「治ることまでは難しい」と、
患者さんの気持ちを汲み取り?
「優しく表現」される、
治ることは起こり得ないガンに対して、
日本では「標準的抗癌剤治療」が広がってしまっています。
それが、とても残忍な「儀式」であることは、
毎日それを執行している医療者が、
一番良く知っています。
もちろん治ることははじめから想定外であり、
そのようなラッキーな患者さんは、
存在しません。
その治療・儀式を開始した患者さんの半分は、
「確実に○ヶ月以内に亡くなる」
それがエビデンスです。
もちろん、裏を返せば、
「半分の患者さんは〇ヶ月を超えて生きていることが叶う」
というエビデンスです。
情報が溢れている現在の日本では、
「治ることがない」という現実は、
少しずつ閻魔様も認めざるを得なくなってきて、
「治ることまでは難しい」という、
人を馬鹿にしたような言葉も、
少なくなりつつあるようです。
それはイイことですが、
残忍な拷問のような儀式への誘い込みは、
薬剤費用の高騰に合わせるかのように、
治まる気配はありません。
治らないことが分かっているならば、
身体にもお財布にも優しく、
長く輝くいのちの時間を楽しんだほうが、
人生得策だと感じます。
標準が必ずしも受けるべき治療ではないとは考えません。
ごく希には、
軽微な副作用で延命が叶う患者さんも存在していることは事実です。
日本人は「みんなと同じ」が大好きです。
それを曲げて、
他の患者さんと違う道を歩むことには、
ためらい、迷いも大いにあると思います。
なかなか、踏ん切りがつかないのが「普通」だと思います。
決心がつかないのであれば、
迷っている時間を無駄にしないで、
先ずは、時間の目を使うことです。
短い期間での経過観察を行い、
敵が牙を剥いている状態が判明すれば、
一回だけは「お試し」も悪くないと感じます。
そして、その一回目が効果があるのか否かを、
二回目に突入する前に確認して、
同時に副作用が容認可能であるのか、
最期までその儀式の継続が可能であるか否かを、
ご自身の身体に訊いて、
「有効」かつ「容認可能」と判断されれば、
それを継続することは、
けっして間違いだとは思いません。
「一回や二回では分からない」が口癖の閻魔様ですが、
彼らは、観たことがない現実は、
すべて「分からない」、「効かない」の一言で、
一蹴してしまいます。
しかし、あれだけ大量に注入する薬剤では、
確実に1回(1クール)で、
その効果の有無は客観的に判定できます。
オプジーボのように、
はじめ効果が無くても、
後から、それが確認されるという薬剤もありますが、
少なくとも大量の細胞毒では、
それはありません。
効かない細胞毒は、
寿命もQOLも大きく落とすことは、
閻魔様も認めるエビデンスです。
検査をしない理由は、
何回か書いていますが、
細胞毒の効果は、
「一回だけでも十分に分かります」
泥沼に嵌って、
抜けられなくなる前に、
慎重に考えたほうが無難です。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
患者さんの気持ちを汲み取り?
「優しく表現」される、
治ることは起こり得ないガンに対して、
日本では「標準的抗癌剤治療」が広がってしまっています。
それが、とても残忍な「儀式」であることは、
毎日それを執行している医療者が、
一番良く知っています。
もちろん治ることははじめから想定外であり、
そのようなラッキーな患者さんは、
存在しません。
その治療・儀式を開始した患者さんの半分は、
「確実に○ヶ月以内に亡くなる」
それがエビデンスです。
もちろん、裏を返せば、
「半分の患者さんは〇ヶ月を超えて生きていることが叶う」
というエビデンスです。
情報が溢れている現在の日本では、
「治ることがない」という現実は、
少しずつ閻魔様も認めざるを得なくなってきて、
「治ることまでは難しい」という、
人を馬鹿にしたような言葉も、
少なくなりつつあるようです。
それはイイことですが、
残忍な拷問のような儀式への誘い込みは、
薬剤費用の高騰に合わせるかのように、
治まる気配はありません。
治らないことが分かっているならば、
身体にもお財布にも優しく、
長く輝くいのちの時間を楽しんだほうが、
人生得策だと感じます。
標準が必ずしも受けるべき治療ではないとは考えません。
ごく希には、
軽微な副作用で延命が叶う患者さんも存在していることは事実です。
日本人は「みんなと同じ」が大好きです。
それを曲げて、
他の患者さんと違う道を歩むことには、
ためらい、迷いも大いにあると思います。
なかなか、踏ん切りがつかないのが「普通」だと思います。
決心がつかないのであれば、
迷っている時間を無駄にしないで、
先ずは、時間の目を使うことです。
短い期間での経過観察を行い、
敵が牙を剥いている状態が判明すれば、
一回だけは「お試し」も悪くないと感じます。
そして、その一回目が効果があるのか否かを、
二回目に突入する前に確認して、
同時に副作用が容認可能であるのか、
最期までその儀式の継続が可能であるか否かを、
ご自身の身体に訊いて、
「有効」かつ「容認可能」と判断されれば、
それを継続することは、
けっして間違いだとは思いません。
「一回や二回では分からない」が口癖の閻魔様ですが、
彼らは、観たことがない現実は、
すべて「分からない」、「効かない」の一言で、
一蹴してしまいます。
しかし、あれだけ大量に注入する薬剤では、
確実に1回(1クール)で、
その効果の有無は客観的に判定できます。
オプジーボのように、
はじめ効果が無くても、
後から、それが確認されるという薬剤もありますが、
少なくとも大量の細胞毒では、
それはありません。
効かない細胞毒は、
寿命もQOLも大きく落とすことは、
閻魔様も認めるエビデンスです。
検査をしない理由は、
何回か書いていますが、
細胞毒の効果は、
「一回だけでも十分に分かります」
泥沼に嵌って、
抜けられなくなる前に、
慎重に考えたほうが無難です。
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。