本日は、エビデンスが無い治療は、如何に行われるかについて、
邪推も込めて書きます。
エビデンスがはっきりでている治療については、
先ずその治療を最優先に行なう。
それが、現在の抗癌剤治療の基本的な考えかたです。
エビデンスについては、
1月15日>「ガン医療の現場で使われる言葉 エビデンスEBM(Evidence)」
に書いたとおりです。
しかし、私自身は、今は乳ガンの術後再発予防のための治療以外では、
標準的抗癌剤治療は行なっていませんし、行なうつもりもありません。
それは、再発予防のエビデンスは、その数字どおりに根治の確率が高くなるのですから、
多少辛い思いをしても、そのご褒美が根治ならば、我慢すべきと考えるからです。
しかし、根治不能ガン治療に対する抗癌剤治療のエビデンスは、
けっして患者さんが望む数字ではないと考えています。
患者さんが望む治療だとは、考えられないからです。
勿論、私は、エビデンスについては患者さんに真実を話します。
その上で、根治不能ガンに対して標準的抗癌剤治療を希望した患者さんは、
いまだに見たことがありません。
しかし、「無治療よりは○ヶ月は長生きできる。」
という証拠がある治療ですから、それを敢えて否定することはしません。
そのエビデンスが、
○○ヶ月以内に半数の患者さんが死ぬと判っている治療であっても、
無治療でいれば、その○○はもっと短いのですから。
「標準的抗癌剤治療で辛い思いをしても、○○が1でも2でも長ければイイ。」
「一月でも二月でも長く生きることができるならば辛い治療でも我慢する。」
と考える患者さんには、是非エビデンスどおりの治療をしなければなりません。
人間の価値観は、すべての人で違うはずです。
私の価値観を患者さんに強要するつもりはありません。
しかし、すべての抗癌剤治療でエビデンスがでているわけではありません。
一般的にEBM(エビデンスに基づいた治療)に則り、
抗癌剤治療は、少しでも長く生きることができる可能性(エビデンス)
のある治療から優先的に行なわれます。
長生きとは関係ない奏効率優先で治療法が決められることもあります。
そして、その最初の治療(First Lineファーストラインの治療と言います)が、
無効になってきたら、次の治療(Second Lineセカンドラインの治療)
に移行していきます。
その次は、Third Lineサードラインの治療へと、次々に移っていきます。
First Lineファーストラインの治療には、多くのガンでエビデンスは整っていますが、
Second Lineセカンドライン以下の治療では、エビデンスに乏しくなります。
多くのガン治療の場合、
First Lineの治療が終われば、
すなわち、その治療が無効になれば、
そこから先の治療では、
エビデンスは無くなってしまっています。
First Lineの治療で、エビデンスのとおりに患者さんが亡くなられてしまっていれば、
それ以上の治療は存在しないのですから、問題はありません。
しかし、First Lineの治療が無効になっても、
まだ患者さんに、抗癌剤治療を受ける体力が残っている場合には、
ガン治療の日本で中心的な病院の先生方はどうされるのでしょうか。
ガン治療の中心的な病院の先生方は、エビデンス最重視されておられて、
エビデンスに基づいた治療、すなわちEBM(Evidence Based Medicine)を
行わなければならない。
と念仏のように唱えておられます。
魂の入っていない仏の中で…(1月28日「仏作って魂いれず?」)
さらに、「エビデンスのない治療はするべきではない。」とも言われます。
その時エビデンス・エビデンス・EBM ♪♪とお題目を唱えている病院では、
First Lineファーストラインの治療でエビデンスが尽きてしまったから、
後は、無治療にするのでしょうか。
治療を放棄するのでしょうか。
患者さんを見捨てるのでしょうか。
むしろ、その方が患者さんは幸せかも知れません。
邪推かもしれませんが、
その様な場合は、目の前の患者さんを使って
今後のエビデンスを作ることを考えるのではないでしょうか。
エビデンスのある治療が不可能になった患者さんには、
何か治療を行い、それにエビデンスを見出そうとするのではないでしょうか。
先ず、A法かB法か、抗癌剤治療のスケジュールが決められ、
その、A法またはB法に患者さんを振り分けていくのではないでしょうか。
あるいは、無治療も選択肢の一つに加えられるかもしれません・・・
その時は、すべての患者さんで、A法またはB法に従い厳密に治療方法を
統一しなければなりません。
それまで生きてきた社会環境も、思考も、宗教も、家族環境もまったく違う患者さんが、
A法ならA法の均一スケジュールに厳密に従うことになります。
「この患者さんはチョット体調が悪そうだから、抗癌剤の量を少し減らそう」
などとの感情は厳禁です。
エビデンスを作るためには、個々の患者さんの人格は無視しなければなりません。
個人個人まったく違う人格を持った患者さんに合わせて治療をしてしまったならば、
その結果はエビデンスではなくなってしまいます。
そして、一般には、
A方面行きの列車に乗ったらそのまま終着駅まで連れて行かれます。
B方面行きの列車でも同様です。
普通は、乗り換えは許されません。
これが一般的にエビデンスが出来上がっていく過程です。
エビデンスに沿った治療の実態については、もう少し書きたいことがあるのですが、
本日は、少々長くなりすぎてしまいますので。
明日その実例を書きます。
