治ることはないという現実を、
医療者なら誰でも認める状態の、
「末期ガン」を宿した患者さんに対する治療では、
患者さんの平穏な日常を奪うことは許されないはずです。
その点、
抗癌剤の注入儀式に対して、
「絶対に入院は許さない」と訴えている、
ごく一部の腫瘍内科医の姿勢は、
患者さんを入院で拘束することはなく、
一見、理に叶っているようにも感じます。
しかし、
「標準的」に最大耐用量の毒薬を注入して、
「ハイ、サヨナラ。
副作用は自宅で。」は、
如何なモノでしょうか。
医療者の間では、
相当に経営状況が悪化していると噂され、
実際に都心の一等地に在った附属病院を売却しているような、
大学病院の閻魔様が中心のご意見ですから、
入院で抗癌剤を使うと、
病院の経営には大きな不利なるという、
キツイ現実を観ての発言であるように感じます。
それはともかく、
治らない病ですから、
治療を受ける患者さんは、
その治療で苦痛を感じるのであれば、
それは治療ではありません。
治ることはないガンと、
終生、同居を続けることが可能な、
身体的な副作用と、
経済的な負担が、
十分に容認できる治療でなければならないと考えます。
治らないのですから、
継続可能な治療でなければなりません。
回数、限定で、
「元気なうちに」だけしか執行できないような、
「標準」という厳しい拷問は、
治療ではありません。
終生、持続可能な量の抗癌剤をダラダラと使い続ける。
治らないガンへの抗癌剤治療は、
極めて重要な緩和ケアです。
ただし「緩和ケアもガン治療です」という、
腫瘍内科医も居るようですが、
苦痛の緩和だけに徹して、
ガンへの治療は一切おこなわない、
人生最期の「精神修養の場」であるような、
現在の日本の緩和ケアはガン治療ではありません。
厳しい儀式を受けざるを得ない環境に居る、
多くの日本の患者さんでは、
厳しい副作用の緩和のためにも、
餓死を防ぐためにも、
緩和ケアを「併用」することには意義はあります。
同時に、ご自身でも可能な、
精神修養はすぐに開始するべきですが、
「標準」では、
厳しい副作用に襲われ、
それすらできなくなります・・・
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。
医療者なら誰でも認める状態の、
「末期ガン」を宿した患者さんに対する治療では、
患者さんの平穏な日常を奪うことは許されないはずです。
その点、
抗癌剤の注入儀式に対して、
「絶対に入院は許さない」と訴えている、
ごく一部の腫瘍内科医の姿勢は、
患者さんを入院で拘束することはなく、
一見、理に叶っているようにも感じます。
しかし、
「標準的」に最大耐用量の毒薬を注入して、
「ハイ、サヨナラ。
副作用は自宅で。」は、
如何なモノでしょうか。
医療者の間では、
相当に経営状況が悪化していると噂され、
実際に都心の一等地に在った附属病院を売却しているような、
大学病院の閻魔様が中心のご意見ですから、
入院で抗癌剤を使うと、
病院の経営には大きな不利なるという、
キツイ現実を観ての発言であるように感じます。
それはともかく、
治らない病ですから、
治療を受ける患者さんは、
その治療で苦痛を感じるのであれば、
それは治療ではありません。
治ることはないガンと、
終生、同居を続けることが可能な、
身体的な副作用と、
経済的な負担が、
十分に容認できる治療でなければならないと考えます。
治らないのですから、
継続可能な治療でなければなりません。
回数、限定で、
「元気なうちに」だけしか執行できないような、
「標準」という厳しい拷問は、
治療ではありません。
終生、持続可能な量の抗癌剤をダラダラと使い続ける。
治らないガンへの抗癌剤治療は、
極めて重要な緩和ケアです。
ただし「緩和ケアもガン治療です」という、
腫瘍内科医も居るようですが、
苦痛の緩和だけに徹して、
ガンへの治療は一切おこなわない、
人生最期の「精神修養の場」であるような、
現在の日本の緩和ケアはガン治療ではありません。
厳しい儀式を受けざるを得ない環境に居る、
多くの日本の患者さんでは、
厳しい副作用の緩和のためにも、
餓死を防ぐためにも、
緩和ケアを「併用」することには意義はあります。
同時に、ご自身でも可能な、
精神修養はすぐに開始するべきですが、
「標準」では、
厳しい副作用に襲われ、
それすらできなくなります・・・
以上 文責 梅澤 充
著者に許可無く当ブログの文章をインターネットその他に転記・転載することは堅く禁じます。