先日夜中に、
一杯飲みながらテレビを見ていたら、
その歌は聞いたことはあるも、
顔は知らなかった「ヒトトヨウ」とかいう歌手が、
小学校にも満足に行くことができない
カンボジアのとても貧しい農村に、
小学校を建設する手助けをするために
訪れるという企画の番組を流していました。
その中で、
その歌手が、
「来る前はかわいそうだと思っていたけど、
来てみたら、皆元気にハツラツとしていて、
全然、かわいそうとは思わなかった」
といっていましたが、
そのとおりだと思います。
彼らは貧しいだけであって、
不幸ではないのだと思います。
生意気ですが、
人間の幸せとは、
そのようなものであるような気がします。
毎日、不幸のどん底のような顔をしている患者さんも見ていますが、
まったく同じ境遇でも、
生き生きとされている患者さんも見ます。
私が育った、
敗戦後まだ10数年した経っていなかった日本は、
とても貧しかったように思います。
我が家も、周りと同じで貧しい家でした。
しかし、まったく不幸は感じませんでした。
一方、今の日本は、とても豊です。
でも、あまりそのことによる幸福は感じていません。
貧しさの象徴のような、
インターネットカフェ難民よりも、
もっと貧しかったと思いますが、
不幸ではありませんでした。
インターネットカフェは、
エアコンが付いてると思いますが、
我が家にはそんなものはありませんでした。
冬に小さなストーブがあるだけでした。
今では当たり前に食べている霜降りの肉など
私が子供の時には、
食べたことはありませんでした。
母親が買ってくる安い豚肉で
十分に美味しく食事を楽しんでいました。
今は、刺しが入っていないステーキなど
考えられませんが・・・・
ガン治療でも同じような気がします。
同じ状況でも、
不幸な患者さん、
幸せを感じている患者さん、
何が違うのでしょうか。
精神構造の違いといえばそれまででしょうけれど、
与えらた境遇の中で、
精一杯努力して生きている患者さんは、
幸せな生活を享受ているような感じを受けます。
格差社会において、
ガン治療にも差があるのは当然だと思います。
しかし、そのことだけを嘆いていたのでは、
患者さんは不幸になるだけだと思います。
最近何回か、
患者さんによる治療の格差について書きました。
それをおこなっている医者の立場からすると、
同じ病気なのに、
治療が違うことに、
やりきれない思いもあります。
しかし、患者さんの立場からすると、
上を見たら、
本当に切がありません。
世界中から医者を呼び集めて治療を受けているという独裁者もいるようです。
ご自身の置かれた環境の中で、
最大限有効な治療が、
その患者さんにとって、
最善の治療だと思います。
貧しい農村の子供たちも、
置かれた環境の中で、
精一杯生きているから、
皆、目を輝かせて楽しい生活を送ることができるのだと思います。
膵ガンや肺ガンなどでは、
一昔前には、
ジェムザールもイレッサも有りませんでした。
他のガンでもそうです。
平成2〜3年のころ
今でいうハーツー陽性乳ガンを調べたことがありますが、
ハーセプチンが無い当時、
再発を来たしたら、
平均6〜7ヶ月しか生きることはできませんでした。
当時有ったのは、
延命効果はまったくなく、
オマケに副作用防止の薬剤も無いという、
まさに拷問のような抗癌剤治療と、
お祈りだけでした。
当時の医療環境から考えたなら、
すべての日本国民に最低限度保障されている
標準的抗癌剤治療とて、
とてもありがたい治療です。
本日は、
昨日のアンハッピーマンデーのおかげで、
2日分の患者さんが押しかけて来られました。
同じガンで、
同じ様に順調に経過しているという患者さんも、
何組か来られました。
しかし、明らかに不幸な患者さんと、
そうではない対照的な患者さんにお会いしました。
メチャクチャに忙しい一日に、
ヒマな生意気なことを考えました。
ちなみに、
幸福を感じている患者さんの方が、
不幸な闘病生活しているかたよりも、
間違いなく長生きしています・・・・
以上 文責 梅澤 充
