お盆はとっくに終わっていますが、
今年のお盆期間中は、
腰痛に苦しむと同時に、
日本人として、
すでに亡くなった親しい人間が、
現世に戻って来る、
そして、その魂をお迎えして、
数日後には、再度お送りするという、
生と死に対する考え方、作法について、
イロイロと考えていました。
現在、我が家にはおバカなネコが二つ居候していますが、
年長の15歳になる又吉(マタキチ)は老衰で、
長くは生きていないであろうという状態に至っています。
7月には、
「ついに死ぬ時が来たか」
「早く穴を掘らねば」
と思うほど、
重篤な全身状態でした。
彼は、生まれた直後に拾われてきました。
目も開いていない状態で、
市販の猫ミルクなどを与えて大きくなってしまいました。
一時期は、大きな地震がある直前に、
その異変の前兆を、
ご主人様に知らせに来たりした不思議なネコでした。
もう、そんな魔力みたいな偶然のチカラもありません。
冷蔵庫の上まで飛び上がっていた活力も、
徐々に衰え、
テーブルに上るのがやっとになり、
ついには、椅子にも登れなくなって、
1年以上前から、
歩くのもヨチヨチ状態です。
でもエサだけはシッカリ食べ、
出すものは出していますので、
まだ、すぐに逝くことはないと思いますが、
長くはないと感じます。
15年のネコのいのちは、
短くはないそうです。
「標準的」な老衰です。
現在、毎日顔を見る親しい生物で、
死に一番近いのは、
おそらく又吉です。
彼の身体にガンが存在している事実は、
ずいぶんと前に見つけましたが、
無理矢理、大嫌いな動物病院に連れて行って切除手術をするよりは、
痛みは無さそうなので、
放置してあります。
抗癌剤など絶対に使いません。
そのガンは少し大きくなっていますが、
いのちを脅かす存在ではないようで、
幸いなことに、老衰が彼を迎えに来てくれるようです。
しかし、人間も含めて生き物の寿命など、
死を前提とした大量の抗癌剤でも使わないかぎり、
誰にも分かりません。
彼の老衰を観ていると、
人生の縮図のようにも感じます。
彼は何処から来たのか。
彼も母猫の子宮から生まれてきたはずですが、
その前は何処に居たのか誰も知りません。
生まれる前は無の存在でした。
それがデブ猫にまですくすく育ち、
よく眠り、
狭い家の中を走り回り、
間も無く死んで無に帰していく。
「おそ松」という兄?ネコの脇に葬られますが、
その後は何処に行くのか。
宗教により、
生と死への考え方は、
大きく違います。
私は宗教心の薄い、
「無宗教と云う宗教」の信者である普通の日本人です。
西洋のような唯一神教の信者ではありません。
一つのネコの自然な一生を考えると、
一人の人間と同じように、
何処からともなく現世に生まれてきて、
時間が経てば、
当たり前に無に帰す現実が、
とても自然に感じられます。
でも、ネコのお盆はありませんね。。。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
今年のお盆期間中は、
腰痛に苦しむと同時に、
日本人として、
すでに亡くなった親しい人間が、
現世に戻って来る、
そして、その魂をお迎えして、
数日後には、再度お送りするという、
生と死に対する考え方、作法について、
イロイロと考えていました。
現在、我が家にはおバカなネコが二つ居候していますが、
年長の15歳になる又吉(マタキチ)は老衰で、
長くは生きていないであろうという状態に至っています。
7月には、
「ついに死ぬ時が来たか」
「早く穴を掘らねば」
と思うほど、
重篤な全身状態でした。
彼は、生まれた直後に拾われてきました。
目も開いていない状態で、
市販の猫ミルクなどを与えて大きくなってしまいました。
一時期は、大きな地震がある直前に、
その異変の前兆を、
ご主人様に知らせに来たりした不思議なネコでした。
もう、そんな魔力みたいな偶然のチカラもありません。
冷蔵庫の上まで飛び上がっていた活力も、
徐々に衰え、
テーブルに上るのがやっとになり、
ついには、椅子にも登れなくなって、
1年以上前から、
歩くのもヨチヨチ状態です。
でもエサだけはシッカリ食べ、
出すものは出していますので、
まだ、すぐに逝くことはないと思いますが、
長くはないと感じます。
15年のネコのいのちは、
短くはないそうです。
「標準的」な老衰です。
現在、毎日顔を見る親しい生物で、
死に一番近いのは、
おそらく又吉です。
彼の身体にガンが存在している事実は、
ずいぶんと前に見つけましたが、
無理矢理、大嫌いな動物病院に連れて行って切除手術をするよりは、
痛みは無さそうなので、
放置してあります。
抗癌剤など絶対に使いません。
そのガンは少し大きくなっていますが、
いのちを脅かす存在ではないようで、
幸いなことに、老衰が彼を迎えに来てくれるようです。
しかし、人間も含めて生き物の寿命など、
死を前提とした大量の抗癌剤でも使わないかぎり、
誰にも分かりません。
彼の老衰を観ていると、
人生の縮図のようにも感じます。
彼は何処から来たのか。
彼も母猫の子宮から生まれてきたはずですが、
その前は何処に居たのか誰も知りません。
生まれる前は無の存在でした。
それがデブ猫にまですくすく育ち、
よく眠り、
狭い家の中を走り回り、
間も無く死んで無に帰していく。
「おそ松」という兄?ネコの脇に葬られますが、
その後は何処に行くのか。
宗教により、
生と死への考え方は、
大きく違います。
私は宗教心の薄い、
「無宗教と云う宗教」の信者である普通の日本人です。
西洋のような唯一神教の信者ではありません。
一つのネコの自然な一生を考えると、
一人の人間と同じように、
何処からともなく現世に生まれてきて、
時間が経てば、
当たり前に無に帰す現実が、
とても自然に感じられます。
でも、ネコのお盆はありませんね。。。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。