昨日の「患者自身の力」に対して、
いくつかのコメントをいただきました。
当然、ガバイ患者さんなんて、
ほとんどいません。
そして、努力(?)したとしても、
それになれる患者さんも、
ごく僅かだろうと思います。
しかし、ガンを宿して、卑屈になる必要も、
病人になりきる必要もまったくありませんが、
病気を宿していることは事実ですから、
お年寄りが周囲の人間から労わられるように、
ガン患者さんも、「病人特権」というか、
病人であるからこそ受けられる恩恵を少しはもらっても
バチは当たらないように思います。
そのためにズズシクなりましょう。
そのほうが、人生トクである気がします。
それが言いたかったことの一つです。
私も昨日、歯医者に行って、
「本日で治療は終わりです」と言われて、
「そうですか、ありがとうございました。」と言ったものの、
欠けた歯に何か詰め物をした以外のここ数回の治療について、
ナニをしているのか、まったく理解していませんでした。
「次は、何時来てください」と言われたら、
とても素直に
「分かりました」と、何も分からずに言ってしまったと思います。
素人とプロとの関係はその程度のものだと感じます。
診る側と診てもらう側との間の溝は、
存在していて当たり前だと思います。しかし、セカンドオピニオンに来られる患者さんなどを見ていると、
エビデンス一辺倒で、
エビデンスどおりの予後しか期待していない主治医と、ガンを、治したい、少なくとも長生きしたいと願っている患者さんとで、滑稽なまでの同床異夢の現実を見せつけられます。その原因の一つは、
何回も書いているとおりの患者さんの知識不足ですが、
患者さんの医者への遠慮からのコミュニケーション不足も、
大きな原因の一つだと感じます。その同床異夢の状態から脱却するためには、
ある程度、ガバクならなければならないと思います。こと命のかかった治療ですから、
もう少し遠慮抜きに、
その命を握っている医者と向かい合ったほうが良いと思います。勿論、コメントであったように、
「無神経なのは厄介です」現在、私の診ている患者さんにはいませんが、
人間と人間との付き合いですから、
無神経な人間に嫌気がさすこともありました。
ご家族の場合が多かったように思います。
しかし、「無神経」とご自身の当然の要求を通すのとは、
まったく違います。コメントにあったとおり、
「疑問に思うことは、たとえ疎ましがられても絶対に看過しないことが重要」だと思います。
おとなしい患者さんでは、
「疎ましがられる」ことをご自身が嫌がっているようにも感じます。素敵な「ガバサ」は、
自分がそう思われることを気にしないことだと思います。
それは、無神経とは違います。多少のズズシさは、
強く生き抜くためには、
絶対に必要だと思います。勿論、ズズシさが「無神経」にならないことは、
人間社会に生きる以上絶対に必要なことは言うまでもありません。
セカンドオピニオン関するコメントもありましたが、
標準的抗癌剤治療だけしかおこなっていない、
がんセンターや大学病院では、
そこで得られる情報は、
だた一つ、エビデンスに根ざした標準治療だけです。
そして、その意義、
価値をシッカリと教えられると思います。
私のエビデンスに対する考えは、
何回も書いているとおり、
エビデンスは、
個性に溢れた個々の患者さん、ガンに対しては、
一つの参考意見に過ぎない。
最善の治療は、
患者さんの身体とガンが教えてくれる。
それだけです。セカンドオピニオンは、
考え方の違う病院・医者をイロイロと廻ってください。以上 文責 梅澤 充
マリア様へ
ご丁寧で心温かいメッセージをありがとうございました。
梅澤先生のブログを私信化しては失礼なので、簡単なお礼になってしまうことをお許しください。
おっしゃる通りです。
ちょっとした思いやりの投げ合いがあれば
相手(対医師、対医療者、対患者)がどんな背景を抱えていてもわずかずつでも歩み寄れるのですが
なかなか現実は難しいです。
ただ、私は辛さを克服しようと努力している人に対し
それが患者であろうと医療者であろうと 「望みすぎ」という批判をすることだけは理解できません。
だから私は自分がそうならないよう、まず投げられた言葉、思いを考えたいと思います。
批判をする前に手掛かりを示せないものか、と考えたいです。
先生のブログで、本当にたくさんのことを学んでいます。
