように感じます。
その意識が強すぎると、
昨日書いた、死に至る副作用もある新しいクスリの恩恵に与ることも不可能になります。
「ガンで死ぬことは許されるけれども、
医者という他人が処方する抗癌剤の副作用で死ぬことは許せない。」
という日本人独特の思想に通じるように思います。
健常人の自己の不覚による二日酔いであろうが、
神様がガン患者さんに与えし抗癌剤治療の副作用であろうが、
辛い思いには変わりはありません。
同時に、私には、副作用死とガン死に差があるとは思えません。
長生きするために使ったクスリで寿命を縮めてしまった。
それは、お気の毒なことではありますが、
誰の責任でもありません。
そのようなリスクのある治療をしなければならなかった
患者さんご自身の責任のはずです。
本来、神様の責任でしょうけれども、
神様は責任をお取りになりません。
被害者意識が先行してしまうと、
誰も責任は取ってはくれませんから、
大きなチャンスが逃げていってしまいます。
自己責任の重さ、その意味をもう一度お考えください。
自己責任の無い所に、
望まれる治療はありません。
「バカな人間の二日酔いと、真剣な患者さんの抗癌剤治療の副作用」
一見不謹慎とも思われるかも知れませんが、
私は、以上のような理由から間違った比喩だとは思っていません。
まして、自分で抗癌剤を使ってその苦痛を味わうような
馬鹿げたことはするべきではないと考えます。
以上 文責 梅澤 充



