先日の新聞に、尖閣諸島の近海での中国のガス田開発をめぐって、
「日本政府の及び腰外交」に対する批判が出ていました。
日本政府の、近隣諸国への対応には、普段からイライラすることもありますが、
ガン治療に対しても、
日本のガン治療において中心的役割を担っているはずの先生方が、
何故か、欧米特にアメリカに対して卑屈になっているように思えてなりません。
日本の中心的ながんセンターの、有名な先生の中には、
アイツは、アメリカ医療のスポークスマンか?と思われるような医者もいます。
有名というのは、「スポークスマンとして有名」といった方がイイかも知れません。
オリジナルな治療については、まったく何もない。
英語がお得意なのか、
ただただアメリカでの抗癌剤治療の治療成績の広報活動だけに、
勤しんでおられる先生をよく見ます。
製薬会社も、その方が抗癌剤の消費量が増えるためか、
やたらとそのような医者を持ち上げます。
そして、製薬会社の招待などで、アメリカ人が日本で公演する時に、
その公演を無条件に賞賛し、
太鼓もちのように、媚びへつらっている姿を見かけます。
アメリカのガン治療が間違っているなどとはまったく考えていません。
エビデンスも、延命効果もまったくなかった抗癌剤治療に、
素晴らしい(?)エビデンスを築き上げ、
僅かといえども、抗癌剤治療に延命効果をもたらしたのは欧米のガン治療研究です。
その点は、見習うべき点もないことはないと思います。
ただ、アメリカと日本では、医療制度が大きく異なります。
日本人は、そのほとんどが健康保険により治療を受けることができます。
健康保険を使うといっても、ガン治療はけっして安価ではありません。
しかし、高額になれば、還付金も発生してきますし、
経済的にまったくガン治療が受けられないという患者さんは現在の日本では、
非常に少ないはずです。
一方アメリカでは、
2月21日の「エビデンスが無いときは」(2)で書きましたとおり
4000万人に上るといわれる無保険者がいます。
日本の人口の三分の一の人数です。
日本のガン患者さんの人数の三分の一のアメリカのガン患者さんが無保険者です。
それほど多くの患者さんが、経済的理由から健康保険治療を受けられません。
それらの患者さんの多くは、勿論自費でガン治療を受けることは不可能です。
そうなると、無料で治療を受けることができる臨床治験という制度が、
利用されるようになります。
臨床治験とは、まだエビデンスの無い治療、
あるいは治療効果の確立されていない新しいクスリを使っての治療など、
主に製薬会社が費用を負担して、その治療成績を調査することを目的とした治療です。
厭な言い方をすれば、新しい治療の実験台になることで、
無料でその治療が受けられることになります。
そこからは、規格どおりの治療を行った場合の膨大な量のデータがドンドン出てきます。
エビデンスが次々に生まれてきます。
ところが日本では、ほとんどすべてのガン患者さんが、
健康保険で治療を受けることができますので、
敢えて、効果のはっきりしていない治療を受けようという患者さんはあまりいません。
医者も、ほとんどの患者さんが満足しないであろうと考えられるエビデンスについて、
「この治療にはエビデンスがある。」とだけしか言わず、
エビデンス・ベースド・メディスン(EBM)、
エビデンスに基づいた治療が重要であるとだけ言われ、
エビデンスの内容については、ほとんど説明しませんから、
患者さんとしては、「治療効果が大きい」と勘違いして、
既成の抗癌剤治療だけを受けることになります。
従って日本では、アメリカの治験から生まれたエビデンスだけを頼りに、
ガン治療を進めていくことになります。
これでは、何時までたっても、日本独自の日本人に一番ふさわしいガン治療など、
生まれてはきません。
「EBM エビデンスに基づいた治療が重要」これが、日本のガン治療の大前提になっていますから、
そのエビデンス製造国のアメリカのガン治療を凌ぐことは不可能だと思います。
従って、日本の医者はアメリカの医者の太鼓もちにならざるを得ないのかも知れません。
これが、日本のガン治療の悲しい現状ではないでしょうか。
また、日本人がアメリカ人に弱いのは、言葉の問題もあるように思います。
私は1987年から’89年までの2年間とチョットの間、
臨床医としてではなく基礎研究員としてですが、
アメリカのシカゴにある大学病院で働いていたことがあります。
研究の傍ら、臨床カンファレンスには毎週参加し、
また実際の臨床の現場も覗いてきました。
その2年間のアメリカ滞在の間、
痛烈に感じたことがあります。
アメリカ人は英語しか読み書きできないのです!