病気、治療だけではなく生き方についてまでも考えるきっかけを与えていただいて
とても感謝しています。
(私の人生なんて大したものじゃありませんが・・・笑)
先生、皆様、個人的なやり取りをしてしまい申し訳ありませんでした。
ちっとも 「簡単なお礼」じゃなかったですね、長すぎました(反省)
2008-05-29 木 22:54:03 /URL /つく /
編集
つく様へ
お気持ちはとても良く解ります。 私の投稿で何か表現が不味かったのならお詫び申し上げます。
>仲間である患者さんが「苦しんでいる」という気持ちを受け止めることから会話を始めませんか。
私もそう思います。 でも、患者様達もそれぞれご病状、ご家族や周りの人の協力体制、経済状態、年齢などが異なり、同じようでも皆違います。 そして、やはり一番大切だと思っているのは、ご自身のご病状で、主治医の先生が‘自分をちゃんと診てくださるかどうか’が最も大きな関心事なのだと思います。 「つくさんが苦しまれているのは解るけれども、自分はもっと大変な手術を乗り越えてきたのに再発したのだ」などとお考えなのではないでしょうか。 厳しいご病状の中、他人の苦痛まではとても背負えないのではないでしょうか。
私は母を癌で亡くしました。 父も肺炎で亡くしました。 そして自分自身も怪我や病気で医師にお世話になっています。 その時々で、色々な想いを抱いてきました。 また、医療機関のスタッフとしてとても長い年月働いてきました。 色々な立場のそれぞれの‘言い分’が理解できると思います。
立場が違うと全く見える景色が違うのです。 医療者が全ての患者様をご自身のご家族だと思って接したら、もう少し違うのではないかと思います。 でも、それは不可能です。ご承知のように、癌などの場合、お一人の医師が担当する患者様の数が多すぎるのです。
私が「あと1分時間を下さい」と言ってでも医師に聴きたい事は言葉を選んで聞くべきだと思うと提案したのはご家族に対してです。 患者様は多分言えないと思います。 私も言えません。 診察室に入る前に何十回も聴きたい事を反復して「よしっ!」と思っても言えません。 そこでメモを作っていってお渡しするようにした事もあります。
>医療は本来困っている患者を救うためのものではないでしょうか。
そうです。 技術だけでなく、心も救いたいと思っている医療者は少なくないと思います。しかし、仰るように時間がないのだと思います。 私は医療機関の中で、お互いに、ない時間を埋める仕事をしてきました。 患者様の気持ちをくみ取って主治医が気持ちを害さないように上手に意図を伝えたり、例えば「○○さんが副作用で苦しんでとてもつらいそうですが、何か症状を和らげる方法はないのですか」と医師に聴いたり、医師が専門的な事を説明するのに多くの時間をとれない時に、もう一度、解りやすい言葉にかみ砕いて時間をかけて説明したり…です。 又、副作用の件などで医師から応えが返ってきた時は、もしかしたら「方法がない」という応えであったとしても、患者様が理解できるように説明しました。 私ができる事はとても少ないので、患者様の隣に座ってお話を聴くだけの時も少なくありませんでしたし、お話もできないご病状の場合はただ、隣に居るだけの事もありました。 それでもひとりぼっちよりマシかもしれないと思いましたし、誰も話しを聴かないよりは良いかもしれないと思っていました。
勿論、私自身は患者様に何もして差し上げられなくとも、伺ったお話の中で、他のスタッフに伝えた方が良い場合にはそうしてきました。 私がつく様に代わって病気と闘う事はできませんし、医療機関のスタッフとしてできる事はとても少ないのです。 それでも気持ちだけでも患者様に寄り添いたいと思っています。
主治医が忙しかったら、担当看護師や医療秘書や相談担当など医療機関でお話を伺うスタッフにコンタクトをとってみては如何でしょう。 良い提案があるとは限りませんが、話してみる事により、気持ちの苦痛はやわらぐかも知れません。
お一人で苦労されないで、医療機関にいる色々な職種のスタッフに話しかけてみては如何でしょう。
つく様のご病状が少しでも良くなられますようにとお祈り致します。
2008-05-29 木 21:53:40 /URL /マリア /
編集
マリアさまへ
私は主治医とは相性が全く合いません。
しかし、私の持つ症例の専門医として、
主治医は大変なご努力と、犠牲的献身的な診療をなさっていらっしゃいます。
