昨日の「休眠療法と私の違い?」
で、「腫瘍の縮小なくして延命なし」
という腫瘍内科医の呪文を、
高橋豊先生は科学的に看破されたことを書きました。
私は、高橋先生の実行されている休眠療法の詳細については知りませんので、
現在私の行っている治療との違いを明確に説明することはできません。
しかし高橋先生の
「現在の抗癌剤治療は下戸にも大酒のみにも
均一にボトルを一本飲め、といっているようなもの」
「最大耐用量ではダメ、最大持続量でなければいけない」
などなどの
まったくもってもっともな言葉を目にすると、
基本的には、私と同じ考えの治療だと思います。
否、“高橋先生と同じ考えのもとで”
私は治療を実行しているのだと思います。
昨年、高橋先生の患者さん向けの御著書をお送りいただきましたが、
失礼ながら完全に全部は読んでおりません。
斜め読みしたところでは、
抗癌剤は最少量からはじめて、
副作用の程度によって、
個人個人の最適量を見つけだして、
治療を継続れておられるようですので、
それも、まったく同じスタンスだと思います。
基本的に、すべての患者さんが別人だという考えのもとでの治療です。
2007年9月12日の「外科医と内科の考え方」
で書きましたが、
外科医にとって、
すべてのガン患者さんは別人です。
目の前のたった一人しかいない患者さんに最適の治療を行うように、
研修医のときから叩き込まれます。
一方内科の先生は、
エビデンスという統計データに忠実に従い、
個々の患者さんを診るというより、
ガンという病気を、病人を、
エビデンスという一括りのマスで診る傾向が感じられます。
高橋先生は外科医です。
不肖私も外科医です。
休眠療法と標準的抗癌剤治療の違いは、
外科医と内科医の違いにあるような気がします。
手術という武器で、
ガンを根治させるために、
ガン患者さんの身体を痛めつけてしまう外科医にとって、
治る可能性が極めて低くなってしまったガンの治療において、
それ以上身体を痛めつけることはしたくない
という発想が潜在しているものと思います。
事実、標準的抗癌剤治療では、
ハズレれば、患者さんは抗癌剤の副作用で寿命を縮めます。
それをしたくない、
どうせ治らないガンなのだから、
そのガンと可能な限り長い時間、
同居してもらおう。
という考えが基本的に存在するのだと思います。
「この療法がどのくらい医師の間で評価されているのでしょうか。」
とのご質問ですが、
現在は、「抗癌剤治療は腫瘍内科医が行うことが望ましい。」
というお国の方針があります。
某放送局もそれを盛んに後押ししています。
当然、腫瘍内科医は、
エビデンス一辺倒であり、
標準的抗癌剤治療が至高の治療であるとお考えのようですので、
今後さらに忘れられた治療になることと思います。
それに、現在の「ナンでも訴訟」の社会風潮を見ると、
エビデンスに沿った治療をして、
エビデンスどおりに患者さんが亡くなってくれれば、
誰の責任にもなりませんから、
医者はエビデンスのまだ出ない、
標準的ではない抗癌剤治療は行わなくなると思います。
エビデンスの無い治療を行い、
不幸な結末に終わったときの責任問題を考えると、
それを行う医者は減る一方だと思います。
すべての患者さんに同一の量の抗癌剤を使う治療よりは、
個々の患者さんの身体とガンの動向に合わせて、
その量を決めて抗癌剤を使う治療では、
当然、後者の方が長生きしてくれるはずです。
勿論、副作用は比較になりません。
しかし、すべての患者さんで
治療内容が変わってしまうので、
それをエビデンス化していくのは
至難の技です。
当分、エビデンスとしては、
出てこないと思います。
以上 文責 梅澤 充
で、「腫瘍の縮小なくして延命なし」
という腫瘍内科医の呪文を、
高橋豊先生は科学的に看破されたことを書きました。
私は、高橋先生の実行されている休眠療法の詳細については知りませんので、
現在私の行っている治療との違いを明確に説明することはできません。
しかし高橋先生の
「現在の抗癌剤治療は下戸にも大酒のみにも
均一にボトルを一本飲め、といっているようなもの」
「最大耐用量ではダメ、最大持続量でなければいけない」
などなどの
まったくもってもっともな言葉を目にすると、
基本的には、私と同じ考えの治療だと思います。
否、“高橋先生と同じ考えのもとで”
私は治療を実行しているのだと思います。
昨年、高橋先生の患者さん向けの御著書をお送りいただきましたが、
失礼ながら完全に全部は読んでおりません。
斜め読みしたところでは、
抗癌剤は最少量からはじめて、
副作用の程度によって、
個人個人の最適量を見つけだして、
治療を継続れておられるようですので、
それも、まったく同じスタンスだと思います。
基本的に、すべての患者さんが別人だという考えのもとでの治療です。
2007年9月12日の「外科医と内科の考え方」
で書きましたが、
外科医にとって、
すべてのガン患者さんは別人です。
目の前のたった一人しかいない患者さんに最適の治療を行うように、
研修医のときから叩き込まれます。
一方内科の先生は、
エビデンスという統計データに忠実に従い、
個々の患者さんを診るというより、
ガンという病気を、病人を、
エビデンスという一括りのマスで診る傾向が感じられます。
高橋先生は外科医です。
不肖私も外科医です。
休眠療法と標準的抗癌剤治療の違いは、
外科医と内科医の違いにあるような気がします。
手術という武器で、
ガンを根治させるために、
ガン患者さんの身体を痛めつけてしまう外科医にとって、
治る可能性が極めて低くなってしまったガンの治療において、
それ以上身体を痛めつけることはしたくない
という発想が潜在しているものと思います。
事実、標準的抗癌剤治療では、
ハズレれば、患者さんは抗癌剤の副作用で寿命を縮めます。
それをしたくない、
どうせ治らないガンなのだから、
そのガンと可能な限り長い時間、
同居してもらおう。
という考えが基本的に存在するのだと思います。
「この療法がどのくらい医師の間で評価されているのでしょうか。」
とのご質問ですが、
現在は、「抗癌剤治療は腫瘍内科医が行うことが望ましい。」
というお国の方針があります。
某放送局もそれを盛んに後押ししています。
当然、腫瘍内科医は、
エビデンス一辺倒であり、
標準的抗癌剤治療が至高の治療であるとお考えのようですので、
今後さらに忘れられた治療になることと思います。
それに、現在の「ナンでも訴訟」の社会風潮を見ると、
エビデンスに沿った治療をして、
エビデンスどおりに患者さんが亡くなってくれれば、
誰の責任にもなりませんから、
医者はエビデンスのまだ出ない、
標準的ではない抗癌剤治療は行わなくなると思います。
エビデンスの無い治療を行い、
不幸な結末に終わったときの責任問題を考えると、
それを行う医者は減る一方だと思います。
すべての患者さんに同一の量の抗癌剤を使う治療よりは、
個々の患者さんの身体とガンの動向に合わせて、
その量を決めて抗癌剤を使う治療では、
当然、後者の方が長生きしてくれるはずです。
勿論、副作用は比較になりません。
しかし、すべての患者さんで
治療内容が変わってしまうので、
それをエビデンス化していくのは
至難の技です。
当分、エビデンスとしては、
出てこないと思います。
以上 文責 梅澤 充