このタイトルは、3月29日から本日31日までの3日間、
有楽町の東京国際フォーラムで開かれていた
第106回日本外科学会のテーマです。
本日、さいたまの病院から有楽町まで猛スピードで車を飛ばし行ってきました
(そのあとまた、さいたまの病院に戻りました)
時間がなくテーマの演題は聞くことができませんでしたが、
昨年の日本癌治療学会以来の学会の香りを嗅いできました。
やはりイイものです。
かつては、学会を生甲斐として、日本だけに留まらず外国にまで足を伸ばしていた頃を思い出しました。
それは、ともかく、
内容は見ていませんが、
「新たなる発想からEvidence(エビデンス)へ」のタイトルは、イロイロと考えさせてくれます。
これから、抄録を読んで、その真意を確認したいと思いますが、
このタイトルから、連想することは(したいことは)
「新しい発想のもとに、日本人にあった新しい治療を開発して、
それに対してエビデンスというしっかりとした根拠をつけていこう。」
という期待を持たせてくれるものではないかと勝手に考えてしまいました。
しかし、やはり今後のガン治療においてエビデンスは絶対に必要になるようですね。
それは、当然のことだと思います。
しかし、あまりそれに縛られてしまうと、
画一的な治療しかできなくなってしまう・・・
3月10日の「ある腫瘍内科医の勘違い」
3月11日の「ガン治療の地域格差」
で書いたとおり、
エビデンスどおりの治療とは、根拠に則った科学的な治療ではありますが、
視点を変えれば、すべての個性を無視した定食です。
「新たなる発想から生れてくる治療に対するエビデンスの確立」
は極めて重要なことである反面、
ただ単に、定食のメニューを少し増やすだけになってしまうような恐れも感じます。
しかし、新しい治療に対するエビデンスの確立は医学の進歩のためには、
絶対に必要です。
不安と期待が交差する漠然とした思いが残ります。
そのように感じてしまう背景には、
3月14日の「医者も人間、患者も人間」
3月16日の「医は仁術?」で書いたとおり、何でもカンでも、誰かに責任を押し付けようという、
アメリカのような訴訟社会に近づきつつある今の日本の社会的な風潮が影響しているように感じます。
最近では、婦人科医の不当逮捕などがイイ例です。
多くの日本の医者が「アレで逮捕されたら、医者なんかやってられない。」と思っていることだと思います。
また、無罪判決が出た、杏林大学の当直医の事件で、
「割り箸が、脳に刺さっていてそれを見落としていた」ことが問われた裁判でもドウ考えても、運の悪かったその当直医に責任があるとは思えません。
可愛い盛りのお子さんを失った悲しみは、察するに余りあります。
しかし、悲しみに沈む親御さんには残酷な言い方かも知れませんが、
口に割り箸つきのワタアメを咥えさせたまま、
子供を走り回らせていた親には、責任はないのでしょうか。
あまり、他人にばかり責任転嫁をしていると、
一番安心な、定食しか食べさせてもらえない世の中になってしまいます。
心を込めたスペシャルメニューを提供して、万一食中毒でも起こされたなら、
注文した客には罪が無く、それを作った料理人の責任になってしまいますから・・・
本日は日本外科学会のテーマを見て、
フト頭に浮かんだ、日本の医療の、社会の現状についての思いを書きました。
「注射なんかより饅頭の方が効くぞ」と、
大手を振って言えた時代は、医者も患者も幸せだったのかも知れません。
世知辛い世の中ですね。
以上 文責 梅澤 充
有楽町の東京国際フォーラムで開かれていた
第106回日本外科学会のテーマです。
本日、さいたまの病院から有楽町まで猛スピードで車を飛ばし行ってきました
(そのあとまた、さいたまの病院に戻りました)
時間がなくテーマの演題は聞くことができませんでしたが、
昨年の日本癌治療学会以来の学会の香りを嗅いできました。
やはりイイものです。
かつては、学会を生甲斐として、日本だけに留まらず外国にまで足を伸ばしていた頃を思い出しました。
それは、ともかく、
内容は見ていませんが、
「新たなる発想からEvidence(エビデンス)へ」のタイトルは、イロイロと考えさせてくれます。
これから、抄録を読んで、その真意を確認したいと思いますが、
このタイトルから、連想することは(したいことは)
「新しい発想のもとに、日本人にあった新しい治療を開発して、
それに対してエビデンスというしっかりとした根拠をつけていこう。」
という期待を持たせてくれるものではないかと勝手に考えてしまいました。
しかし、やはり今後のガン治療においてエビデンスは絶対に必要になるようですね。
それは、当然のことだと思います。
しかし、あまりそれに縛られてしまうと、
画一的な治療しかできなくなってしまう・・・
3月10日の「ある腫瘍内科医の勘違い」
3月11日の「ガン治療の地域格差」
で書いたとおり、
エビデンスどおりの治療とは、根拠に則った科学的な治療ではありますが、
視点を変えれば、すべての個性を無視した定食です。
「新たなる発想から生れてくる治療に対するエビデンスの確立」
は極めて重要なことである反面、
ただ単に、定食のメニューを少し増やすだけになってしまうような恐れも感じます。
しかし、新しい治療に対するエビデンスの確立は医学の進歩のためには、
絶対に必要です。
不安と期待が交差する漠然とした思いが残ります。
そのように感じてしまう背景には、
3月14日の「医者も人間、患者も人間」
3月16日の「医は仁術?」で書いたとおり、何でもカンでも、誰かに責任を押し付けようという、
アメリカのような訴訟社会に近づきつつある今の日本の社会的な風潮が影響しているように感じます。
最近では、婦人科医の不当逮捕などがイイ例です。
多くの日本の医者が「アレで逮捕されたら、医者なんかやってられない。」と思っていることだと思います。
また、無罪判決が出た、杏林大学の当直医の事件で、
「割り箸が、脳に刺さっていてそれを見落としていた」ことが問われた裁判でもドウ考えても、運の悪かったその当直医に責任があるとは思えません。
可愛い盛りのお子さんを失った悲しみは、察するに余りあります。
しかし、悲しみに沈む親御さんには残酷な言い方かも知れませんが、
口に割り箸つきのワタアメを咥えさせたまま、
子供を走り回らせていた親には、責任はないのでしょうか。
あまり、他人にばかり責任転嫁をしていると、
一番安心な、定食しか食べさせてもらえない世の中になってしまいます。
心を込めたスペシャルメニューを提供して、万一食中毒でも起こされたなら、
注文した客には罪が無く、それを作った料理人の責任になってしまいますから・・・
本日は日本外科学会のテーマを見て、
フト頭に浮かんだ、日本の医療の、社会の現状についての思いを書きました。
「注射なんかより饅頭の方が効くぞ」と、
大手を振って言えた時代は、医者も患者も幸せだったのかも知れません。
世知辛い世の中ですね。
以上 文責 梅澤 充