アメリカに行く前、日本の大学にいた時には、
日本語の論文なんて大したものではなく、
英語論文は、非常に有り難い貴重な内容が書かれている、尊いもののように感じ、
乏しい英語力を駆使して、懸命に英語論文を読みました。
しかし、いざアメリカの大学の図書館に行ってみると、
当然のことですが、英語の論文しか置いてありませんでした。
隅っこまで探すと、日本語やフランス語、ドイツ語の論文も置いてありましたが、
ほとんど気がつきません。
そこで、ふと気がついたことは、「彼らは英語しか判らない!」でした。
どんなクダラナイ内容の研究でもすべて英語で書きます。
確かに、日本で読んだ英語論文でも首を傾げたくなるような内容のものも、
いくつもありましたが、
自分の読解力不足、知識不足などと卑下していました。
一方日本人の英語論文は、世界に誇れるような内容しか、
英語にはしませんから、素晴らしい論文が多くみられます。
あまり大した内容でない論文は日本語で書きます。
ですから、くだらない日本語論文はたくさんあります。
そして、日本人は簡単にその論文を読むことができます。
勿論、日本のガン治療の中心的役割を担っておられる先生方は、
英語も堪能であり、私のような英語音痴はおられないでしょうが、
ネーティブスピーカーと同様に英語を使いこなす医者は極僅かです。
世界共通語とされる英語を、母国語として喋られると、
日本人は一歩引いてしまうのではないでしょうか。
この言葉の問題も、日本人の欧米追従姿勢の一つの原因ではないかと思います。
しかし、1月25日の「ガン、人生観、生死感に対する考え方の人種格差」
でも、書きましたとおり、
歴史、文化、伝統、教育、思想などあらゆる面で異なる、異国の治療を、
特にガンという、
人間の生死というその人間の生き方の根源にかかわる病気の治療に対して、
ソックリそのまま持ち込んでイイものでしょうか。
それが、まったく歴史、文化の違う日本人にも馴染むものでしょうか。
日本人に一番適している治療法を進めるべきだと考えます。
しかし、そのためには、患者さんご自身が、
ご自分の病に対しての十分な知識を身に付けることが、一番重要です。
アメリカ一辺倒の、悲しい今の日本の医療体制の中では・・・・
以上、現在の独自性の見えない日本のガン医療に対して考えることを書きました。
以上 文責 梅澤 充
「日本政府の及び腰外交」に対する批判が出ていました。
日本政府の、近隣諸国への対応には、普段からイライラすることもありますが、
ガン治療に対しても、
日本のガン治療において中心的役割を担っているはずの先生方が、
何故か、欧米特にアメリカに対して卑屈になっているように思えてなりません。
日本の中心的ながんセンターの、有名な先生の中には、
アイツは、アメリカ医療のスポークスマンか?と思われるような医者もいます。
有名というのは、「スポークスマンとして有名」といった方がイイかも知れません。
オリジナルな治療については、まったく何もない。
英語がお得意なのか、
ただただアメリカでの抗癌剤治療の治療成績の広報活動だけに、
勤しんでおられる先生をよく見ます。
製薬会社も、その方が抗癌剤の消費量が増えるためか、
やたらとそのような医者を持ち上げます。
そして、製薬会社の招待などで、アメリカ人が日本で公演する時に、
その公演を無条件に賞賛し、
太鼓もちのように、媚びへつらっている姿を見かけます。
アメリカのガン治療が間違っているなどとはまったく考えていません。
エビデンスも、延命効果もまったくなかった抗癌剤治療に、
素晴らしい(?)エビデンスを築き上げ、
僅かといえども、抗癌剤治療に延命効果をもたらしたのは欧米のガン治療研究です。
その点は、見習うべき点もないことはないと思います。
ただ、アメリカと日本では、医療制度が大きく異なります。
日本人は、そのほとんどが健康保険により治療を受けることができます。
健康保険を使うといっても、ガン治療はけっして安価ではありません。
しかし、高額になれば、還付金も発生してきますし、
経済的にまったくガン治療が受けられないという患者さんは現在の日本では、
非常に少ないはずです。
一方アメリカでは、
2月21日の「エビデンスが無いときは」(2)で書きましたとおり
4000万人に上るといわれる無保険者がいます。
日本の人口の三分の一の人数です。
日本のガン患者さんの人数の三分の一のアメリカのガン患者さんが無保険者です。
それほど多くの患者さんが、経済的理由から健康保険治療を受けられません。
それらの患者さんの多くは、勿論自費でガン治療を受けることは不可能です。
そうなると、無料で治療を受けることができる臨床治験という制度が、
