私は、「そんな量では効かない」といわれる量の抗癌剤を使って
ガン治療を行っています。
腫瘍内科医は
エビデンスのある標準的抗癌剤治療だけが、
唯一無二の至高の治療であるかのように信じ込み(?)
美しい国日本の政府、およびその露払いとしてのNHKも
その普及に余念がありません。
「最低限度のガン治療」を普及させることには
意義のあることだとは思います。
しかし、本当に標準的抗癌剤治療が至高の治療でしょうか。
先ず、副作用は必発です。
標準的抗癌剤治療を行いながら、
仕事を続け、普通の社会生活を行うことは、
相当に丈夫な身体を持ったガン患者さんでなければ不可能です。
副作用により、患者さんの社会生活は大きく制限され、
QOLの低下も著しいものがあります。
しかも、その治療を続けても、
切除不能のガンが治ることはありません。
その辛い治療から終生開放されることは無いのです。
副作用から開放されるのは、
「もはや治療方法はありません」
との最後通牒を突きつけられる時だけです。
至上とされる理由は、
エビデンスが存在するがためだけです。
「エビデンスが無い治療 = 効果の無い治療」
と誤った見方をされています。
何度も書いているとおり、本来
「エビデンスが無い治療 = 治療効果は不明」
な、だけです。
エビデンス一本やりの上に成り立っている、
標準的抗癌剤治療を推進している腫瘍内科医は、
若い医者は経験無いのかも知れませんが、
何回も書いているとおり、
ほんの十数年前まで、抗癌剤治療では延命効果は、
証明されていませんでした。
すなわち、「抗癌剤治療を行った方がトク」
「抗癌剤治療は、無治療でいるよりもマシ」
というエビデンスは
まったく存在していませんでした。
昔から抗癌剤治療では副作用だけはシッカリと発現していましたが、
「その副作用を覚悟で抗癌剤治療を行った方が、患者さんのためになる」
というエビデンスなど、
まったく存在しないのに、
延々と抗癌剤治療は行われ続けてきました。
抗癌剤治療は、腫瘍内科医の趣味で行われていたのでしょうか、
他にやることが無いから仕方なく行われていたのでしょうか。
人体実験のためだったのでしょうか。
そうではないと思います。
抗癌剤治療を行っている患者さんを
シッカリ観察していると、
治療効果が上がり、
ガンが大きく退縮して、
明らかに長生きさせてあげることができる患者さんも、
あるいはガンによる苦痛を取り除くことができる患者さんも、
存在していました。
そのような患者さんを見逃さずに、
そして、そうではない治療効果の出ない患者さんも
いち早く探し出し、
治療を変えるなり、
中止するなり工夫をして、
抗癌剤治療を続けていたから、
エビデンスは無くとも、
抗癌剤治療にはそれなりの意味が見出せたのではないかと想像されます。
エビデンスが無いのですから、
抗癌剤は患者さんおよびガンの動向に合わせて使わざるを得ないのです。
その結果、必然的に均一な治療ではなくなり、
患者さんの個性が尊重されることになります。
現在私が診ている百数十人の患者さんで、
同一スケジュールの患者さんは一人もいません。
一方、現在の抗癌剤治療では、
エビデンスだけを見つめて、
個々の患者さんを診ようとしません。
個々の患者さんの個性に、
およびガンの個性には目を瞑ってしまい、
ただ、すべてエビデンスだけにお任せで、
何が起きてもすべてエビデンスの責任になる。
現在の抗癌剤治療では、
むしろエビデンスが出てしまったが故に、
個々の患者さんの個性が無視されてしまっているように感じます。
標準的抗癌剤治療のエビデンスは、
「○回繰り返して、○○%の奏功率が得られる」
となっています。
したがって、エビデンスどおりに必ず○回繰り返されます。
1回目で効かなければ、
それを何回繰り返しても効きません。
しかし1回でのエビデンスは出ていませんから、
患者さんおよびガンの状態がドウであろうが、
それには目を瞑り、
エビデンスに従います。
その結果、
エビデンスどおりの
悲惨な結末がたくさん出現してきます。
8月29日の「国立がんセンターの魔力・その後」
昨日の「殺人ではありません、治療です!」
で紹介したとおりです。
真っ暗闇の抗癌剤治療の世界に、
エビデンスという便利な指標ができたのは
素晴らしい医学の進歩ですが、
現在のガン治療はそれだけに振り回されて、
個々の患者さんをシッカリ診るという、
本来の医者の治療姿勢が失われてしまったように感じます。
母校の校訓
「病を診ずして、病人を診よ」
という言葉を思い出しました。
以上 文責 梅澤 充
ガン治療を行っています。
腫瘍内科医は
エビデンスのある標準的抗癌剤治療だけが、
唯一無二の至高の治療であるかのように信じ込み(?)