それが故か、症例しか見えないことが多く、
私の激しい副作用の苦しみなど眼中にないようにも見受けられます(苦笑)
患者は様々な状況を抱えています。
もちろんお医者様もたくさんの患者さんと症例を抱えていらっしゃいます。
両者とも時間がありません。
特殊な症例を抱える患者は残りの時間がありません。
お医者様は献身的であるがゆえにご多忙を極め時間がありません。
お互いに時間がないのです。
しかし、医療は本来困っている患者を救うためのものではないでしょうか。
困っている患者はただでさえ知識も情報も技術もなく
その上病気から派生する苦しみにわけがわからなくなっています。
患者に知識と気遣いと自制、そして「あと1分」の言葉を要求することは
実はとても残酷なことのような気がします。
(あくまでも私の感想ですが・・・)
だからといって患者が何を言ってもいい、わがままを通していいとは思いません。
しかし、こうしたブログを通し、
自分に必要なものは何か、また、自分がどうあろうとすることが自分らしくあることか
を思い悩んでいる患者にとっては、
やはり体験する「冷たい言動」は「悲しい」のだと思います。
私は手術もできない状況の中、
副作用の痛みにのたうちまわって救いを求めていた時に、
手術をして寛解を得た後再発した方から
「求めすぎ」と批判されました。
寛解すら得られない患者がまさに困っているにもかかわらず
その困りごとに対して、医療が、そして仲間である患者が救いの手を差し伸べない現実が
本当に残念で悲しい限りです。
(先日は病院で 他科の医師に
確かにあなたに私を救う義理はないけれど、と悪態も付いてきました・・・笑)
まずは、仲間である患者さんが「苦しんでいる」という気持ちを受け止めることから会話を始めませんか。
2008-05-29 木 18:40:15 /URL /つく /
編集
CUさんへ ギャップについて
ギャップ」ではなく「そういう時もある」のではないでしょうか。
>梅澤先生には何でも聞けそうな気がしてしまうのですが
私は梅澤先生とは面識はありませんので解りませんが…
これは勘違いだと思いますし、そうではなく、やはり質問は選ぶべきだと思います。
患者にしてみれば初めて質問した事でも医師にとっては、その日に同じ質問に応えるのは10回目かも知れませんし、通算では10,000回目かも知れません。 また、大変失礼ながら、貴方にその事を聴かれたのも数回目かも知れません。 また、ご質問された内容があまりにも見当違いであるかもしれません。 多分いつもは丁寧にお応えになられるのではないでしょうか。 それでも何度も何度も同じ質問をされたり、見当違いであったりすると「イラっ」としてしまう事も有るかも知れません。 その上、がんだけでなく、病気の原因もわからない、治療法も解らない病気も世の中には沢山あります。 先生ができるだけの、現在考えられている最善の治療法を提案し、それを行ったとしても病状が好転しない事も、悪化してしまう事も多々あります。 そして、多分先生はやんわりと「とても治りにくい病気である」という意味の事を説明されているのではありませんか? 患者として「他に治療法はないのか」とか「どうして良くならないのか」とか「本当に○○という病名なのか」など、当然何度でも聴きたいと思いますが、それにお応えになる先生はとても言いにくい事を応えるのですから、たまには態度に出てしまう事もあるのではないでしょうか。
もしかしたら歯が痛かったのかも知れません。
先生の様子を観察して、ご自身で良く考えてみて「自分には原因はなさそう」なら、日時をかえて、もう一度言葉をかえて、ご質問してみては如何でしょうか。 私はそうしています。 そして「いつも歯車がかみ合っていない」と、お考えになるなら、相性が合わないのかも知れませんから、転院も考えてみても良いかも知れません。
世の中でどんなに名医とうたわれる先生とでも「性に合わない」のであれば、お互いに会うたびにストレスになりますし、ちょっとした感情の行き違いが大きな事になりかねないので、そのような関係は解消された方が良いと思います。
5月24日の「患者の気持ち」に書かれているようにお互いに相手の気持ちを完全に理解するのは無理だと思います。 先生にいつも「聖人君子のようであれ」と求めるのも間違っていると思います。 その上で‘どうされるか?’は貴方次第ではありませんか?