利用されるようになります。
臨床治験とは、まだエビデンスの無い治療、
あるいは治療効果の確立されていない新しいクスリを使っての治療など、
主に製薬会社が費用を負担して、その治療成績を調査することを目的とした治療です。
厭な言い方をすれば、新しい治療の実験台になることで、
無料でその治療が受けられることになります。
そこからは、規格どおりの治療を行った場合の膨大な量のデータがドンドン出てきます。
エビデンスが次々に生まれてきます。
ところが日本では、ほとんどすべてのガン患者さんが、
健康保険で治療を受けることができますので、
敢えて、効果のはっきりしていない治療を受けようという患者さんはあまりいません。
医者も、ほとんどの患者さんが満足しないであろうと考えられるエビデンスについて、
「この治療にはエビデンスがある。」とだけしか言わず、
エビデンス・ベースド・メディスン(EBM)、
エビデンスに基づいた治療が重要であるとだけ言われ、
エビデンスの内容については、ほとんど説明しませんから、
患者さんとしては、「治療効果が大きい」と勘違いして、
既成の抗癌剤治療だけを受けることになります。
従って日本では、アメリカの治験から生まれたエビデンスだけを頼りに、
ガン治療を進めていくことになります。
これでは、何時までたっても、日本独自の日本人に一番ふさわしいガン治療など、
生まれてはきません。
「EBM エビデンスに基づいた治療が重要」これが、日本のガン治療の大前提になっていますから、
そのエビデンス製造国のアメリカのガン治療を凌ぐことは不可能だと思います。
従って、日本の医者はアメリカの医者の太鼓もちにならざるを得ないのかも知れません。
これが、日本のガン治療の悲しい現状ではないでしょうか。
また、日本人がアメリカ人に弱いのは、言葉の問題もあるように思います。
私は1987年から’89年までの2年間とチョットの間、
臨床医としてではなく基礎研究員としてですが、
アメリカのシカゴにある大学病院で働いていたことがあります。
研究の傍ら、臨床カンファレンスには毎週参加し、
また実際の臨床の現場も覗いてきました。
その2年間のアメリカ滞在の間、
痛烈に感じたことがあります。
アメリカ人は英語しか読み書きできないのです!
アメリカに行く前、日本の大学にいた時には、
日本語の論文なんて大したものではなく、
英語論文は、非常に有り難い貴重な内容が書かれている、尊いもののように感じ、
乏しい英語力を駆使して、懸命に英語論文を読みました。
しかし、いざアメリカの大学の図書館に行ってみると、
当然のことですが、英語の論文しか置いてありませんでした。
隅っこまで探すと、日本語やフランス語、ドイツ語の論文も置いてありましたが、
ほとんど気がつきません。
そこで、ふと気がついたことは、「彼らは英語しか判らない!」でした。
どんなクダラナイ内容の研究でもすべて英語で書きます。
確かに、日本で読んだ英語論文でも首を傾げたくなるような内容のものも、
いくつもありましたが、
自分の読解力不足、知識不足などと卑下していました。
一方日本人の英語論文は、世界に誇れるような内容しか、
英語にはしませんから、素晴らしい論文が多くみられます。
あまり大した内容でない論文は日本語で書きます。
ですから、くだらない日本語論文はたくさんあります。
そして、日本人は簡単にその論文を読むことができます。
勿論、日本のガン治療の中心的役割を担っておられる先生方は、
英語も堪能であり、私のような英語音痴はおられないでしょうが、
ネーティブスピーカーと同様に英語を使いこなす医者は極僅かです。
世界共通語とされる英語を、母国語として喋られると、
日本人は一歩引いてしまうのではないでしょうか。
この言葉の問題も、日本人の欧米追従姿勢の一つの原因ではないかと思います。
しかし、1月25日の「ガン、人生観、生死感に対する考え方の人種格差」
でも、書きましたとおり、
歴史、文化、伝統、教育、思想などあらゆる面で異なる、異国の治療を、
特にガンという、
人間の生死というその人間の生き方の根源にかかわる病気の治療に対して、
ソックリそのまま持ち込んでイイものでしょうか。
それが、まったく歴史、文化の違う日本人にも馴染むものでしょうか。
日本人に一番適している治療法を進めるべきだと考えます。
しかし、そのためには、患者さんご自身が、
ご自分の病に対しての十分な知識を身に付けることが、一番重要です。
アメリカ一辺倒の、悲しい今の日本の医療体制の中では・・・・
以上、現在の独自性の見えない日本のガン医療に対して考えることを書きました。
以上 文責 梅澤 充