美しい国日本の政府、およびその露払いとしてのNHKも
その普及に余念がありません。
「最低限度のガン治療」を普及させることには
意義のあることだとは思います。
しかし、本当に標準的抗癌剤治療が至高の治療でしょうか。
先ず、副作用は必発です。
標準的抗癌剤治療を行いながら、
仕事を続け、普通の社会生活を行うことは、
相当に丈夫な身体を持ったガン患者さんでなければ不可能です。
副作用により、患者さんの社会生活は大きく制限され、
QOLの低下も著しいものがあります。
しかも、その治療を続けても、
切除不能のガンが治ることはありません。
その辛い治療から終生開放されることは無いのです。
副作用から開放されるのは、
「もはや治療方法はありません」
との最後通牒を突きつけられる時だけです。
至上とされる理由は、
エビデンスが存在するがためだけです。
「エビデンスが無い治療 = 効果の無い治療」
と誤った見方をされています。
何度も書いているとおり、本来
「エビデンスが無い治療 = 治療効果は不明」
な、だけです。
エビデンス一本やりの上に成り立っている、
標準的抗癌剤治療を推進している腫瘍内科医は、
若い医者は経験無いのかも知れませんが、
何回も書いているとおり、
ほんの十数年前まで、抗癌剤治療では延命効果は、
証明されていませんでした。
すなわち、「抗癌剤治療を行った方がトク」
「抗癌剤治療は、無治療でいるよりもマシ」
というエビデンスは
まったく存在していませんでした。
昔から抗癌剤治療では副作用だけはシッカリと発現していましたが、
「その副作用を覚悟で抗癌剤治療を行った方が、患者さんのためになる」
というエビデンスなど、
まったく存在しないのに、
延々と抗癌剤治療は行われ続けてきました。
抗癌剤治療は、腫瘍内科医の趣味で行われていたのでしょうか、
他にやることが無いから仕方なく行われていたのでしょうか。
人体実験のためだったのでしょうか。
そうではないと思います。
抗癌剤治療を行っている患者さんを
シッカリ観察していると、
治療効果が上がり、
ガンが大きく退縮して、
明らかに長生きさせてあげることができる患者さんも、
あるいはガンによる苦痛を取り除くことができる患者さんも、
存在していました。
そのような患者さんを見逃さずに、
そして、そうではない治療効果の出ない患者さんも
いち早く探し出し、
治療を変えるなり、
中止するなり工夫をして、
抗癌剤治療を続けていたから、
エビデンスは無くとも、
抗癌剤治療にはそれなりの意味が見出せたのではないかと想像されます。
エビデンスが無いのですから、
抗癌剤は患者さんおよびガンの動向に合わせて使わざるを得ないのです。
その結果、必然的に均一な治療ではなくなり、
患者さんの個性が尊重されることになります。
現在私が診ている百数十人の患者さんで、
同一スケジュールの患者さんは一人もいません。
一方、現在の抗癌剤治療では、
エビデンスだけを見つめて、
個々の患者さんを診ようとしません。
個々の患者さんの個性に、
およびガンの個性には目を瞑ってしまい、
ただ、すべてエビデンスだけにお任せで、
何が起きてもすべてエビデンスの責任になる。
現在の抗癌剤治療では、
むしろエビデンスが出てしまったが故に、
個々の患者さんの個性が無視されてしまっているように感じます。
標準的抗癌剤治療のエビデンスは、
「○回繰り返して、○○%の奏功率が得られる」
となっています。
したがって、エビデンスどおりに必ず○回繰り返されます。
1回目で効かなければ、
それを何回繰り返しても効きません。
しかし1回でのエビデンスは出ていませんから、
患者さんおよびガンの状態がドウであろうが、
それには目を瞑り、
エビデンスに従います。
その結果、
エビデンスどおりの
悲惨な結末がたくさん出現してきます。
8月29日の「国立がんセンターの魔力・その後」
昨日の「殺人ではありません、治療です!」
で紹介したとおりです。
真っ暗闇の抗癌剤治療の世界に、
エビデンスという便利な指標ができたのは
素晴らしい医学の進歩ですが、
現在のガン治療はそれだけに振り回されて、
個々の患者さんをシッカリ診るという、
本来の医者の治療姿勢が失われてしまったように感じます。
母校の校訓
「病を診ずして、病人を診よ」
という言葉を思い出しました。
以上 文責 梅澤 充