先日、亡くなられた患者さんのご家族が
すでに用の無くなった病院まで、
わざわざお礼を言いに来てくれました。
その患者さんは、
はじめから標準的抗癌剤治療を嫌い
私が治療をはじめました。
しかし、そのガンでは統計的に一番効くはずの抗癌剤が効きませんでした。
次々に抗癌剤を変更して治療をしていきました。
一時期効いてくれた抗癌剤もありましたが、
長続きはしませんでした。
勿論、標準的抗癌剤治療のエビデンスの数字よりは、
長く生きてはくれました。
しかし、もっともっと長く生きていて欲しかった・・・・
秋にはお孫さんの誕生も待っていました。
とても悲しいです。
このような悲しい挨拶はしばしば受けます。
しかし、ご家族がわざわざ無用の病院にまで、
出向いてくれるということは、
私の行ってきた治療が間違いではなかった、
という証でもあり、
少しだけホッとする瞬間でもあります。
そのご家族とお話をしたとき、
ご家族は、
『梅澤のところへ来る前の病院で
主治医から、患者を前にして、
「抗癌剤治療をしても○○カ月」
と言われたことが一番辛かった。
それを聞いて本人も本当に悲しそうだった。』
と言われていました。
そのご家族からは、はじめて聞いたことですが、
まったくそのとおりだと思います。
何故、そこまで配慮の無い言葉が出てくるのか、
理解に苦しみます。
人の命など、神様にしか分かりません。
自分たちは神様だとでも思っているのでしょうか。
単なる、エビデンスの伝達者に成り下がっているだけなのに、
そのことに気が付かないのでしょうか。
エビデンスではその医者の言うとおりです。
その悲惨なエビデンスを言われた患者さんが
どれだけ落ち込むかを考えてみれば、
自分たちが実行している標準治療のエビデンスが、
如何に貧粗なものであるか、
どれだけ絶望的なものであるか、
一目瞭然分かるはずです。
その一言が如何に人を傷つけるか、
知らないから口にするのでしょうけれども、
それを患者さんに直接宣告する医者は、
そのエビデンスのお粗末さに気が付いていないのかも知れません。
それを平気で言う医者のもとでは
治療は受けない方が無難だと思います。
標準的抗癌剤治療の盲信者で、
それが唯一無二の最高の治療と錯覚してしまっているのかも知れません。
ご用心を。
以上 文責 梅澤 充
すでに用の無くなった病院まで、
わざわざお礼を言いに来てくれました。
その患者さんは、
はじめから標準的抗癌剤治療を嫌い
私が治療をはじめました。
しかし、そのガンでは統計的に一番効くはずの抗癌剤が効きませんでした。
次々に抗癌剤を変更して治療をしていきました。
一時期効いてくれた抗癌剤もありましたが、
長続きはしませんでした。
勿論、標準的抗癌剤治療のエビデンスの数字よりは、
長く生きてはくれました。
しかし、もっともっと長く生きていて欲しかった・・・・
秋にはお孫さんの誕生も待っていました。
とても悲しいです。
このような悲しい挨拶はしばしば受けます。
しかし、ご家族がわざわざ無用の病院にまで、
出向いてくれるということは、
私の行ってきた治療が間違いではなかった、
という証でもあり、
少しだけホッとする瞬間でもあります。
そのご家族とお話をしたとき、
ご家族は、
『梅澤のところへ来る前の病院で
主治医から、患者を前にして、
「抗癌剤治療をしても○○カ月」
と言われたことが一番辛かった。
それを聞いて本人も本当に悲しそうだった。』
と言われていました。
そのご家族からは、はじめて聞いたことですが、
まったくそのとおりだと思います。
何故、そこまで配慮の無い言葉が出てくるのか、
理解に苦しみます。
人の命など、神様にしか分かりません。
自分たちは神様だとでも思っているのでしょうか。
単なる、エビデンスの伝達者に成り下がっているだけなのに、
そのことに気が付かないのでしょうか。
エビデンスではその医者の言うとおりです。
その悲惨なエビデンスを言われた患者さんが
どれだけ落ち込むかを考えてみれば、
自分たちが実行している標準治療のエビデンスが、
如何に貧粗なものであるか、
どれだけ絶望的なものであるか、
一目瞭然分かるはずです。
その一言が如何に人を傷つけるか、
知らないから口にするのでしょうけれども、
それを患者さんに直接宣告する医者は、
そのエビデンスのお粗末さに気が付いていないのかも知れません。
それを平気で言う医者のもとでは
治療は受けない方が無難だと思います。
標準的抗癌剤治療の盲信者で、
それが唯一無二の最高の治療と錯覚してしまっているのかも知れません。
ご用心を。
以上 文責 梅澤 充