一杯飲みながらテレビを見ていたら、
その歌は聞いたことはあるも、
顔は知らなかった「ヒトトヨウ」とかいう歌手が、
小学校にも満足に行くことができない
カンボジアのとても貧しい農村に、
小学校を建設する手助けをするために
訪れるという企画の番組を流していました。
その中で、
その歌手が、
「来る前はかわいそうだと思っていたけど、
来てみたら、皆元気にハツラツとしていて、
全然、かわいそうとは思わなかった」
といっていましたが、
そのとおりだと思います。
彼らは貧しいだけであって、
不幸ではないのだと思います。
生意気ですが、
人間の幸せとは、
そのようなものであるような気がします。
毎日、不幸のどん底のような顔をしている患者さんも見ていますが、
まったく同じ境遇でも、
生き生きとされている患者さんも見ます。
私が育った、
敗戦後まだ10数年した経っていなかった日本は、
とても貧しかったように思います。
我が家も、周りと同じで貧しい家でした。
しかし、まったく不幸は感じませんでした。
一方、今の日本は、とても豊です。
でも、あまりそのことによる幸福は感じていません。
貧しさの象徴のような、
インターネットカフェ難民よりも、
もっと貧しかったと思いますが、
不幸ではありませんでした。
インターネットカフェは、
エアコンが付いてると思いますが、
我が家にはそんなものはありませんでした。
冬に小さなストーブがあるだけでした。
今では当たり前に食べている霜降りの肉など
私が子供の時には、
食べたことはありませんでした。
母親が買ってくる安い豚肉で
十分に美味しく食事を楽しんでいました。
今は、刺しが入っていないステーキなど
考えられませんが・・・・
ガン治療でも同じような気がします。
同じ状況でも、
不幸な患者さん、
幸せを感じている患者さん、
何が違うのでしょうか。
精神構造の違いといえばそれまででしょうけれど、
与えらた境遇の中で、
精一杯努力して生きている患者さんは、
幸せな生活を享受ているような感じを受けます。
格差社会において、
ガン治療にも差があるのは当然だと思います。
しかし、そのことだけを嘆いていたのでは、
患者さんは不幸になるだけだと思います。
最近何回か、
患者さんによる治療の格差について書きました。
それをおこなっている医者の立場からすると、
同じ病気なのに、
治療が違うことに、
やりきれない思いもあります。
しかし、患者さんの立場からすると、
上を見たら、
本当に切がありません。
世界中から医者を呼び集めて治療を受けているという独裁者もいるようです。
ご自身の置かれた環境の中で、
最大限有効な治療が、
その患者さんにとって、
最善の治療だと思います。
貧しい農村の子供たちも、
置かれた環境の中で、
精一杯生きているから、
皆、目を輝かせて楽しい生活を送ることができるのだと思います。
膵ガンや肺ガンなどでは、
一昔前には、
ジェムザールもイレッサも有りませんでした。
他のガンでもそうです。
平成2〜3年のころ
今でいうハーツー陽性乳ガンを調べたことがありますが、
ハーセプチンが無い当時、
再発を来たしたら、
平均6〜7ヶ月しか生きることはできませんでした。
当時有ったのは、
延命効果はまったくなく、
オマケに副作用防止の薬剤も無いという、
まさに拷問のような抗癌剤治療と、
お祈りだけでした。
当時の医療環境から考えたなら、
すべての日本国民に最低限度保障されている
標準的抗癌剤治療とて、
とてもありがたい治療です。
本日は、
昨日のアンハッピーマンデーのおかげで、
2日分の患者さんが押しかけて来られました。
同じガンで、
同じ様に順調に経過しているという患者さんも、
何組か来られました。
しかし、明らかに不幸な患者さんと、
そうではない対照的な患者さんにお会いしました。
メチャクチャに忙しい一日に、
ヒマな生意気なことを考えました。
ちなみに、
幸福を感じている患者さんの方が、
不幸な闘病生活しているかたよりも、
間違いなく長生きしています・・・・
以上 文責 梅澤 充