以上 文責 梅澤 充
邪推も込めて書きます。
エビデンスがはっきりでている治療については、
先ずその治療を最優先に行なう。
それが、現在の抗癌剤治療の基本的な考えかたです。
エビデンスについては、
1月15日>「ガン医療の現場で使われる言葉 エビデンスEBM(Evidence)」
に書いたとおりです。
しかし、私自身は、今は乳ガンの術後再発予防のための治療以外では、
標準的抗癌剤治療は行なっていませんし、行なうつもりもありません。
それは、再発予防のエビデンスは、その数字どおりに根治の確率が高くなるのですから、
多少辛い思いをしても、そのご褒美が根治ならば、我慢すべきと考えるからです。
しかし、根治不能ガン治療に対する抗癌剤治療のエビデンスは、
けっして患者さんが望む数字ではないと考えています。
患者さんが望む治療だとは、考えられないからです。
勿論、私は、エビデンスについては患者さんに真実を話します。
その上で、根治不能ガンに対して標準的抗癌剤治療を希望した患者さんは、
いまだに見たことがありません。
しかし、「無治療よりは○ヶ月は長生きできる。」
という証拠がある治療ですから、それを敢えて否定することはしません。
そのエビデンスが、
○○ヶ月以内に半数の患者さんが死ぬと判っている治療であっても、
無治療でいれば、その○○はもっと短いのですから。
「標準的抗癌剤治療で辛い思いをしても、○○が1でも2でも長ければイイ。」
「一月でも二月でも長く生きることができるならば辛い治療でも我慢する。」
と考える患者さんには、是非エビデンスどおりの治療をしなければなりません。
人間の価値観は、すべての人で違うはずです。
私の価値観を患者さんに強要するつもりはありません。
しかし、すべての抗癌剤治療でエビデンスがでているわけではありません。
一般的にEBM(エビデンスに基づいた治療)に則り、
抗癌剤治療は、少しでも長く生きることができる可能性(エビデンス)
のある治療から優先的に行なわれます。
長生きとは関係ない奏効率優先で治療法が決められることもあります。
そして、その最初の治療(First Lineファーストラインの治療と言います)が、
無効になってきたら、次の治療(Second Lineセカンドラインの治療)
に移行していきます。
その次は、Third Lineサードラインの治療へと、次々に移っていきます。
First Lineファーストラインの治療には、多くのガンでエビデンスは整っていますが、
Second Lineセカンドライン以下の治療では、エビデンスに乏しくなります。
多くのガン治療の場合、
First Lineの治療が終われば、
すなわち、その治療が無効になれば、
そこから先の治療では、
エビデンスは無くなってしまっています。
First Lineの治療で、エビデンスのとおりに患者さんが亡くなられてしまっていれば、
それ以上の治療は存在しないのですから、問題はありません。
しかし、First Lineの治療が無効になっても、
まだ患者さんに、抗癌剤治療を受ける体力が残っている場合には、
ガン治療の日本で中心的な病院の先生方はどうされるのでしょうか。
ガン治療の中心的な病院の先生方は、エビデンス最重視されておられて、
エビデンスに基づいた治療、すなわちEBM(Evidence Based Medicine)を
行わなければならない。
と念仏のように唱えておられます。
魂の入っていない仏の中で…(1月28日「仏作って魂いれず?」)
さらに、「エビデンスのない治療はするべきではない。」とも言われます。
その時エビデンス・エビデンス・EBM ♪♪とお題目を唱えている病院では、
First Lineファーストラインの治療でエビデンスが尽きてしまったから、
後は、無治療にするのでしょうか。
治療を放棄するのでしょうか。
患者さんを見捨てるのでしょうか。
むしろ、その方が患者さんは幸せかも知れません。
邪推かもしれませんが、
その様な場合は、目の前の患者さんを使って
今後のエビデンスを作ることを考えるのではないでしょうか。
エビデンスのある治療が不可能になった患者さんには、
何か治療を行い、それにエビデンスを見出そうとするのではないでしょうか。
先ず、A法かB法か、抗癌剤治療のスケジュールが決められ、
その、A法またはB法に患者さんを振り分けていくのではないでしょうか。
あるいは、無治療も選択肢の一つに加えられるかもしれません・・・
その時は、すべての患者さんで、A法またはB法に従い厳密に治療方法を
統一しなければなりません。
それまで生きてきた社会環境も、思考も、宗教も、家族環境もまったく違う患者さんが、
A法ならA法の均一スケジュールに厳密に従うことになります。
「この患者さんはチョット体調が悪そうだから、抗癌剤の量を少し減らそう」
などとの感情は厳禁です。
エビデンスを作るためには、個々の患者さんの人格は無視しなければなりません。
個人個人まったく違う人格を持った患者さんに合わせて治療をしてしまったならば、
その結果はエビデンスではなくなってしまいます。
そして、一般には、
A方面行きの列車に乗ったらそのまま終着駅まで連れて行かれます。
B方面行きの列車でも同様です。
普通は、乗り換えは許されません。
これが一般的にエビデンスが出来上がっていく過程です。
エビデンスに沿った治療の実態については、もう少し書きたいことがあるのですが、
本日は、少々長くなりすぎてしまいますので。
明日その実例を書きます。
以上 文責 梅澤 充