2008-05-29 木 08:11:44 /URL /マリア /
編集
先生は忙しいさんへ
私は母をがんで亡くしました。 肝内胆管癌でしたから余程何かのついでにでも見つからない限り助からないがんです。 それでも治療法を決めるにあたり、外科医や放射線科の診断医の先生方に随分色々な事を聴きました。 言葉や言い方は随分考えましたが、それでも「先生のおっしゃる事は絶対正しいか?」という意味の事まで日を変えて聴きました。 医師の中には「呆れた」と顔に書いてある人もいらっしゃいましたが、それでもちゃんと応えて下さいました。 患者本人は聞きづらい事も家族なら悪者になっても聴ける事もあると思います。 家族も本当につらいですし、一緒に闘病している同志です。 しかも、私は生き残って母は亡くなりました。 私がどんなに辛くとも、人生を閉じてしまう母の辛さに比べたら、私の苦痛は比べものにならないと思います。 後で「あの時ああすれば良かった? こうすれば良かった!」という後悔を一つでも減らす為に、家族の方達はたとえ悪役になってでも、聴きたい事は聴いた方が良いと思います。
>先生いわく態度で「忙しい」と突き放されました
それでも「あと1分お時間を下さい」と言って聴きたい事を聴きましょう。
その日に先生に会ったら聴きたかった大切な事だったのではないですか? それなら勇気をだしましょう。
是非、頑張って下さい。
2008-05-29 木 07:21:02 /URL /マリア /
編集
ギャップ
ブログを読む限り、梅澤先生には何でも聞けそうな気がしてしまうのですが、
実際、先生にお会いすると「疎ましい」「イラついている」といったご様子で、
気軽に質問できる雰囲気でもないと感じます。
>患者さんの医者への遠慮からのコミュニケーション不足
>こと命のかかった治療ですから、
>もう少し遠慮抜きに、
>その命を握っている医者と向かい合ったほうが良いと思います。
といった主張には共感するのですが、
ブログ上の先生と、実際の先生との間にギャップを感じるのはウチだけでしょうか?
嘲笑的に聞こえてしまう「はぁ?」という返事、
嫌なら他へ行けと言わんばかりに「胃腸病院やめますか!!」
っと語気を強められれば、患者も家族も萎縮せざるを得ません。
確かにこちらの質問の仕方や、医師にすれば見当違いの発言が不興をかうのだとは思います。
やはり医師と患者とはいえ、人と人との付き合いですから、その辺は徐々に相互理解が進むのを期待する他ないのでしょうね。
というか、そうなることを願います。
黒い猫でも白い猫でも、ネズミを獲ってくれれば良いわけですから。
時と共に病状の好転と、先生との意思疎通も円滑に進みたいものです。
2008-05-29 木 02:12:57 /URL /CU /
編集
先生は忙しい
ある先生にある癌をみてもらっている家族のものですが、先生には気を使います。ズズシさが「無神経」ではありません。ある疑問を先生に打ち明けて相談にのって欲しい所、先生いわく態度で「忙しい」と突き放されました。次の患者さんがいます。ほんの1分程度の話しもできないのですか?
2008-05-29 木 01:47:44 /URL / /
編集