2月9日の「美しい国日本?」で、チョット書いたことが、現実に近づいたような、
興味深いニュースを目にしました。
毎日新聞社の配信です。
掲載します。
もし、ある医療行為の不手際が原因で、
患者さんにとって最悪の結果に終わった場合、
それに対して、ご家族が医者ないし病院を提訴しても、
得られるものは何も無いと思うからです。
いくばくかの賠償をもらっても、
ご家族の憎しみが増幅されるだけのような気がします。
かといって“泣き寝入り”もお気の毒ですから、
そのような問題が起きないことを祈るだけです。
あるいは、ミスがあれば真っ先に気付くのは病院ですから、
訴訟の前に、真実を開示して、
ご家族に十分に事情を説明して、
納得いく和解をすることが必要だと思います。
しかし、最近頻発している、
当然の確率で起こる単なる合併症に対して
医療過誤であるかのように医者、病院を訴え、
それを応援するマスコミの姿勢には腹が立ちます。
その現在の日本の風潮は、深刻な医者不足の一因にもなっています。
しかし、この訴訟のニュースは、
チョット胸の空く思いがします。
この訴訟には誤診も絡んでいますので、
私が言いたいこととはチョット外れていますが、
今まで見たことが無い
「死の宣告」が間違っていたがための提訴ですのでとても注目されます。
今診ている患者さんの中でも、
「治療方法はありません。余命○ヶ月です。ホスピスに行ってください。」
といわれた方々が何人もいます。
長い患者さんでは、
誤診(?)宣告後6年以上になる方もいます。
6年とはいかずとも、
2年3年を超える患者さんは少なくありません。
その宣告された時間より短くなる患者さんは、ほとんどいません。
最低数ヶ月から1年程度は伸びています。
勿論、その宣告が当たってしまった患者さんも数人おられます。
しかし、ほとんどの患者さんでは誤診です。
誤診を信じてしまい、
その医者の言うとおりに治療を諦めてしまったならば、
当然生きていることができた時間を失ってしまうことになります。
6年半の患者さんは
大学病院で3ヶ月と宣告されました。
たしかに、「治療方法は無い」と判断して、
放置してしまえばその通りになっていたと思われます。
しかし、実際には無いといわれた治療方法はシッカリ存在していました。
それは今も続いています。
誤診によって奪われた、
生存していたであろう時間の損失を、
訴えるというのは、
証拠を提示できませんから
現実的には難しいと思われます。
しかし、余命○ヶ月と診断された患者さんが、
その○ヶ月を大きく超え、
何年も存命でいたときには、
このニュースの患者さんのように、
精神的苦痛に対する慰謝料請求の民事訴訟程度ならばできるように思います。
絶望の後で、命拾いした患者さんは日本中いくらでいるはずです。
そのような多くの患者さんが訴訟を起これば、
白衣を着た神様たちの、
「あと○ヶ月」という、
尊大なハズレばかりの宣告は減らすことができるように思います。
その宣告により傷付く患者さんを確実に減らすことができます。
以上 文責 梅澤 充
興味深いニュースを目にしました。
毎日新聞社の配信です。
掲載します。
「死の宣告」は誤診だった 40歳のもと患者、福井県立病院を提訴
【2007年5月17日】
損賠訴訟:「死の宣告」は誤診だった 40歳の元患者、県立病院を提訴 /福井
◇被告側「医療水準からやむを得ず」
県立病院(福井市)で、「悪性リンパ腫」を「胸腺(せん)がん」と誤診された上、主治医から「もはや助かる見込みはない」などと宣告され、精神的苦痛を受けたとして、県内の男性(40)が県を相手取り、治療費や慰謝料など560万円の損害賠償を求めた訴訟の第1回口頭弁論が16日、福井地裁(小林克美裁判長)であった。
被告側は「地方病院の医療水準からすれば、悪性リンパ腫であると診断できなくてもやむを得ない」と、全面的に争う姿勢を示した。
訴状などによると、男性は97年3月、県立病院で検査を受け「胸腺がん」と診断された。その後も同病院で2度検査を受けたが、診断は変わらなかった。男性は治療を続けたものの、病状は悪化の一途をたどり翌年11月、主治医から「余命は少ない。家族との時間を大切にするように」と宣告を受けた。
宣告を受け入れることができず、悩んだ末に男性は愛知県内の病院に転院。「悪性リンパ腫」との診断を受け、治療を受けたところ回復したという。男性は「死を宣告されて本当に傷ついた。もし、県立病院で治療を続けていたならば死んでいた」と話している。【松井聡、菅沼舞】
もし、ある医療行為の不手際が原因で、
患者さんにとって最悪の結果に終わった場合、
それに対して、ご家族が医者ないし病院を提訴しても、
得られるものは何も無いと思うからです。
いくばくかの賠償をもらっても、
ご家族の憎しみが増幅されるだけのような気がします。
かといって“泣き寝入り”もお気の毒ですから、
そのような問題が起きないことを祈るだけです。
あるいは、ミスがあれば真っ先に気付くのは病院ですから、
訴訟の前に、真実を開示して、
ご家族に十分に事情を説明して、
納得いく和解をすることが必要だと思います。
しかし、最近頻発している、
当然の確率で起こる単なる合併症に対して
医療過誤であるかのように医者、病院を訴え、
それを応援するマスコミの姿勢には腹が立ちます。
その現在の日本の風潮は、深刻な医者不足の一因にもなっています。
しかし、この訴訟のニュースは、
チョット胸の空く思いがします。
この訴訟には誤診も絡んでいますので、
私が言いたいこととはチョット外れていますが、
今まで見たことが無い
「死の宣告」が間違っていたがための提訴ですのでとても注目されます。
今診ている患者さんの中でも、
「治療方法はありません。余命○ヶ月です。ホスピスに行ってください。」
といわれた方々が何人もいます。
長い患者さんでは、
誤診(?)宣告後6年以上になる方もいます。
6年とはいかずとも、
2年3年を超える患者さんは少なくありません。
その宣告された時間より短くなる患者さんは、ほとんどいません。
最低数ヶ月から1年程度は伸びています。
勿論、その宣告が当たってしまった患者さんも数人おられます。
しかし、ほとんどの患者さんでは誤診です。
誤診を信じてしまい、
その医者の言うとおりに治療を諦めてしまったならば、
当然生きていることができた時間を失ってしまうことになります。
6年半の患者さんは
大学病院で3ヶ月と宣告されました。
たしかに、「治療方法は無い」と判断して、
放置してしまえばその通りになっていたと思われます。
しかし、実際には無いといわれた治療方法はシッカリ存在していました。
それは今も続いています。
誤診によって奪われた、
生存していたであろう時間の損失を、
訴えるというのは、
証拠を提示できませんから
現実的には難しいと思われます。
しかし、余命○ヶ月と診断された患者さんが、
その○ヶ月を大きく超え、
何年も存命でいたときには、
このニュースの患者さんのように、
精神的苦痛に対する慰謝料請求の民事訴訟程度ならばできるように思います。
絶望の後で、命拾いした患者さんは日本中いくらでいるはずです。
そのような多くの患者さんが訴訟を起これば、
白衣を着た神様たちの、
「あと○ヶ月」という、
尊大なハズレばかりの宣告は減らすことができるように思います。
その宣告により傷付く患者さんを確実に減らすことができます。
以上 文責 梅澤 充