たくさんのコメントをいただきました。
表のコメントですので読まれた方も多いと思いますが、
私が何時も思っていることもたくさん書かれていますので、
一部抜粋して再掲します。
人の体質、体格、既往歴、現病歴、性別、身長、体重、年齢、お薬などの感受性を考えると一人として同じ人はいないと思います。そして更に癌だって癌自体の大きさ、形、深達度、組織型、転移の有無と形などを考えると一人として‘同じ’癌はないと思います。それなのに何故、病名でお薬の種類、量が「皆同じ」に決められてしまうのでしょう。鎮痛剤をはじめ、他の疾患や薬については標準の投与量があり、それに症状によっては適宜増減但し最大使用量は○○までとあり、医師はお薬の利き方や副作用の出方を診てお薬の種類、組み合わせ、量を考えていくと思いますが、どうして「癌」にかぎってはそれが認められないのでしょう。どうしても不思議です。
血圧のクスリだって、その患者さんの血圧に合わせて量を決めていきます。
「チョット下がり過ぎだから、少なくしましょうね」と、
咳止めも「咳が辛かったら飲んでくださいね」です。
ところが、抗癌剤だけは、
体重○○kg、身長○○cm、
それがすべてです。
それだけですべて決まってしまいます。
不思議ですね。
死を寛容に受け入れられる人なんてどれだけいるでしょうか・・
緩和ケアでどれほどの精神修養をされたとしても、生きたい!そう願い慟哭しながら
心の地獄を生きなければならない!そんな想いで逝った方を何人もみました。
でも、いとも簡単に「もう治療法はありません。緩和ケアで・・」と言う医師が多々いるのでしょうね。
無論その様な事態もあるかとは思います。
でも温もりの無い言い方は、もう治療が無いという現実と同じ位傷つくものでは無いかと思います。
私も抗癌剤を投与する前は、抗癌剤はパーフェクトな治療、しかしながら、のた打ち回る副作用を伴う・・そう思っていました。
さにあらず、完治する治療でもない
代わりに、普通の生活もできる治療でした。様々な意味で自身も勉強しなければいけませんね。
しかし、医者が散々虐められている現在の日本を見ていると、
禁句を簡単に発する医者の気持ちも判らないではありません。
何回も言っていることですが、
患者さんの自己責任の無さが招いている事態とも考えられます。
患者さんを励ますつもりで
「まだまだ治療方法はありますよ」などと言って、
何もできずに亡くなられたときに、
「治療方法はあるといったのに実行しなかった」
と訴えられる時代ですから、
禁句は医者の保身のための武器なのかも知れません。
攻めれば攻められます。
抗癌剤治療の現実をシッカリと理解してください。
お医者さんであるのに(しかもがんセンターの!)心無い言葉を投げかけるなんて、医者失格です。
患者さんの病気を治すためにお医者がいると思っていたのですが…。
前述のとおり、患者さんとして、
適格と思われない方も少なくありませんよ。
自己責任だけはシッカリと持っていることを示してください。
それだけでも医者の態度は変わると思います。
こんにちわ。私は、その●●がんセンターに見捨てられた者です。いわゆる癌難民の皆さん、同じ目に会ってるんでしょうね。緩和治療という名の『座して死を待たせる医療』に。姥捨て山のようです。
これは、いわゆるガイドラインや保険制度が、無駄(と定義されてしまった)治療は一切行うな…という方向性で書かれているからでしょうか。これは、患者側から見れば、『見殺し』『切捨て』じゃないですか?。
たしかに、エビデンス(科学的根拠でよいのでしょうか?)とやらは大事なんでしょう。将来的に整備していく必要はあるんだと思います。サジ加減なんだか、イイ加減なんだかわからない治療もあるのでしょうから。
しかし、これから整備しようとしている段階(既存の治療法のうち3割程度しかエビデンスがないらしい?)で、医師のいわゆる「さじ加減」を否定したら、過渡期においては、従来より医療の質が後退しかねないんじゃないでしょうか?。アナログなオーダーメード治療を、デジタルなオーダーメードではなく、『デジタルなレディーメード』に後退させてしまうわけで、折角その人個人に有効な方法があると経験的にわかっているのに、デジタルなレディーメードに沿わないから何もしない、ってことにならないんでしょうか。デジタルなオーダーメードが可能になるまでの過渡期においては、『アナログなオーダーメード治療』を認めるべきではないでしょうか。
デジタルっていうのは、いわゆるエビデンスを指したつもりです。これがない治療は医療じゃないと。たしかに、個々の治療方法について厳密に考えればそうかもしれません。しかし、エビデンスがとれるまでの間も患者は出続けるわけで、その間、エビデンスがないとの理由で、見殺しにし続けるのでしょうか?。その間だけでも、アナログな経験と感で代替できないのでしょうか?。エビデンスはあくまでも手段(を確実にするためのもの)でしかなく、目的は『人の命を救う』点にあるのですよね。間違っても、『見殺しにする』のが目的ではないですよね?。
昨今の医療費削減が影響しているのでしょうが(コストカット≒可能性の低い者は見殺し)、いわゆる経過措置って方法があるんじゃないでしょうか。既得権益を守るためならいくらでも経過措置を作ってるんだろうに、命については何の躊躇もなく切り捨てるんでしょうか。
目の前のガンに苦しむ患者さんにはあまり意味が無いというだけです。
しかし、いくらエビデンスがあっても、
抗癌剤治療に関するエビデンスは、
何回も書いているとおりに
過去に亡くなっていかれた患者さんのデータです。
そして、すべての患者さんもガンも一人一人すべて違います。
それをたった一つのワクにはめることは不可能です。
吊るしの背広をすべての人に着させるようなものです。
アナログなオーダーメイドは絶対に必要です。
経費を考えても、
2006年2月14日の「製薬会社の社会貢献」で書いた
患者さんの社会への生産性を考えると、
患者さんのQOLを考えたアナログのオーダーメード治療は、
標準治療より結局安上がりに終わるのではないでしょうか。
デジタルなオーダーメード医療の実現ははなかなか難しいように思います。
少なくとも私が生きている時代には無理なように思います。
今日のブログを読んで、思い出しました。
梅澤先生の治療を受ける旨、当時の主治医に説明した時に浴びせられた一言。
「騙されないでね!」
外来の待合室で、すごく大きな声でこの一言を投げつけられました。
●●がんセンターや●●癌研ではありませんでしたが、地元では有名な拠点病院の外科医でした。
なんでもっと優しくなれないのか悲しくなってしまったことを思い出しました。
少なくとも私は、患者さんを騙したことだけは無いつもりですけど・・・
ただし、目を瞑る直前の患者さんで
抗癌剤治療などとても使える状態ではないとき、
点滴のボトルに何もクスリは入れていないのに
「5-FU ○○mg」と患者さんに見えるように書いて、
「治療は止めませんからね」と言ったことは何回かありますけど…
その患者さんのお一人は、
「4歳になる娘の誕生日までは生きていたい。」
と願っていましたが、その1週間前に逝かれました。
今でも、その時の情景は目に焼きついています。
あの時「騙した」ことは、
私が向こうの世界に行ったときには、
笑顔で許してくれると思っています。
向こうに行ったときに会いたい患者さんはたくさんいます。
歓迎してくれると思っています・・・・
ウヌボレですかね・・・・
お彼岸の今日も仕事で、
父親の墓参りにも行けませんでした。
親には怒られそうです・・・・
以上 文責 梅澤 充



