自覚症状もまったく無く、
健康診断などで、偶然ガンが発見され、
しかもすでに手術が不可能であった場合など、
「治療を始める前までは元気だった」
「抗癌剤治療をはじめた途端に病気になった」
というフレーズがよく出てきます。
同様のことを、メールや裏のコメントで、
言われるご家族がたくさんおられます。
そのとおりだと思います。
お近くで患者さんを直接見ているご家族の
極めて客観的で正確なご意見、ご感想だと思います。
このことは、このブログでも
拙著「間違いだらけの抗癌剤治療」(KKベストセラーズ)でも
何回も訴えていることですが、
何かヘンだとは思われないでしょうか。
残念ながら、
手術不能であるガンは、
抗癌剤治療で治る可能性は高いとはいえません。
まして、標準的な抗癌剤治療では
根治手術が不可能なガンを治す、
根治させることなど、
はじめからアタマにありません。
一般的に抗癌剤治療の目的は延命だけです。
「○○%の確率で効く」という言葉の
○○%は延命とは直接結びつくことは無い奏功率です。
つらい思いをして、運良く○○%の当たりくじを引いても、
それが直接延命につながるわけではありません。
逆に運悪く(100 - ○○)%のハズレクジを引いたなら、
寿命は縮まります。
つらい思いをしたあげくの結果です。
延命治療ということは、
遠くない将来に最期の時を迎えてしまうことを意味します。
すなわち、生きていることができる時間が限られているということです。
その貴重な時間を、
「治療を始める前までは元気だった」のに、
「抗癌剤治療をはじめた途端に病気になった」
という状態に陥らせて良いものでしょうか。
ましてや、入院しなければならないような治療を開始して良いものでしょうか。
本日、根治不能のガンが発見されても、
明日死ぬことはありません。
ガンは無治療で放置しても、
それが増大して、
患者さんを死に至らしめるまでには相当の時間がかかります。
当然、「元気だった」という全身状態も
急に悪化するのではありません。
患者さんやご家族の、ガンの宣告による精神的な落ち込みと、
ガンという病気に対する思い込み、偏見から
アットいう間に進行して、すぐにでも命が奪われると錯覚してしまうだけです
エビデンス第一主義から組み立てられる
現在の標準的な抗癌剤治療では、
治療開始からカウントされる生存期間のエビデンスに従っています。
元気なうちから治療を開始しても、
チョット自覚症状が出てから治療をはじめても結果は同じです。
そうであるならば、
本日ガンが発見された患者さんは
しばらく治療方法を考えてから、
納得のいく治療をはじめたほうが後悔を残すことが無いように思います。
ちょうど、この文章を書いている途中に、
膵ガンで同じようなことを訴えるご家族がセカンドオピニオンに来られました。
抗癌剤治療をはじめるまでは元気だった、と・・・・
膵ガンは一般的には足が速いですから、
急いで結論は出さなければなりませんが、
残された時間を有効に使うことを考えるべきだと思います。
治ることの無いガン治療のために、
貴重な時間を浪費してしまうのは、
あまりにも悲しい行為だと思います。
貴重な時間を有意義に使えるガン治療を模索すべきだと考えます。
私は、昨日の久々の早寝で、
チョット元気になりました。
昨日ホテルのベットで寝るときには、
「明日も生きているかな」とチョットだけ心配になり、
ドアのチェーンは、はずして寝ましたが、
まだ、生きていました・・・・
以上 文責 梅澤 充
健康診断などで、偶然ガンが発見され、
しかもすでに手術が不可能であった場合など、
「治療を始める前までは元気だった」
「抗癌剤治療をはじめた途端に病気になった」
というフレーズがよく出てきます。
同様のことを、メールや裏のコメントで、
言われるご家族がたくさんおられます。
そのとおりだと思います。
お近くで患者さんを直接見ているご家族の
極めて客観的で正確なご意見、ご感想だと思います。
このことは、このブログでも
拙著「間違いだらけの抗癌剤治療」(KKベストセラーズ)でも
何回も訴えていることですが、
何かヘンだとは思われないでしょうか。
残念ながら、
手術不能であるガンは、
抗癌剤治療で治る可能性は高いとはいえません。
まして、標準的な抗癌剤治療では
根治手術が不可能なガンを治す、
根治させることなど、
はじめからアタマにありません。
一般的に抗癌剤治療の目的は延命だけです。
「○○%の確率で効く」という言葉の
○○%は延命とは直接結びつくことは無い奏功率です。
つらい思いをして、運良く○○%の当たりくじを引いても、
それが直接延命につながるわけではありません。
逆に運悪く(100 - ○○)%のハズレクジを引いたなら、
寿命は縮まります。
つらい思いをしたあげくの結果です。
延命治療ということは、
遠くない将来に最期の時を迎えてしまうことを意味します。
すなわち、生きていることができる時間が限られているということです。
その貴重な時間を、
「治療を始める前までは元気だった」のに、
「抗癌剤治療をはじめた途端に病気になった」
という状態に陥らせて良いものでしょうか。
ましてや、入院しなければならないような治療を開始して良いものでしょうか。
本日、根治不能のガンが発見されても、
明日死ぬことはありません。
ガンは無治療で放置しても、
それが増大して、
患者さんを死に至らしめるまでには相当の時間がかかります。
当然、「元気だった」という全身状態も
急に悪化するのではありません。
患者さんやご家族の、ガンの宣告による精神的な落ち込みと、
ガンという病気に対する思い込み、偏見から
アットいう間に進行して、すぐにでも命が奪われると錯覚してしまうだけです
エビデンス第一主義から組み立てられる
現在の標準的な抗癌剤治療では、
治療開始からカウントされる生存期間のエビデンスに従っています。
元気なうちから治療を開始しても、
チョット自覚症状が出てから治療をはじめても結果は同じです。
そうであるならば、
本日ガンが発見された患者さんは
しばらく治療方法を考えてから、
納得のいく治療をはじめたほうが後悔を残すことが無いように思います。
ちょうど、この文章を書いている途中に、
膵ガンで同じようなことを訴えるご家族がセカンドオピニオンに来られました。
抗癌剤治療をはじめるまでは元気だった、と・・・・
膵ガンは一般的には足が速いですから、
急いで結論は出さなければなりませんが、
残された時間を有効に使うことを考えるべきだと思います。
治ることの無いガン治療のために、
貴重な時間を浪費してしまうのは、
あまりにも悲しい行為だと思います。
貴重な時間を有意義に使えるガン治療を模索すべきだと考えます。
私は、昨日の久々の早寝で、
チョット元気になりました。
昨日ホテルのベットで寝るときには、
「明日も生きているかな」とチョットだけ心配になり、
ドアのチェーンは、はずして寝ましたが、
まだ、生きていました・・・・
以上 文責 梅澤 充